11「サークル内に潜む蛇」
「蛇の毒だと……?」
ひそひそ声で達巳が問う。白眉の言った『蛇』が地を這いずる一般的な蛇のことを指していないことは、流石に理解できた。
「お前の同類にやられたってのかよ?」
「何を一人でぶつぶつ言ってるんだ?」
沢渡が訝しげに聞いた。半笑いで誤魔化す達巳の脳内へ、白眉が話しかける。
——水を取ってくるとでも言って、洗い場に行け
達巳は無言でそれに従う。体調の悪い山路へ水を飲ませるということはおかしな行動では無いので、自然な形で二人から距離を取ることに成功した。最も、広い部屋では無いため堂々と白眉と会話する事はできないわけだが。
——コップに水を汲め。できればガラスのような透明なものでは無く、中の見えない陶器が良い
白眉が指示する。その内容は若干不明ではあるが、達巳は大人しく従った。白いマグカップを手にし、水道水を注ぐ。
——カップの口を手のひらで覆い隠すようにしろ
どういうつもりだ?と言いたげな達巳の様子を察して、白眉は説明する。
——毒と薬は紙一重。我々選ばれし蛇は、体内の毒物の成分を調節することで有用な薬を作ることが可能だ。しかしそれをあの山路とかいう男に投与するために、牙で噛み付くことは今の状況ではできない。そこで、牙から薬物をこのカップの水に垂らす。それを飲ませれば、あの男の症状は緩和するだろう
そのためにはどうしても、白眉が自身の体を具現化しなければならない。彼らのような人に憑く蛇は、水面を依代にして体を作る。条件としては、憑いている人間の姿が水面に映っていなければならない。
——お前が手のひらをかざすことで、カップ内の水面に手のひらが映る。私はカップ内に姿を現すことができる
最も、サイズ的に具現化できるのは口先だけであろうが。牙から薬を垂らすには、口さえあれば十分なのだ。達巳は理解して、カップに手のひらを乗せた。中で何やら動いたかと思うと、やがてそれは消えた。
——もう済んだ。水をあの男に飲ませるのだ
達巳はカップ内の水をまじまじと見る。無色透明。ただの水だ。それを持っていき、山路に渡した。
「わ……悪いな……」
真っ青な顔で礼を言い、受け取ったそれをゆっくりと飲む。しばらくして、山路の呼吸は落ち着いて、顔色も血の気が戻ってきた。
「なんか……ちょっと楽になってきた気がするぞ」
「それは良かったです」
達巳はニッと笑った。先ほどから沢渡の探るような視線がこちらへ注がれているが、それをスルーして山路に尋ねる。
「酒弱いんすか?」
「そんなことねーよ!強いぜ、俺」
元の威勢を取り戻しつつある彼は、次第に口数も増していった。
「昨日は体調が悪かったのかもな。それか、食べ合わせの問題とか?つまみの中に腐った食材でも入ってたんじゃねーか?飲んでる途中から急に信じらんないくらい酒が回りだしてさ……」
悪酔いしたのも、他の客に絡んで問題を起こしたのも、そのせいだと彼は言う。言い訳にも聞こえるが、あながち間違いでは無いのだろう。盛られた毒の効果で彼がおかしくなったのは間違いないようだ。
——水さえあれば、先ほどお前にやらせた方法で毒を盛ることは容易い。手慣れた者ならば、透明なグラスでも周囲にバレることなく行えるだろうね
白眉の言葉に、達巳は無言で頷いた。山路に毒を盛った犯人は、おそらくあの飲み会の中にいた。そしてその者は、達巳と同じく体に蛇を宿す者なのだ。
自分以外にそのような人間がいるとは、達巳は考えたことも無かった。不思議な感覚だ。高揚するような、緊張するような、あるいは恐怖するような、奇妙な感情が生まれた。
そんな達巳に、沢渡が声をかける。
「何をボーっとしてんの。お前、なんか山路さんに聞きたいんじゃ無いの?」
言われた達巳はハッとして、わざわざ家まで着いてきた理由を思い出す。川澄周りの、サークル内での情報が少しでも欲しいのだ。
「あの、サークルのSNSって川澄さんが担当してるんですか?」
「ああ。最近はそうだな」
山路がこともなげに答える。
「『最近は』?」
「前まで、俺と雄二とすぎなの三人で交代制でやってたんだ。ちょっと前にそこにすぎなの友達を加えて五人くらいに増えたんだけど、最近なんかすぎなが一人でやるって言い出して、そこからは任せっきりだ」
面倒だったから助かるけどな、と山路は笑う。
「雄二のやつは、一人じゃ大変だろうって心配してたけどな。でもああいうSNS管理は女子の方が得意そうだし良いんじゃ無いかって思うけどな」
「はあ……」
相槌を打ちつつ、達巳は考える。おそらく、川澄が一人で管理するようになったのは、誹謗中傷が始まってからなのだろう。他の誰にも見られないように。隠すために。
「あのアカウント、投稿にコメントできないようになってるじゃ無いですか?あれって昔から?」
「え、今そうなってんの?」
山路が驚きの声を上げた。やはりコメント欄の封鎖も、川澄の独断らしい。今はダイレクトメッセージで送られてくる例の言葉が、コメント欄にまで現れることを恐れているわけだ。
