蛇と修羅

1「宮沢賢治」

運命の出会いというものは、必ずしも人と人だけとは限らない。


 それは日差しの強い夏のある日のこと。当時大学一年生であった谷地やち達巳たつみは、友人である沢渡さわたりの古本屋巡りに付き合わされていた。


「おい、どっか喫茶店でも入ろうぜ」


 汗を流しながら訴える達巳に目もくれず、沢渡は早足で進む。


「待って。もう一軒行きたいから、それが終わったらな。今度こそあの本が見つかるかも」


 そう言って、新たな書店に入っていく。これで五軒目だ。達巳はため息をついた。しかもこの店、売られている本のみならず建物自体もだいぶ年季が入っているうえに冷房も効いておらず、壊れかけの扇風機が申し訳程度に回っているのみ。故に中に入っても外とそう温度は変わらず、埃とカビのような匂いに包まれていた。あまり質の良い書店とは言えないだろう。


 真剣に物色する沢渡を横目に見つつ、達巳は暇つぶし感覚で本棚を眺めていたが、やがてある一冊が目にとまった。


 なんとなく手にとって、開いてみる。それは詩集であった。達巳は詩の良さなどとんと分からない。パラパラと適当にページを捲っていたが、やがて表題作を見つけて捲る手を止めた。ゆっくりと黙読してみる。


 出てくるフレーズ、頭の中で読んだ時のリズム、文字の並び、それらが不思議と達巳の心をくすぐった。達巳は詩の良し悪しなど何も分からないが、それでもその作品は達巳の中に確かに強く響いた。


「宮沢賢治か」


 横から沢渡が表紙を見て言う。


「え?」


「宮沢賢治が生前出した唯一の詩集だよ」


 沢渡の説明に、達巳は眉を顰めた。


「宮沢賢治っつったら、あの有名な文豪だろ?もっと色んな作品あるだろ。ほら、『アメニモマケズ』とか……」


「そういうのはほとんど死後に発表されたものだよ。生きてる間は、今ほど評価されて無かったってことだ」


 達巳はもう一回、その詩集を見つめ直した。


 その日、達巳は生まれて初めて詩集を買った。達巳は詩の良い悪いなど分からないが、それでもその作品には、達巳の心を動かす何かがあったのだ。


 それ以来、彼は一度もそれを開いてはいない。いつも使うカバンの奥底に入れられたまま、それはずっと眠っている。



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