第22話 砂漠
まったく、ずいぶんと遠くまできたものだ。目の前に広がる砂の海を眺めて、ユーレクは感慨深く息をついた。知識はあったが砂漠というものを実際に見たのは初めてだ。本当に、どこまでも延々と砂の大地が続いている。
この熱国ではオアシスを中心にしていくつもの町が点々と栄えているという話だったが、ぐるりと見渡せる範囲はどこまでいっても砂、砂、砂だった。本当にこんな場所に人が住み、町が存在し、あまつさえ生活を営んでいるのだろうか。
だいぶ方向感覚も怪しくなりながら、ユーレクは重たい一歩を踏みだす。早いところ人の住む町を探しだしてひと息つきたかった。前に立ち寄った町で夜盗を働いたために路銀はじゅうぶんにあったが、いかんせん食糧の備蓄が少なくなってきている。補充をしたい。町のないところでは、路銀などいくらあったとしてもまるで無意味だ。
ユーレクはもう何日もこんなふうにして砂漠をさまよい歩いているのだった。とにかく前に進んでいるつもりだが、本当に自分の認識が合っているのかどうかは怪しい。同じところをぐるぐる回っているのかもしれないし、後退しているのかもしれない。一度引き返そうにも、もはや来た道がわからない。そもそも、この広大な砂漠の海で明確な道などないに等しかった。
認めたくはなかったが、そろそろ認めなくてはならないだろう。ユーレクは俗に言う迷子だった。
砂漠の広大さを舐めていた。この熱国はことさら広い。そんなわけのないことは重々承知のうえだが、世界じゅうどこを歩いても砂漠が広がっているのではないかという気がしてくる。
もちろんユーレクは不死者であるから、食べなくても命の危険はない。ただ、胃袋が膨れるまでずっとつきまとうあの飢餓感はあまり好きではなかった。水分も足りなくて、喉の内側から焼けつくような感覚が先ほどから消えない。革袋に汲んだ水はもはや空だった。
真上から太陽が照りつけていてひどく蒸し暑い。こめかみから流れた汗が顎を伝って落ち、足元の砂を一瞬だけ濡らした。少し先の景色が揺らいで見える。思考が鈍った。
この暑さも体験したことがないものだ。ユーレクの出身はもっと北側の国だから、よけいに耐えがたいものがある。
しかし、夜になると昼間とは比べものにならないほどに冷えこんだりもするのだから気が抜けない。寒暖差の激しい地方だった。
当て所もなくしばらく歩いていると、大型の鳥の群れがすぐ傍を駆けていくのに遭遇した。たしか、昨日か一昨日にも同じような群れを見かけた覚えがある。どうやらこの鳥は空を飛ぶことができず、ああやって強靱な足を使って砂漠じゅうを自在に駆けまわっているようだ。何という名前の鳥なのかは知らない。このあたりに棲息している生き物なのだろうと予想する程度だ。ユーレクが生まれた町にあんな鳥はいなかった。
彼らの移動先についていけば少なくとも水場は見つかるかもしれない。ただ、あとを追うのが意外に難しい。
強靱な足を持つこの大型の飛べない鳥は、驚くほど速く移動するのだ。およそ通常の生物の生命活動を超越した能力を発揮する不死の力であっても、超越した身体能力は引きだせない。それはあくまで、不死に対してのみ発揮される力だった。無理をすればユーレクの足は折れ、筋肉はずたずたになるだろう。不死の力はそのとき初めて発揮されるのである。実に遅い。
ただ先ほど見かけた鳥の群れは先を急いでいないのか、ときどき立ち止まっては群れの数頭でじゃれあいつつ、蛇行しながらふらふらとゆっくり進んでいる。おかげでまだユーレクが視認できる範囲にいた。
立ち止まって様子を見ているユーレクに気がついた群れのなかの一頭が、群れから離れてノコノコと傍までやってきた。あの鳥自体あまり人を怖れている様子はないが、やってきた一頭は特に人懐っこい性格のようだ。見たところまだ若そうな個体だから、生まれてからさほど年月が経っておらず警戒心も薄いのかもしれない。そして好奇心が旺盛なのだろう。
傍まできた大型の飛べない鳥は、興味津々といった様子でユーレクに顔を近づけてきた。怖がらせないように気をつけてそっと手を伸ばすと、首を伸ばしてきて指先に温かな嘴が触れた。嘴から顎に向かって手のひらを滑らせて撫であげてやる。羽毛がふかふかとしていて柔らかい。鳥が気持ちよさそうに瞼を閉じた。その瞬間、ユーレクは反対の手に握っていたナイフで素早く鳥の首を掻き切った。
ぱっと血飛沫が飛ぶ。鳥は首をもたげて悲しげな声を上げると、絶命してその場にどうっ、と倒れこんだ。遠くにいた群れが、仲間が倒れこむ音に一斉に驚いて、砂煙を上げながら瞬く間に走り去る。
ユーレクは鳥の前にしゃがみこむと、ナイフを使ってその肉を淡々と解体していった。騙し討ちのようになってしまったがしかたがない。
――食べなくても死なないのだから、これは無益な殺生だろうか。だが、今までも自分で直接手を下していなかっただけであって、同じように命を奪った生き物を食べてきた。不死者になってからも、それはずっと変わらない。あるいは食事をするという行為を通して、まだ人であることに縋りたいのかもしれなかった。
火を熾して肉を焼いていく。
解体しているときから感じていたが、まだ若い鳥だと思われるのに肉は筋肉質でひどく固く、旨いとは言えなかった。ただ、腹はじゅうぶんに満たされた。やっと人心地がついた。
腹がくちくなると歩く気力もほんの少し戻ってきてまたしばらく砂漠を進んだが、どれだけ進んだところでやはり景色はいっこうに変わらず、相変わらず広がるのは砂、砂、砂だった。
そのうちに陽も落ちてきてあたりが暗くなりはじめると、ユーレクは進むのを諦めて潔く眠ることにした。おそらく睡眠も不死の体にはさして必要ではないのかもしれないが、眠気はきちんと訪れる。
砂漠には猛毒を持つサソリや蛇も棲息しているらしいと聞く。だがそれもユーレクにはまるで関係のない話だ。寝ているあいだに刺されたところでおそらく気がつかないだろうし、どうせ死なない。
そんなものよりも悪夢を見るほうがよほど怖かった。最近
懐からお守り代わりにしているアイシャのナイフを引っ張りだしてきて、両手できつく握って眠った。
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