それからいくつか、サークル内での人間関係の質問をしてみる。しかしやはりサークルのメンバーで川澄と揉めそうな人物は見つかりそうに無かった。かつて川澄に振られたという山路当人も、今は彼女ができて昔のことは特に気にしていないという。
「つーか、なんでそんなこと気になるんだ?」
山路が問う。当然の疑問であった。ずっと注がれる沢渡からの視線も気になるので、これ以上怪しまれる前にお暇することにした。
「とりあえず、元気になって良かったです。ではまたサークルで」
そう言って腕時計を渡して、二人は山路の部屋を後にした。
駅まで歩く道中、達巳と沢渡はどちらも無言であった。達巳は山路へ毒を盛った犯人や、川澄へ誹謗中傷を行う犯人のことを交互に考える。しかしうまく考えが纏まらず、ふと沢渡を横目に見た。彼もまた、何やら考えごとをしている様子であった。
「何考えてんだ?」
達巳は聞いてみる。沢渡はしばらく何も答えなかったが、やがておもむろに答えた。
「山路さんのあれって……本当に二日酔いだと思うか?」
「それ以外無いだろ。それかあの人本人も言ってたように、なんか悪いもの食っちまったとか……」
そう答える達巳に一瞬見透かすような視線を向けた沢渡は、独り言のように呟いた。
「例えば、毒とか」
「は⁈」
達巳は驚きの声を上げたが、すぐまた平静を取り戻して、茶化すように言う。
「お前、本当想像力豊かだな。推理小説の読み過ぎだって」
そんな達巳をまじまじと見た後、沢渡は「だよな」と呟いた。そこから話題はありふれた世間話へと移り変わった。
バイト先へ向かう沢渡と駅で別れた後、一人になった達巳は、大学へ戻る道中、小声で白眉に問う。
「昨日の飲み会に『蛇』がいたってことだよな」
——可能性は高い
抑揚のない声で白眉は答えた。
——だとするならば達巳よ、これ以上あのサークルとは関わらない方が身のためかも知れない
「どういうことだ?」
——分かっているだろう。万が一にでも、お前がこの私を身に宿していると例の蛇に知られれば、お前の身にも危険が及ぶ
白眉曰く、彼ら選ばれし蛇達は、長い時の中で互いに殺し合い、数を減らしてきたと言う。
——かつて神は、我々を『龍』の候補として選別した。選ばれし蛇達の中で、一体のみが龍へと進化することができると、神は言った。むしろ、それしか言わなかったのだ
故に、誰も知らなかった。どうすれば龍になることができるのか。
——分かっていることはただ一つ。龍になれるのはたった一体のみということ。であれば必然的に、蛇達の思考は皆同じ結論に行き着いた
如何にして龍になるのかは定かではない。しかし、候補者が自分だけになれば、必然的に自分が龍になる可能性が高くなる。
だから蛇達は互いに潰しあった。殺し合い、数を減らしてきた。
——サークル内に潜む蛇が何者かは知らないが、まず間違いなく、私の存在を知れば殺しに来るだろう。そうなれば当然達巳も巻き込まれることとなる
達巳は何も答えなかった。白眉の声色は無感情だが、それでも達巳の身を案じていることはわかる。
——私の意見としては、川澄すぎなの件から身を引き、件のサークルとも今後一切関わらないことをお勧めする。尤も、強制ではないがね。お前の選択に従おう
「……そんなに危険な状況なのか?」
——これ以上進むのならば、お前は川澄すぎなのために命を賭ける覚悟が必要となる
達巳は立ち止まり、息をのむ。白眉の言葉に誇張はない。正体不明の『蛇』が潜むサークルに関わっていくのは、それほどの危険が伴うのである。
——誹謗中傷などと言っても、所詮はただの言葉に過ぎない。殺傷性は著しく低いものだ。そのような些細な害から他人を守るために、命を賭ける必要性があるとは私には到底思えないのだけどね
「些細な害、か」
達巳は噛み締めるように呟いた。
「お前にはピンと来ないんだろうな。言葉の暴力は些細な害じゃ無いんだよ」
彼は知っている。実の母親からずっとそれを受けてきたのだから。
「お前も言ってただろ?言葉は凶器なんだよ。悪意ある言葉は、心を病ませて歪ませる激毒だ。物理的な、いわゆる暴力よりも卑怯で、手軽で、軽視されがちな、誰もが振りかざせる凶器なんだ」
自身の中に湧き上がる怒りを達巳は感じていた。そしてそれは彼に憑いている白眉にも直に伝わっているらしいことも分かった。白眉はもはや達巳を止めるようなことは言わなかった。
「許せねぇんだよ。言葉で人を傷つけようとするクソ野郎も、強力な『蛇』の力を簡単に他人に向けられるようなイカれ野郎も。どっちも許せねぇ。『力』で誰かを苦しめようなんて考える奴は、大っ嫌いだ。……命懸け上等だよ。お前と俺で、絶対見つけ出すぞ。白眉」
——良いだろう。それがお前の選択ならば
二人は決意を新たに歩み出した。
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