3〈全部、俺のせいじゃないか〉
「竜胆がサークル来てないって聞いたんだけど、なんか知ってるか?」
涼しく落ち着いた喫茶店の一席で、達巳が聞く。アイスコーヒーのグラスについた結露を拭いながら、沢渡が答えた。
「知らん」
「本当か?」
「知ってたら、川澄さんや伊武ちゃんに先に話してるわ」
それはそうだ。情報通の沢渡のことだ、川澄達にも真っ先に竜胆のことを聞かれただろう。その上で伊武が藁をも掴むようなメッセージを達巳に送ってきたということは、つまり沢渡から何の情報も得られなかったということだ。達巳は頷きながらカフェオレを啜る。その仕草をいつもの探るような目で沢渡は見ていた。
「やっちんこそなんか知らんの?竜胆さんに最後に会ったのお前だろ?」
「知らねーよ。つーか、それ伊武が言ってるだけだろ?俺が最後ってなんで分かるんだよ」
「やっちん、竜胆さんと会うために川澄さんを介して連絡取ってたろ」
先日、達巳はとある一件に関して竜胆を問い詰めるべく、彼女を吉祥寺の公園に呼び出した。その際、達巳自身が直接連絡して余計な警戒を抱かれるのも良くないと思い、川澄にお願いして竜胆を呼んでもらったのである。
つまり川澄は竜胆と達巳が密会した日時を知っているわけで。
「ちょうどその直後から、竜胆さんの返事が来なくなったわけだよ」
「……なるほど。そりゃ俺が疑われるわけだ」
苦い顔で、また一口カフェオレを啜った。達巳の今の言葉を訂正するよう沢渡は言う。
「別にやっちんを疑ってるわけじゃないさ。俺も川澄さんも、お前が竜胆さんに何かしたとは思ってない。でも事情の一端でも知らないかなって思ったんだけど……逆にそっちから聞いてくるってことは本当に知らないんだろうね」
しばし二人は無言になった。二人とも何も知らない以上、この話を発展させようが無いのである。
やがて達巳が、ゆっくり口を開いた。
「……情報が無さすぎるな。でも竜胆の性格上、多少返信が返ってこないくらい全然ありそうなもんだがね。そこまで深刻になることか?」
「川澄さんからのメッセージを無視したことはこれまで一度も無いらしいよ」
と言うことは、川澄以外のメッセージはスルーすることもあると言うわけだ。
「今回は例外的に川澄さんにもそれが適用されたってだけじゃ無いの?めっちゃ忙しいとかで」
「まあ、それもあり得るけど、でもすごく心配してるようなメッセージが送られてきて、それを無視するってことある?」
確かにそれは考えづらかった。達巳は唸って考える。そもそもなぜ自分は竜胆の事で頭を悩ませなければならないのか。
「そういや、竜胆さんと同じタイミングでサークル来なくなった人って二人いるんだよね」
唐突に沢渡が言う。
「二人?誰と誰だ」
「やっちんと、村上くん」
「なんだ、あいつか」
達巳は落胆したように首を振る。何か竜胆に関する手がかりになるかと思ったのだが、関係は無さそうだった。
「村上なんて、そもそもボランティア活動に興味が無いだろ。あいつは探偵で、何か探るために参加してたわけで……」
「うん。だから、探ってたものが見つかったって事じゃ無いかな」
そう言って、沢渡はアイスコーヒーを飲む。一方の達巳はカフェラテのカップの縁を指で擦りながら思案していた。
「村上の探っていたこと……サークル内にいるとされてる『蜂』の正体か?」
そう言いながら、達巳の胸中に一抹の不安が過ぎる。村上の探していた『蜂』の正体、それがまさに竜胆である。もし村上がその事実を知ったとしたら、一体どうなるのか。
竜胆の失踪に村上が何か関わっているのではないか。
しかし、と達巳は考える。竜胆が『蜂』であるという事を知っているのは今のところ達巳だけのはずである。そして達巳がその事実に気づいたのは、竜胆が達巳と近い境遇の持ち主だったからこそ。普通の人間が、『蜂』=竜胆の答えに辿り着けるとは思えない。
落ち着き払ってカフェオレを飲む達巳に、沢渡が言う。
「それで、これはあくまで俺の妄想なんだけどさ。竜胆さんが『蜂』の正体だったりして」
飲んだカフェオレが気管に入って、達巳は大きく咳き込んだ。
「おいおい、何やってんの。大丈夫?」
「大……丈夫。ゲホっ、それよりお前、竜胆がなんだって?」
「だから、『蜂』なんじゃないかって」
「何を根拠にそんな……⁈」
「ただの妄想って言ってるじゃん」
どうやら竜胆の失踪と村上の行動を無理矢理繋げた結果らしいが……相変わらず、沢渡の直感は侮れない。そう達巳は心中思った。
「その考え、川澄さん達に話したのか?」
「話さないよ。証拠も何も無い与太話で不必要にみんなを不安にしたくないし」
達巳はふう、と息をついて、残りのカフェオレを飲み干した。その様子をじっと見つつ、沢渡はさらに言う。
「そういやさ、その『蜂』といえばなんだけど、色々調べてたらどうも、『蜂』の被害者には結構共通点があるってことが分かってね」
