6「程の良い言い訳」

「そもそもなんで、この男が竜胆のことを知ってるって思ったんだ?」


「チャットで会話してる時に、先輩が行方不明って話をしたんです。その時にゆず先輩の特徴とかも話してて、そしたら似た人を見たとのことだったので、会って話を聞いてみようかと思ったんです」


 そんな、つい先ほどまでの伊武との会話を思い出しながら、達巳は人混みに紛れて様子を伺っていた。場所は渋谷ハチ公像付近。言わずと知れた待ち合わせの名所。名所故に人の数も多く、逆に知人と合流するのが難しい本末転倒な場所である。


 マッチングアプリの相手を待つ伊武を遠目に見つつ、達巳は独り言のように呟く。


「しかし、これから会うその男が、竜胆のことを知ってるなんて俺にはとても思えないな。適当に伊武の話に合わせてただけじゃねーの?」


 その言葉に答える者はいない。達巳はため息をつくと、催促するように言う。


「おい白眉はくび、シカトしてんじゃねーよ。お前もちょっとは手ぇ貸せってば」


——『手』を持たない私など、お前の役には立たないよ。足枷にしかならない


「やっぱり、前言ったこと気にしてたのか……」


 達巳は頭を掻いて謝罪した。


「悪かったよ。機嫌を直して手伝ってくれないか?」


——私は、竜胆柚巴の捜索に関与しないと言ったはずだ


「あー、そうかい」


 強情なやつだ、と、ため息をつく達巳へ白眉は問い詰めるように続ける。


——だいたい、お前は今、なぜ竜胆柚巴を探そうとしている?お前にはあの小娘を見つけだす理由など無いはずだがね


「そりゃまあそうなんだけど……」


 達巳がぼやく。実際、達巳自身は自ら動いて竜胆のために動く理由を持たない。


「でも、伊武があの調子だからな……」


 ハチ公像のすぐ隣で携帯をいじってアプリの相手を待つ彼女に視線を向ける。


——伊武明音の言動に流されたと言うわけか


「そんなところかもな」


 直後、伊武が何かに気づいたかのように前を見た。それと同時に達巳の携帯へ着信が入る。伊武からの電話だ。通話を開始すると、聞こえてきたのは彼女と見知らぬ男との会話であった。例のマッチング相手の男と合流した様子であった。


 達巳は通話状態の携帯から二人の会話を盗み聞きつつ、そっと二人の後を追った。


——探偵ごっこかい。素人のお前にこなせるものかな


 そんな白眉の言葉を無視して、達巳は人混みの中を抜けて行った。


 伊武とその相手の男は駅から少し歩いた先にあるカフェの中へと入って行った。


——お前も入るつもりか?


「いや、外で待つ。同じ店内にいたら怪しまれる可能性もあるし、ここからも二人の姿は見えるからな」


 二人が入って行ったカフェは開放感のあるオープンスタイルであり、外からも店内の様子を把握することができた。店の近くの壁際で携帯を弄るふりをしながら、達巳は伊武と男の姿を観察しつつ会話を聞いていた。


 最初は簡単な自己紹介も含めた当たり障りの無い内容であったが、やがて男の仕事の話になってから、会話の流れが変わっていく。


 男は最初、自らを飲食店勤務と名乗っていた。携帯を通して男の言葉を聞いた白眉が反応を示す。


——声色に、軽い緊張を帯びている。これは、正確な情報では無いな


「どういうことだ?」


——つまりは嘘ということだよ。尤も、完全な嘘では無い。虚実を混ぜ合わせた巧妙な嘘だ


 白眉のその推測は当たっていた。やがて伊武と男の会話が弾む中で、男の職業がただの飲食店では無いと判明する。食事や飲み物を提供するという点ではあながち嘘では無いが、それらがメインでは無い。食事とは別のサービスを提供して売り上げを得る職業。男の仕事は、ホストであった。


「次の世代のカリスマホスト、『輝星かがほしレンヂ』です!ヨロシク!」


「なるほどな」


 達巳は小声で呟く。


「ホストが営業にマッチングアプリを使うことがあると、沢渡から聞いたことがある。あの男、伊武をうまく丸め込んで、自分の店に連れて行こうとしているな」


しかしそれにしては、この輝星レンヂと名乗る男の営業トークはお粗末なものであった。本来、ホストがアプリを使って顧客を得ようとするならば、最初は正体を隠して相手の女性との親密度を上げなければならないはずである。まだ関係も出来上がっていないうちから自らの素性を明かしてしまえば、よほどの世間知らずでも無い限りそれが営業であると分かってしまう。


