第8話 対決
ミカの傍を歩くユーレクの首元には、金色の太い首輪が嵌められていた。たんなる装飾品ではない。これは、切断した頭部を一見そうとわからないように元の位置に戻して固定してあるのだった。
首なし幽霊を演じるためには頭部は切断しておく必要があるが、切断した頭を胸に抱えて歩いていては何かと具合が悪い。すでにひと気はないとはいえ、用心するに越したことはないだろう。ユーレク一人であれば目撃されたところで今話題の幽霊話で終わるが、そこに首の繋がった人間が仲よく二人も一緒に歩いていたとなれば話が変わってくる。それに、一見首が繋がって見えるというこの状態にも意味があった。
ユーレクの頭は、宿屋を出たあとでギャリがサーベルを使って切り落とした。
「それじゃあ、頼む」
ユーレクは地面に膝立ちになると、頭を俯かせてギャリが首を斬りやすいようにした。何となく罪人の斬首を彷彿とさせた。ユーレクの背後に立ったギャリが手にしたサーベルを構え、その白いうなじをめがけてひと思いに振り下ろした。何のためらいもない手つきに、死ぬことはないとわかっていながらもミカは思わず息を呑まずにいられなかった。
ギャリはおれのことを恨んでると思う。
こんなときに、ユーレクの言葉を思いだす。結局、あの言葉の真意は聞きだせていない。ギャリが本当にユーレクを恨んでいるのかもわからない。ユーレクのうなじめがけてサーベルを振り下ろしたギャリは、無表情だった。
サーベルの刃がユーレクの首に食いこむ瞬間は見なかった。怖くて固く目をつぶっていたのだ。どさり、と地面に重たいものが落ちる音だけが聞こえた。それだけで背筋が粟立った。
「よし。これで準備は万全だな」
首なしになったユーレクは落ちた首を自らひょいっと拾い上げ、すぐに何ごともなかったかのように喋りはじめた。ぴんぴんしている。たしかにユーレクは、首と胴が切り離されても死ななかった。
生首のユーレクが元気に喋るのを見て、ミカは何とも複雑な心境になった。全身の力が抜けていく。
「……それ、くっつけるときはどうするの、」
何だか取り返しのつかないことをしてしまった気分だった。このまま一生首なしのままなのではないかとさえ思ったが、もちろんそんなことはないのだろう。
「自分の意思で任意に治せる。ただ切り離すのは自分じゃできないから、毎度ギャリに斬ってもらう必要があるんだ」
ユーレクは生首のまま喋りながら、金色の首輪を取りだした。それを慣れた手つきで首の切断面を覆うようにして嵌めると、その上に切断したばかりの頭を載せた。側面の装飾を何やらいじる。何かの弾みで首が落ちてしまわないようにしっかりと固定しているのだろう。
首輪はちょうどアルファベットのHのような形状をしている。特注品なのかもしれない。どう言って依頼したのだろう。まさか切断した首を載せたいのだとは言えまい。
首が本来あるべき位置に収まると、実際には切断されたままとはいえ視覚的にようやく安心できた。
「痛くないの。痛覚はあるんでしょう」
「ほんの少しだけだ」
金持ち連中の屋敷へ侵入するためにギャリが細切れになるときは、もちろんユーレクがサーベルでギャリの体を切り刻むのだという。ユーレクが愛用しているのは小型のナイフだ。人体の切断には不向きなのだろう。
「目玉を突いたり、頸動脈を掻き切るのなら簡単にできる」とユーレクは言った。ミカは得物を扱ったことがなく、今も
ギャリが腰に携えたサーベルをゆっくりと撫でた。
「こいつは今のところ解体専用だな。まあ、今夜ばかりは違うはずだが」
三人はガンダラの屋敷の前にたどり着いた。
頷きあうと、あの夜と同じく堂々と屋敷の正面玄関へと向かう。相変わらず警備はない。罠のようなものも見当たらない。裏手の家畜小屋にいる家畜にだけ気をつけておけば大丈夫だろう。
ミカは手を挙げて二人を軽く制すと、胴巻きに忍ばせていた道具を使って正面玄関の鍵を開けた。解錠はミカの役目だ。屋敷の錠前は前回忍びこんだときよりも頑強なものに変わっていたが、それでもミカにとっては造作もなかった。ものの数秒で解錠する。両側からミカの手捌きを眺めていたユーレクとギャリが、同時に感嘆の声を漏らした。
「開いたよ」
照れを隠すようにわざとぶっきらぼうに言って、ミカは道具を胴巻きにしまうとゆっくりと扉を開けた。隙間から体を滑りこませる。ユーレクとギャリも続いた。
屋敷内は静かなものだった。まだ三人の侵入には誰も気がついていないのだろう。三人は跫音を殺し、そのまま二階を目指して階段をのぼった。今回の目当ては東側の宝物庫ではなく、ガンダラだ。ガンダラの寝室は二階のいちばん奥まった場所にあるはずだった。
標的のガンダラの前に、まずは使用人たちを対処する。階段を上がってすぐが使用人たちの眠る大部屋になっていた。雇っている使用人は数人とはいえ、こちらは三人だ。騒ぎを聞きつけて応戦されては不利になる。その前に動きを封じておきたい。
使用人の大部屋にも鍵がかかっていたが、これもミカが難なく解錠した。音を立てないように気をつけて部屋のなかへ侵入すると、寝入っていた使用人をほとんど無抵抗で制圧した。持ってきていた縄で縛りあげ、猿轡を噛ませる。
ミカは深く息を吐いた。ここまでは順調だ。
「警戒すべきは、アジルーだよ」