「共通点って、悪党か、それに近いグレーな連中ってことだろ?」
「そうだけど、それだけじゃない。彼らの共通点は、とあるグループに属してるってことなんだ」
「グループ?なんかサークルとか?」
「そんな平和的なものじゃないよ」
ストローをマドラー代わりに、グラスの氷をかき混ぜながら沢渡は続けた。
「半崎さんや茶野とかは例外として、『蜂』に襲われた者の多くは半グレ組織の一つ『
「半グレ?」
「暴力団には分類されないけど、それに似た感じの……要は犯罪組織だね。暴走族上がりの連中が組織化してできたりするんだけど、例の『威虎添翼』もそのパターン」
達巳は小さく頷きながら、沢渡の話を脳内で反芻した。そもそもなぜ沢渡がそのような裏社会事情に通じているのかはこの際聞かないこととする。
「その話が本当かどうかはまあ、良い。どうせこれはただの世間話の一環だしな。で、つまりお前のその情報から考えるに、『蜂』は……竜胆は、威虎添翼とやり合おうとしてるってことか?」
「うん。それが俺の妄想」
そう言って沢渡はアイスコーヒーを飲み干した。
「となると、お前の中では……竜胆は威虎添翼とやり合って、行方不明になったと?」
「あまり考えたくない状況だけどね」
沢渡は至極冷静に言う。ここまでの話があくまで妄想の範疇で、現実では無いだろうと考えているが故の平静であった。
達巳もまた、今の話が全て正解だろうとは思わない。しかし、竜胆の本性や別れ際の意味深な言葉を知る彼にとって、沢渡の妄想が必ずしも非現実的とは言い切れないのであっだ。
一人考えつつ、達巳は沢渡に確認するように問う。
「そうなると、『蜂』の正体を探っていた村上は、威虎添翼からの依頼で動いていたということになるのか」
「まあそう考えるのが自然じゃないかな」
果たして村上は『蜂』の正体を知ったのかどうか。もし『蜂』が竜胆であるという情報が威虎添翼に知られているとすれば、竜胆の行方不明が威虎添翼からの報復によるものという可能性が成り立つわけである。
「沢渡、お前さっき、村上は『蜂』の正体に気づいたんじゃないかって言ってたよな?」
「うん」
「そう思う根拠はあるのか?」
「それはだから、突然サークルに来なくなったからだよ。根拠と言えるほどの話じゃないけど、何かを探していた探偵が来なくなるのは、探していたものを見つけたからじゃないかって」
「そうとも限らないだろ。サークル内に蜂はいないって確信したから来なくなったとも考えられるし」
「それは、そうだね。でも、『いないこと』を証明するのはとても難しい。仮にも何か理由があって俺らのサークルに目をつけたとしたら、一回や二回の参加で諦めるのはいくらなんでも早い気がするんだよね」
二人はまた無言になった。やがて、この場で二人で考えても所詮は妄想の範疇を超えないということで、一旦この話は打ち切りとなった。
「今日は俺がまとめて払うよ。小銭がないから」
沢渡が提案するので、達巳は自身の財布を取り出した。
「じゃあ、先に俺の分をお前に渡しとくわ」
言いながら財布を開けて小銭を探る達巳に、唐突に沢渡が問う。
「その財布、縫い目の色そんなんだったっけ」
「え?」
「なんかほつれてるし」
沢渡が達巳の財布を指して言った。指摘された箇所を見てみると、確かに財布の縫い目の一部がほつれかけていた。
「確かに。まあ、長く使ってるからそういうこともあるだろ。つーかお前、俺の財布の縫い目の色なんかよく覚えてるな……」
などと言いながら、ほつれた部分を少しいじっているうちに糸が解けて財布の布と布の間から何か小さなものが落ちてきた。
「ん?」
それは黒っぽい金属製の物体であった。小型の、精密な機械といった感じのものだ。
「な……なんだこれ?財布の部品かなんかか?」
困惑する達巳をよそに、ジッとその物体を見つめていた沢渡が、ボソッと呟く。
「……まさか盗聴器か?」
「は?こんな小さいのがあるのかよ?」
「最近はなんでも小型化してる。やっちん、最近財布落としたりとかした?」
沢渡に聞かれ、達巳は思い返す。落とした覚えはないが、スられたことを思い出し、息を呑んだ。
村上と一緒にいた
もしあの時盗聴器を仕掛けられたとすると、どこまで聞かれていただろうか。達巳の周囲の音を、達巳自身が発する音を、どこまで村上に知られていたのか。
あの日の夜、最後に竜胆と会った時の会話の内容が全て村上に漏れていたとしたら?
そして沢渡の言った通り、村上の依頼主が『威虎添翼』だったとしたら?
先ほどまでの『妄想』が、妄想では無くなってくる。
悪い方向に全ての辻褄が合ってくる。
そしてなにより。
「だとしたら全部……」
全部、俺のせいじゃないか。
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