 輝星の話を上手く受け流しつつ、伊武は本題に切り込む。


「レンヂさんのお店、一度行ってみたいなー……でも、すみません。今はちょっと色々と悩み事があって、行っても楽しめないかも……」


「大丈夫ダイジョーブ!悩みあんなら相談乗るって!俺って普段、姫様達のお悩み聞いてあげたりしてっからさ、相談相手としてはベストだと思うよ?明音ちゃん、いったいどんな悩みあんの?」


 調子良く、輝星は言う。促されるままに伊武は話し始めた。


「実は、前にも少しお話ししたんですけど、仲の良い先輩が行方不明になっちゃって……」


「あーあ!言ってたね!そう、その先輩の特徴どんなんだっけ?もしかしたら俺、知ってるかもしんないんだよね!そうだ、写真とかあんの?見せてもらって良い?」


 伊武は一瞬躊躇した後、スマホケースの内側に入れていたプリクラの写真を見せた。そこには伊武と川澄、そして竜胆が三人で写っている。目が大きくなっていたり、エフェクトがかかっていたりと、かなり盛られており本人の原形はあまり残っていないのだが、写真を見た途端、輝夜は手を打って頷いた。


「やっぱり!俺この子見たことあるわ!」


——嘘だね


 電話越しに声を聞いた白眉がバッサリと言った。そりゃそうだろうな、と達巳は無言で頷いた。


「この子、たしかうちの店に来てたわ!」


「こいつ嘘下手だなおい。魂胆が見え見えだ」


 達巳が呆れたように呟いた。


「良かったらさー、店に来ない?君の先輩を接客した人がいるかもしれないし、何か分かるかもよ!」


 輝星の強引な誘いに、伊武は苦笑いを浮かべる。また話題を変えるため、ふと彼女は目に留まったものに言及した。


「あれ、手首が腫れてません?虫に刺されたんですか?」


「え?ああ、そうそう!なんか蜂か何かに刺されちゃったみたいでさー」


「——『蜂』……だと?」


 達巳は息を呑んだ。


「……白眉!」


——嘘は言っていない。少なくとも、奴の中では蜂に刺されたという認識なのだろう。実際はどうか知らないがな


 達巳は通話状態の携帯に口を近づけ、伊武にのみ聞こえるように小声で言った。


「おい、伊武。ちょっと良いか?」


「すみません、ちょっとだけ電話出ても良いですか?ごめんなさい」


 輝星にそう断ってから、伊武は携帯を耳に当てた。


「もしもし、なんですか?」


「その男に、『威虎添翼いこてんよく』について聞いてほしい!『威虎添翼』だ!」


「いこ……なんです?なぜいきなりそんな……」


「『威虎添翼いこてんよく』だ!新宿を根城にしてる犯罪組織的なやつ!良いからそれについて話せ!」


 達巳の言葉の意図が分からず困惑しつつも、伊武は通話を終えたふりをして、輝星との会話に戻る。


「レンヂさんのお店って、新宿にあるんですよね?歌舞伎町とか?あそこらへんって、少し怖いイメージがあってぇ……」


「そんなことねーって!繁華街だけど、うちみたいなちゃんとしたお店も多いし、普通に楽しいよ!」


「でもヤクザとか、犯罪組織とかもいるって聞きません?なんか、よく知らないですけど、『威虎添翼』ってやつとか……」


「ああ、イコテン?横山さん達のこと?」


 輝星は少し驚いた様子で言った。


「横山さん?」


「どういう噂を聞いたのか知んないけど、そんな怖いやつらじゃねーよ。イコテン。街の平和を守る良い不良って感じ。横山さんかっけーし。まじカリスマ」


「『良い不良』なんてもんがあるかよ」


達巳が吐き捨てるように呟いた。電話先から輝星の話は続く。


「うちの店、『clubクラブQsPALACEクイーンズ・パレス』って言うんだけどさ。歌舞伎町の中では比較的新参のグループで、昔は競合相手からの嫌がらせとかも酷かったらしくて、特にでかいグループだったりするとバックに極道がついてる所とかもあるし、そういう所の怖いおじさんとかが営業妨害に来てたりとかして、酷いもんだったって」


 まあ、俺は新入りだから知らないけどと彼は笑う。


「うちの今のオーナーが横山さんと飲み友で、その縁でイコテンが用心棒的なことしてくれるようになったんだよ。他店の嫌がらせなんかも無くなってさ。凄いよね。さすがカリスマ。まじ横山さんリスペクト」