廊下を奥へと進みながら、ミカは二人に囁いた。用心棒であるアジルーは、絶対にガンダラの傍に控えているはずだ。おそらくあの大男は今巷で盛んに噂になっている幽霊話も信じてはいないだろう。そんなものに怯える玉ではなさそうだ。
「気づかれる前にそっちも制圧できれば万々歳なんだがな。無理だった場合は、段取りどおり俺が引きつける」
サーベルに手をかけながらギャリが言う。
ミカが鍵開けなどのサポート、ギャリがアジルーの足止め、そしてユーレクがガンダラを恐怖させて町から追いだす。三人の役割分担はそんなところだった。
「強いよ。冗談じゃなく。対等に渡り合える?」
心配そうに訊ねるミカに、ギャリは意味深な笑みを返した。
「大丈夫だ」
そのとき、三人の前方にゆらりと立ち塞がる影があった。まるで壁のような大男だ。胸板は厚く、腕は丸太のように太く、服の上からでも筋肉が隆々と盛り上がっているのがわかる。髪はすっかり剃りあげていて、側頭部から首筋にかけて複雑な文様の刺青が入っている。手には大剣を握っていた。
「侵入者か」
男は低い声でゆっくりと呟いた。声を聞くだけで縮み上がりそうな迫力がある。この大男こそ、ガンダラの用心棒であるアジルーだった。
「ギャリ、」
ミカは震える声でそう呟くだけで精一杯だった。一気に緊張が高まる。
「ああ。早速おいでなすったな」
ギャリは小さく頷くと、目の前の大男を見据えて楽しそうに唇を舐めた。サーベルを構えて一歩前に出る。アジルーを正面から睨みつけた。ギャリもけっして小柄なわけではないのだが、それでもアジルーと比べるとまるで子供かと思うくらいの体格差がある。
「ユーレク。ミカも。お前たちは、隙を見て奥へ進めよ」
アジルーから視線をはずさないまま、ギャリが後方に呼びかけた。
「わかってる」
ユーレクが答える。ミカもいちおう小さく頷いたが、果たして隙などあるのだろうか。壁のような大男を目の前にして、すでに絶望を覚えていた。
アジルーがユーレクを一瞥して嘲笑った。やってみろ、と言いたげだ。自分を出し抜くことなどできやしないという自信に満ち溢れている。実際、アジルーは結託した町の大人たち複数人をたった一人きりでいともたやすくねじ伏せたのだ。細身のユーレクと小柄なミカを抑えることなど造作もないだろう。
アジルーはガンダラに金で雇われた用心棒ではあるが、きっと根っからの荒くれ者なのだろう。誰かを力で降伏させたくてうずうずしているに違いない。大手を振って思う存分暴れられて、金も貰える。これほど理想的なことはない。
唐突に、ギャリが地面を蹴って前方に飛び上がった。アジルーに向かってサーベルを振り上げる。それと同時にユーレクも駆けだしていた。目配せすらしなかったのに、示し合わせたかのように呼吸の合った動きだった。ミカだけが出遅れた。
アジルーは素早く視線を動かして迫りくる二人の姿を捉えると、大剣を握る手に力を込めた。
不意打ちを狙ったギャリの攻撃はいともあっさりと受け流された。振り下ろしたサーベルは難なく大剣で薙ぎ払われ、勢いのままギャリの体は後方に飛んだ。廊下に落下し、後頭部を強打する。
「ぐっ、」
ギャリの喉の奥から引き攣れた声が出た。
「ギャリ!」
ミカは悲鳴を上げてギャリの傍に駆け寄ると、慌ててその体を抱き起こした。少しふらふらとして頼りない。脳震盪を起こしているようだ。
「だ、大丈夫?」
「大丈夫だ」
ギャリは口の端から滲んだ血を手の甲で拭い、転がっていたサーベルを拾うとふらふらと立ち上がった。
ユーレクはその様子をちらりと横目で見ただけで、走る速度は緩めなかった。今はガンダラの部屋へ向かうほうが優先だ。そのままアジルーの横を通りすぎる。躱せたかに思えたが、しかしアジルーの反応速度は早かった。
大剣を構えなおすと素早くユーレクの背中を斬りつけた。パッと血飛沫が飛ぶ。ユーレクが低く呻き、そのまま足を縺れさせてその場に倒れこんだ。その背中をすかさずアジルーが踏みつける。背骨がみしみしと軋む音がミカの耳にまで聞こえた。
ユーレクの顔が苦悶の表情にゆがむ。対してアジルーは恍惚とした表情を浮かべ、大剣を垂直に構えるととどめとばかりに背中側からユーレクの心臓を刺し貫いた。
「死ね」
びくり、とユーレクの体が痙攣した。アジルーは深々と刺さった大剣を、その感触を味わうようにゆっくりと引き抜いた。刀身がユーレクの血でぬらぬらと
床に倒れたユーレクは、ぴくりとも動かない。
「ユーレク!」ミカは思わず叫ぶ。
「まずは、一人」
アジルーが喉を鳴らして嗤う。血にまみれた大剣を満足そうに眺め、動かなくなったユーレクの体を廊下の端にぞんざいに蹴り飛ばした。ギャリに向きなおると、その顔を指差した。
「次はお前だ」
アジルーの言葉に、ギャリが低く声を漏らして笑った。
対峙したギャリとアジルーはそのまましばらく無言で睨みあっていた。
ミカはギャリの傍を離れてじりじりと後ずさると、そのまま廊下の隅の暗がりに身を隠した。隙を見てアジルーの横を突破することはもはやミカには難しい。であれば、ミカにできるのはせいぜいギャリの邪魔にならないように気をつけるだけだ。武器も持たない華奢なミカがギャリのまわりをうろついていては足手まといでしかないだろう。今はもう、ギャリにすべてを託すしかない。
アジルーが大剣を構えなおし、ギャリめがけて躍りかかった。
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