第14話 大蛇

 朝にミカが二人の泊まっている宿屋を訪ねると、珍しくギャリの姿がなかった。部屋ではユーレクが一人、椅子に腰かけてゆったりと本を読んでいる。

「何を読んでるの」

「暇つぶしだ」

 本の内容を訊ねたのに、見当違いの短い返答がある。わざわざ訊ね返すのも憚られてそのままにした。


 ギャリのベッドには寝乱れた跡があるものの、当の本人の姿はどこにも見当たらなかった。あれほど寝起きの悪いギャリが朝から行動しているなど、今日は嵐にでもなるのではなかろうか。

 いちおう床やベッドの隙間を丹念に覗きこんで、寝ているあいだに不慮の事故でベッドから落ちたのでないことを確認する。床にもベッドの隙間にも、ギャリが挟まっている様子はなかった。


「ギャリなら、炭崩を捕獲しに出掛けたぞ」


 室内をうろうろとしながら怪しい動きを繰り返すミカを見て、ユーレクがギャリの所在を教えてくれる。どうやら野生のダラを捕まえて炭崩の生息する東の水場へと向かったらしい。

「……忘れてなかったんだ、」

 死にたがっているギャリから手頃な死ぬ手段を質問されて、ミカが教えたのだ。ガンダラの一件があったあとはふつうに飲んだくれたり買い物をしたりして日々を謳歌している様子だったから、もうすっかり忘れたものとばかり思っていた。むしろミカのほうが少し忘れかけていたほどだ。


「ああ。珍しく朝早くに自分で起きて、意気揚々と出掛けていったんだ。たぶん、夕方ごろには帰ってくるんじゃないか」

「ユーレクは一緒に行かなかったんだね」

「誘われたけど、遠慮した」

 答えて、手元の本に再び視線を落とす。ユーレクのことだから、今日じゅうに読み進めたいノルマがあるなどと言って断ったのかもしれない。


 ギャリが戻ってくるまでゆっくりしていけばいいというユーレクの言葉に甘えることにした。読書の邪魔にならないようにだけ気をつけて、迷った末、ギャリのベッドの端に腰かける。シーツの皺を手のひらで伸ばす。

 ギャリに何か用事があって宿屋を訪ねたわけではなかったが、炭崩のことはミカが教えた手前、やはりその顛末が気懸かりだった。それに、もしも炭崩の毒が不死者に有効で、万が一にもギャリがこのまま死ぬようなことがあったとしたら。そこまで考えて、ミカはその予感を払拭するように大きくかぶりを振った。何だかひどく落ち着かない。


 部屋の隅にはギャリの肖像画が立てかけてあった。サーベルはない。炭崩の捕獲のためにギャリが持っていったのだろう。

 肖像画はガンダラの屋敷に乗りこんだ日、宝物庫から持ち帰った品だ。宝石のちりばめられた王冠を被り、上等な衣装に身を包んで澄ました表情でこちらを見るギャリ。睛の色が今と違うのは、おそらく不死者になる前だからなのだろう。相変わらず、この絵のなかの人物とギャリが同一人物だとは信じられない。


 じっと絵を眺めていると、何を思ったのかユーレクが本を閉じておもむろに立ち上がり、肖像画をすっかり布でくるんで隠してしまった。先ほどからそわそわと落ち着きがないのは絵のなかのギャリの視線が気になったせいだと勘違いされたのだろうか。ミカが落ち着かない理由は別にある。


「ミカ。少し町に出ないか。部屋でずっとじっとしているのも鬱々とするだろう」

 ユーレクがミカにそう声をかけてくる。


「……読書はもういいの、」

「区切りのいいところまで読み進めたから大丈夫だ。おれも少し気分転換をしたいし、腹も減ってきた。食事を奢ってやるよ」

 促されて、ミカはユーレクと一緒に宿屋を出た。たしかにユーレクの言うように外に出て体を動かしていたほうが気分もまぎれるだろう。帳場にいた宿屋の店主がちらりとミカを一瞥し、すぐに顔を逸らした。