「なるほどー凄いですねー」


 愛想笑いをしながら、伊武は携帯の画面へと視線を向ける。


私にはこの話とゆず先輩の関係性は分からないけど、谷地さんは何か知ってるのかな。


そのようなことを考える彼女に対して、輝星がカフェを出ようか、と提案した。支払いを済ませて外に出た後、彼は伊武の手を掴んで言う。


「じゃあ、行こうか!」


「え?どこへ?」


 伊武は手を離そうとするが、輝星の掴む力が思いのほか強く、振り解けない。


「明音ちゃん、お酒飲めるっしょ?俺、この辺で良い店知ってるんだよねー。行こうよ」


「いやー、今日は遠慮しておきますー。また今度誘ってください!」


伊武は笑顔を取り繕って言った。相変わらず、彼の手は伊武を離そうとしない。


「いーじゃん?こうして今日会ったのも何かの縁だし、少しだけで良いから、一杯だけでも良いから付き合ってよ。絶対後悔させないから!」


「いや、その、私明日も早いですし、その——……」


「そうだ、君の先輩のいる場所とか知ってそうな人に心当たりがあるんだよね。詳しく話してあげるからさ、いいから行こうって!」


 そう言って、輝星は伊武の手を強く引いた。そんな彼の肩をポンと叩く手。振り返ると、そこには見知らぬ青年が立っていた。


「え、誰——」


「その子の兄だ。手ぇ離しな」


 達巳は輝星の肩に置いた手を引いて、脅すような低い声で言った。輝星は達巳と伊武を交互に見てから、「いや、似てなくね?」と呟いた。


「兄だよ。似ていなくて当然だ。幼い頃に両親が再婚して兄妹になったわけだからな。血の繋がりが無い。けどな、例え血を分けていなくとも、ガキの頃から同じ飯を分けて育った仲、腹の内は似ているぜ。好きな猫の仕草なんかがよく似ている。証明してやろうか?あ?言ってやろうか?好きな猫の仕草をよぉ」


 などと言って凄む達巳としばらく睨み合った後、輝星は小さく舌打ちをして伊武の手を離した。伊武はすぐに輝星から離れて、達巳の背にそっと隠れた。そんな彼女を忌々しげに見ながら彼は言う。


「んだよ。こんなタイミングで用心棒が出てくるとか、美人局みてぇな真似しやがって。クソ女が」


「美人局って、別に金なんか取ってないだろ……ああ、カフェ代のことか?」


 達巳は自身の財布から出した千円札をホストの胸ポケットへ押し込んだ。


「これで足りるかよ?」


 輝星はまた舌打ちをすると、小声で悪態を吐きながらその場を去って行った。


 輝星の姿が見えなくなったのを確認すると、伊武は達巳の背に隠れるのをやめておずおずと言う。


「えっと、ありがとうございます……それと、ごめんなさい谷地さん」


 言いながら、千円札を返そうとする伊武を達巳は静止した。


「別に良いよ。あれは慰謝料みてぇなもんだから。なんだかんだ、あのホスト野郎を騙したのも事実だし、あれくらい払っといてもバチは当たらんだろ」


「それを言うなら、払うのは私です。あの人のことも、谷地さんのことも、私は騙して利用しました。最低です」


「……それ、本気で思ってる?」


「……思ってませんケド」


「思ってねぇのかよ」


「だってあのホストなんか、私に酒を飲ませて何をしようとしたんだか、考えるだけでゾッとします。ざまあみろって感じです」


 清々しいまでの腹黒だ。ここまでくるとむしろその黒さが濡羽色に輝いて見える


「しかし、お前も結構無茶するよな。竜胆の情報を得るためとは言え……」


「無茶は承知です。だからこそ、谷地さんにも来てもらったんですから。頼り甲斐あるじゃないですか『お兄ちゃん』」


 そう言って、にひっと笑う彼女の唇は青ざめていた。そういえば……達巳はふと思い出す。伊武は少し前に茶野彰からのストーカー被害を受けていたのだった。それによってちょっとした男性不審に陥ったとも聞いた気がする。その心の傷も未だ癒きってはいないだろう。


「そこまでして竜胆を見つけたいのか?そんなに大事なのか」


「はい。当然です」


 伊武ははっきりと言った。


「絶対に見つけます。私はゆず先輩が大好きですから。肩時も離れたくないのに、もう二週間近く会っていません。ゆず先輩成分が枯渇して死にそうです。それにもしも、ゆず先輩に万が一のことがあったら耐えきれません。嫌です。私が嫌です」


「そ、そうか……」


 思いの外重い想いに少し戸惑いつつも、小さく息を吐いてから、達巳は言う。


「そういうことなら、まあ、乗りかかった船だし、俺も手伝うよ」


達巳の頭の中に、呆れたようにため息をつく音が聞こえた。実体の無い白蛇の、実体の無いため息であった。


——どうやら、程の良い言い訳が見つかったらしいな


 ようやっと見つけたのだ。大義名分を。ここ数日間ずっと探していた——竜胆柚巴を探すための言い訳を。達巳は見つけてしまったのだ。





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