第9話 決着

 ギャリの首が宙を飛んだ。


 これで……何度目になるのか、ミカはもう数えるのを諦めた。それくらい、ギャリは実にあっさりと首を斬られすぎていた。あんなに自信ありげな態度だったというのに、アジルーに一太刀も浴びせられないどころか、弄ばれている。


 ――もしかすると、ギャリはおそろしく弱いのかもしれない……。


 ミカの脳裡にふとそんな考えが浮かぶ。

 思えばギャリがサーベルを使っている姿は、実際には一度も見たことがないのだ。サーベルはいつも装飾品のように宿屋の壁に立てかけてあった。ユーレクの能力ではなく、ギャリに剣さばきを見せてもらうべきだった。


 アジルーは強い。それは揺るぎようのない事実だ。しかしいくらアジルーが強いからとはいえ、ここまで一方的であるとは思っていなかった。奮起して立ち向かった町の男衆でももう少し健闘していたように思う。


 ギャリの首がぽんぽんと絨毯の上を転がっていく。首を失った胴体が、糸が切れて支えをなくした操り人形のようにその場にくずおれた。握っていたサーベルが手からこぼれ落ちる。

 アジルーが大剣を下ろし、しかし警戒するようにギャリの死体を睨めつけた。

 次の瞬間、切断された首と胴を繋ぐように血液の糸が伸び、絨毯の上に転がっていた首が胴体に引き寄せられていった。元の位置に収まると、瞬く間に傷が修復され、生気の失せていた虹色の睛に光が戻る。


「まぁた死んだか、」

 修復した首の感触を確かめるようにゆっくりと左右に首を傾ける。塞がった傷口のあたりを親指の腹で何度かこすった。

 死んでから生き返るまで数秒といったところだろうか。どうやら損傷箇所が少なければ修復までの時間も短くて済むらしい。


 ギャリは再びサーベルを握りなおすと、果敢にアジルーに向かっていった。しかしその健闘も数秒しか保たず、アジルーの大剣がギャリの首に食いこむ。切断された首が鞠のようにコロコロと絨毯を転がった。それからまた血液の糸が伸び、数秒後に再生する。


「また死んだ」

 唇を尖らせて呟いた。まるでむずかる幼い子供だ。


 さっきから、この繰り返しだった。

 ミカはギャリの首がコロコロと廊下を転がるさまを延々と見せられ続けている。


 おそらくギャリは最初からこのつもりでいたのだろう。自分が弱いこともじゅうぶんにわかっていたし、はなからアジルーと対等に渡りあう気などなかったのだ。ギャリは、死なない。それだけでよい。それならば長期戦に持ちこんでアジルーが消耗するのを待つことができる。


「この、化け物が!」

 アジルーが苛立った様子で口角泡を飛ばしながら喚く。

 アジルーは何度殺しても蘇るギャリを見ても怖れることはなかった。やはりこの男に幽霊のたぐいは通用しないのだ。ただ、確実に疲労は蓄積されているようだ。わずかだが息が上がっている。うまくいけば勝機もあるかもしれない。ギャリの首が廊下を転がるさまを見るのはもう飽き飽きだったが、アジルーに勝てる確率があるのならば耐えられる。


 廊下の隅に転がっていたはずのユーレクの死体はいつの間にか消えていたが、アジルーが気がついた様子はまだなかった。

 当然、ユーレクがあの程度の損傷で死ぬわけはなかった。背中を斬られて倒れこんだのも、大剣で貫かれ痙攣して動かなくなったのも、すべてアジルーの目を欺くための狂言だ。

 まさかアジルーも、ギャリ以外に「化け物」がいるとは思い至らなかったのだろう。ユーレクを蹴り飛ばした廊下の隅になど一度も注視しない。ユーレクの死んだふりにまんまと騙されてくれていた。


 ギャリとアジルーの苛烈な――あるいは一方的な蹂躙とも言える――闘いに乗じて、ユーレクはじりじりと少しずつ廊下を這ってガンダラのいる奥の部屋へ向かって移動していった。生きていることがアジルーに悟られないよう、貫かれた傷の修復は必要最小限にとどめていた。


 わざと斬られて死んだふりをするというユーレクの作戦を聞かされたときには正気を疑ったが、手練れのアジルーを出し抜いてガンダラの部屋に向かうにはたしかにこの方法しかないだろうと思われた。これは、ユーレクにしかできない方法だ。

 だからミカはユーレクが斬られたときそれがわざとであることは承知していたのだが、思わず出た叫びは本物だった。死なないとわかっていても、斬られて血飛沫を上げながら倒れこむ姿を見るのは心臓に悪い。ミカの悲痛な叫びもあってガンダラが騙されてくれたのだとしたら一役買ったと言えるのだろうが、心境は複雑だ。

 ガンダラがいるはずの奥の部屋の動向はわからない。ユーレクは無事にたどり着けたのだろうか。


 ミカの思考は、目の前にパッと上がった血飛沫によって中断された。またギャリが首を斬られたのだろうととっさに思ったが、見ればその首はしっかりと胴体に繋がったままだ。代わりに、ギャリの手にしたサーベルが血に濡れていた。慌てて戦況を確かめてみると、ギャリと対峙したアジルーの腕から血が流れている。

