第13話 日常
それからさらに数日が経って、ミカはギャリとユーレクに誘われて連れ立って酒場へと出掛けた。改めて三人で祝杯を挙げるためだ。
三人とも表舞台に立つ気はさらさらなかったが陰の功労者であることに間違いはないのだし、ささやかな祝杯は何だか秘密の会合めいていてミカの気分も踊った。
向かったのは、すでにお馴染みとなった若い娘の給仕がいる酒場だ。ギャリは最初にこの店を訪れてからずいぶんと贔屓にしている。一度、ああいうのが好みなのかとユーレクに訊ねられて、店の雰囲気が好きなだけだとややふて腐れた調子で答えていた。
「だいたい、歳の差がいくつあると思ってるんだ?」
それからそう付け加えるものだから、ユーレクもミカもしばらく茫然としたのち笑いが止まらなくなった。笑いすぎて呼吸困難に陥るかと思ったほどだ。
「歳の差なんてもう気にするほうが無意味だろう」
ユーレクが言い、妙な慰めかたをするんじゃない、とギャリはまたふて腐れた。それでユーレクもミカもまたしばらく笑いが止まらなかった。
酒場の若い娘はギャリたちの顔を見ると笑顔で出迎えてくれた。「また来てくれてどうもありがとう」
たしかに娘の笑顔は感じがよい。ミカのような少年が一緒に出入りしていても厭な顔ひとつしないから、居心地もよかった。宿屋の店主とは大違いだ。
いつもの円卓が空いていなかったため、隅の席に案内される。今まで閑古鳥だったはずの店内はひどく賑わっていて、赭ら顔をした男たちが酒を飲み交わしては楽しそうに騒いでいた。すでにだいぶ出来上がっている様子だ。客足はずいぶんと戻ってきたらしい。
「骨つき肉とソーセージ。それから、エールだ」
席に着くなり、品書きも見ないままギャリは娘にそう注文した。最初に三人で訪れたときとそっくり同じメニューだ。娘はよく通る声でこれもまた感じのよい返事をし、厨房に注文を伝えに戻った。
やがて皿に載った骨つき肉とソーセージが運ばれてくる。ギャリとユーレクの前にはなみなみと注がれたエールのジョッキも置かれた。骨つき肉はひときわ香ばしいにおいを漂わせており、噛むとじゅわりと脂が溢れてきた。指先をてらてらと濡らす。じゅうぶんに味わってから嚥下する。肉質も柔らかい。ソーセージも太くみっちりと肉が詰まっており、ちょうどよい歯ごたえがあった。どちらも旨かった。
ミカの目の前ではギャリとユーレクが満足そうに喉を鳴らしてエールを呷っている。こちらも言わずもがな旨いのだろう。
「ようやく正規の値段で食材を仕入れられるようになったんですよ」
給仕の娘は嬉しそうに三人にそう報告をした。
「そいつはよかった」
ギャリがエールのおかわりを注文しながら相槌を打つ。ユーレクも頷きながら娘の話を聞いているが、ミカは目の前の肉を頬張るほうに必死だった。相槌ひとつ打つ暇がない。見かねたユーレクに、喉に詰まらせないように気をつけろと注意される。やはり小さな子供扱いだ。
三人は食事をたっぷりと楽しんだ。食事が本来楽しいものであったことを、ミカは久しぶりに思いだした気がする。
肉もあらかた食べ終えて腹もくちくなったころ、ふと、ミカはエールを呷るユーレクの首に金色の首輪が嵌められていることに気がついた。
「ねえ、ユーレク。それって……、」
訊ねる声が思わず
「どれ?」
「その、首輪だよ」
「ああ、」
息を吐いてテーブルに片肘を突き、手のひらに顎を載せる。呼気から酒のにおいが薫った。そのまましばらく何も言わずに黙っている。酩酊し、意識も夢とうつつの狭間をさまよっているのかもしれなかった。
ユーレクがなかなか説明をしようとしないので、ミカはついおかしな方向に想像力を働かせてしまう。もしかするとあの首輪の下で、ユーレクの首と胴はあの日のように切断されているのではないだろうか。首輪をはずせば、生首が床にころりと転がり落ちるのかもしれない。
勝手な想像に思わずぶるりと身を震わせたあたりで、ユーレクがくつくつと笑い声を上げた。声はだんだんと大きくなる。
「違う違う。これは、ふつうの首輪だよ。よく見ろ。あのときとデザインが少し異なるだろう」
そう言われても首輪のデザインの詳細などもはや覚えていない。あのときは夜だったから、明かりもまるで足りていなかった。ユーレクが虹色の睛をつっと細める。
「安心しろ。今日のおれの首はちゃんと繋がってる。首が切れてちゃ、せっかくの料理だって満足に食べられないだろう」
「……もしかして、俺を騙すつもりでその首輪をしてきたの、」
「そんなつもりはないさ。ただ祝杯だからちょっと着飾ってみただけだ。なあ、ギャリ」
ユーレクはそう言って隣で一人黙々とエールを呷っていたギャリに同意を求める。ギャリはそれに爆笑で答えた。
「……やっぱりからかってたんだ、」
ミカはむくれる。
「まあ、赦してやれよ。こいつの冗談はわかりづらいんだ」
はずそうか、とユーレクが言って首輪に手をかけた。金具をいじる。首輪の下から現れたユーレクの肌には傷ひとつなく、首はきちんと繋がっていた。もちろん、ころりと床に転がることもない。
「……何か甘いものを奢ってよ。それで赦すから」
「もちろん。何でも頼むといい」
ユーレクが品書きをミカに差しだす。しょうがないなあ、と大袈裟に息をついて、ミカはユーレクの手から品書きを受け取った。さしずめ台本どおりといったところだろうか。
何も本気で臍を曲げているわけではないのだ。ユーレクもギャリもそれは承知の上だろう。
穏やかな日々と、何気ない戯れ。これはそれにすぎない。そして、ミカのずっと求めていたものだ。ようやく日常が戻ってきたのだと実感する。
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