 並んで市場を歩く。露店にはつやつやと張りのある野菜や鮮やかな色合いの果物が並んでいる。町は、少し前までからは考えられないくらいに活気づいていた。ギャリとユーレクのおかげだ。ミカは二人のサポートをしたにすぎないし、一人では状況を打開することはできなかった。


 ユーレクは野菜売りの露店を通りすぎ、装飾品を扱っている店の前で立ち止まった。小さな机の上に指輪や首飾りなどが並ぶ。少し身をかがめてしばらく物色している。今日は首輪をしていないが、もともとこういった装飾品が好きなのかもしれない。

 砂鯨を象った指輪をひとつ手に取った。身を丸め、指のまわりに巻きつくようなデザインのものだ。

「買うの、」

「ああ。この町の記念にでも」

 その言葉にミカは、ユーレクたちがいつまでもこの町にとどまっているのではないことを思いだした。二人はいずれここを出て、次の町へと旅を続けていくのだ。もしかするともうあと数日のあいだに出立する心づもりでいるのかもしれない。またミカの胸がさざめく。

 ユーレクは指輪の代金を払うと、買った指輪をすぐに左手の人差し指に嵌めた。


 食事をとるために市場を離れる。

 向かうのは当然、若い娘の給仕がいるあの酒場だ。酒場は今日も繁盛していた。

「あら。いらっしゃい。今日はお二人なんですね」

 娘は二人に笑顔を向け、ゆっくりしていってくださいねと声をかけると忙しそうにすぐに厨房へ引き上げていった。料理を両手にホールを駆け回っている。二人は空いている席を探し、隅のテーブルに向かい合って座った。


「町を出るの、」

 席に着くやいなや、ミカは問うた。

 あまりに唐突すぎたかもしれない。ミカのなかでは先ほどの露店からずっと地続きで考えていたことだったが、ユーレクは驚いたように何度か目をしばたたいた。小さく頷く。

「……二、三日中にはつつもりだ」

「そうなんだ……」

 それ以上言葉が出てこず、ミカは黙って唇を噛んだ。


「そんな顔をするな。何も今日、今すぐに発つわけじゃない。それに、ギャリだってまだ帰ってきていないんだ。きちんと帰ってくる保証もない」

 そちらの心配もあるのだ。炭崩の捕獲はうまくいっているのだろうか。


「もし、ギャリが戻ってこなかったらユーレクはどうするの」

 ミカと違ってユーレクはあまりに平然として見える。楽観視しているわけではないのだろうし、ギャリが戻らない可能性を考えていないというわけでもなさそうだ。ただ、もしも本当に戻らなかったとしたら、そのときはいったいどうするつもりでいるのだろうか。

「一人でも、旅は続けるよ」

 独りごちるように言うと、通りがかった給仕を呼びとめて適当に注文をする。やがて豆の煮込みと、炒めた芋が山盛りに載った皿が目の前に置かれた。ユーレクは芋をつまみながらエールを呷っている。


「ギャリみたいに死にたいと思ったことはないの」

 何だか質問ばかりだ。ユーレクは黙ってミカの顔をじっと見つめた。虹色の睛。不死者の睛だ。

「ある」迷いなく答える。「ただ、今はギャリほど死ぬことに対してのバイタリティがないだけだ」

 何だか矛盾した言い回しにひどく混乱する。成るように任せようというスタンスなのだろう。

 ユーレクのほうが、ギャリよりも不死者として生きている時間が長いのだ。たいがいのことはもうとっくに試していたとしてもおかしくはない。それでも結局、死ぬことは叶わなかったのだろう。ギャリよりも達観しているのはそのせいなのかもしれない。


 ミカはもう質問はせず、目の前の料理を黙って平らげた。

 二人は食事を済ませると、また少し町をぶらついてから宿屋へ戻った。

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