 ギャリが初めてアジルーに一太刀食らわせたのだ。

「すごい」

 限りなくドーピングに近い何かなので純粋に感心してよいものなのかどうかは疑問だが、ミカは思わずそう声をこぼしていた。


 その一太刀をきっかけに、ギャリの攻撃はアジルーに通じはじめた。

 アジルーは相当に疲労が蓄積しているのだろう。機敏な動きを見せるギャリと違い、あきらかに精彩を欠いている。足元が何度もふらついた。大剣を振るう腕も遅く、ミカでも目で追えるくらいだった。アジルーが大剣を振りかぶったが、ギャリは素早く後方に飛び、首を斬られることなく攻撃を避けた。

 勢い余ったのか、アジルーが体勢を崩してたたらを踏んだ。この好機をギャリは逃さなかった。サーベルを握りなおし、アジルーの胸から肩にかけて斜めに斬りつける。鮮血が舞った。アジルーは低く呻いて顔を顰めた。大剣が手からこぼれ落ち、両膝をついて前屈みになる。そのうなじをめがけて、ギャリが思いきり振り上げた踵を落とした。アジルーは泡を吹いて廊下に伸びた。白目を剥いている。意識を失ったようだ。

 ギャリは大きく息を吐き、顎を伝う汗を拭うと懐から縄を取りだして後ろ手にアジルーを縛りあげた。勝負はついたのだ。


 ミカは隠れていた廊下の暗がりから這いだすと、恐る恐るギャリの傍に寄った。

「や、やったね、ギャリ」

「ああ」

 ギャリは斬りつけたアジルーの傷の具合を確かめている。塞がらない傷口から血が溢れてきているが、致命傷ではなさそうだ。ギャリの服の前面がべったりと血で汚れている。アジルーのものか、一部はギャリのものだろうか。ただしギャリの傷はすっかり治癒している。不死の能力のおかげだろう。

「しばらくこのままおねんねしていてくれるといいんだがな。起きたら縄をぶち切ってまた暴れだしそうだ」

「……とどめは刺さないの。向こうは、殺す気できてたのに」

 実際、何十回と首を斬られている。

「殺さない」ギャリはすぐさま首を振った。「できるだけ無駄な命は取りたくないんだ。それが誰であれ。だって、死んだらそれで終わりだろう」

 虹色の睛がミカを見据える。

 不死者であるギャリは、自分の命には至極鈍感で無頓着だ。死ぬことを怖れない。むしろ死にたがっているくらいだ。ただそのぶん他人の命には敏感なのだろう。首を斬られれば、心臓を刺し貫かれれば、多量に血を流せば、人は死ぬ。それが本来の自然の摂理だ。


 ギャリはサーベルに付着した血をていねいに拭うと、元のように帯刀した。ふうっと息を吐く。

「早くユーレクのところに向かおう。ガンダラの部屋はこの奥だよな? きっと鍵がかかってるだろうから、あいつがそこで躓いてたらミカの助けが必要になる。あいつけっこう不器用だからな」

 本来ならば、ミカはユーレクのサポートのために一緒に先に進むはずだったのだ。しかしアジルーの猛攻を躱して突破するのはミカには困難だった。何せミカは、ユーレクと違って致命傷を受ければ死ぬ。

 ミカが同行できなかったときのためにユーレクにはいちおうミカの所持していた道具の一部を託してある。しかし、ユーレク一人でガンダラの部屋の鍵をうまく解錠できるかどうかはわからない。宿屋で何度か練習はしたのだが、結果はあまり芳しくなかった。しょせんは付け焼き刃だ。

「そうだね。早く行って鍵を開けなくちゃ」

「ああ。それに何よりあいつを一人にしておくのは心配だ」


「……心配なの、」

 何となく意外に思って訊ねると、ギャリは不思議そうに眉根を寄せてミカを見た。質問の意図がわからないといったふうだ。

「そりゃあ、心配だ。当たり前だろう」

「不死なのに?」

 ユーレクの不死の能力はギャリよりも高い。何せ首と胴が切断された程度では死なないのだ。先ほどアジルーに心臓を貫かれても平気だった。少なくとも、一人きりだからといって命の心配はないだろう。

 それならばギャリは、いったい何をそう心配に思うのか。


 ギャリは目をすがめてじっとミカを見た。吸いこまれそうな虹色の虹彩に思わずたじろぐ。何事かを考えているのか、少しの間があった。


「あいつが不死なのは、肉体だけだ」

 やがておもむろにそう言って、ギャリはぷいとそっぽを向いた。


「心はふつうに死ぬ。まあ、それは俺にも同じことが言えるんだが。……あいつはたぶんミカが思っているよりもずっと、強くないんだよ。だから俺は、生きてる限りはずっとあいつの傍にいるって決めたんだ」


 急ごう、とミカを促してギャリは薄暗い廊下を歩きだした。ミカはギャリの背中をじっと眺める。どんな表情で話していたのかはわからない。きっとギャリも見られたくなかったのだろうから、ミカはそれ以上追及しないことにした。

「待って、ギャリ」

 ずんずんと歩いていくその背中に声をかけて、ミカは小走りにあとを追った。

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