第24話 王
起床し、いつもそうするようにいちばんに窓を開けて室内の空気を入れ換える。今日は天気がよい。新鮮な空気を吸いこみ、射しこむ光に目を細め、それからすぐに違和感に気がついた。陽射しの入りかたが昨日までと違う。……また、方角が変わっている。
ユーレクは嘆息した。このあいだやっと、朝陽が射しこむようになって喜んだばかりだというのに。
だが、いつまでも落胆していてもしょうがない。手早く着替えて身支度を調える。さて朝食を食べに町へ出ようかと思ったところで、窓の外からユーレクを呼ぶ騒々しい声が聞こえてきた。
「おーい、ユーレク! 起きてるか? 一緒に酒でも飲みに行かないか!」
ギャリである。朝からずいぶんと元気のよいことだ。窓辺から顔を覗かせると、気がついたギャリがユーレクに向かって大きく手を振ってきた。今から行くことを簡潔に伝えて窓を閉めた。
ユーレクは再び嘆息すると、ゆっくりと階段を降りていった。帳場にいた店主に騒々しくしたことを詫びると、「いつものことですから」という返事がある。ユーレクは苦笑し、宿屋を出た。迷惑そうなそぶりがなかったことだけが救いだ。
ギャリはすぐ前の道で待っていた。ゆっくりと傍に寄る。
「おはよう、ギャリ」
「おはよう、ユーレク。酒を飲みに行こう」
「枕詞のように酒を使うな。……朝っぱらから飲酒の誘いとはな。王様がこんなに頻繁に遊び歩いていていいものなのか?」
そう言うとギャリは鼻を鳴らし、腕を組んで上体を反らした。
「ユーレクは本当に頭が固いな。俺は町中に民衆の様子を見に来てるんだ。ちゃんと仕事はしてる。そしてそのついでに、ユーレクと酒を飲む」
「……酒を飲むついでに様子を見に来ているの間違いだろう、」
ギャリが治めているこの町は、ひどく特殊だった。
まず、ギャリは王だが玉座に座っている時間などないに等しい。ほとんど一日じゅう町中をふらふらと徘徊している。それも護衛などはいっさいつけず、常に単独行動だ。もともと宮殿で雇われている使用人もわずかなもので、身のまわりの世話係が数人といった程度だった。
町は外界とほぼ隔絶されているような状態で、営みのほとんどすべてを自給自足で賄い、町のなかだけですべてが完結している。もちろんどうしても自給自足ができないものもあるから、そういったものだけをほかの町から仕入れている。
町はひとつところに定まることがなく、常に流れ渡っている。
あの日、ユーレクの前に移動してきたのはやはり町のほうだったのだ。ふだんはひと気のない場所を選んで移動先を定めるらしいのだが、蹲って寝ているユーレクに気がつかず見落としたのだろう。
突然町に入ってきたユーレクに民衆が警戒心を抱いたことも今ならば納得できる。よそ者などもうずいぶんと見かけていなかったのだろう。ギャリがユーレクを受け入れたことで、ユーレクは晴れてこの町の客人となった。ようやく民衆にも町への滞在を赦されたわけである。王であるギャリが歓迎すると言えば、民意は追随する。
町ごとその場所を変えれば外敵から攻められるリスクも減るだろう。「平和な都」とギャリが繰り返す理由はそこにあった。
そして、この町を動かす力を持つのが王家の血を引く人間なのである。だからみな、何かあれば王であるギャリに伺いを立てる。ギャリはそれを精査して、町を動かすかどうか、動かすならどこへ移動させるかを決める。
たとえば陽当たりが悪くて畑の作物の育ちが悪いと言われれば、陽の当たる場所を求めて移動する。暑さに体調を崩すものが増えれば、風通しのよい場所へ。そんなふうに微調整を行っていた。
だからギャリが一日じゅう町中をふらふらしながらも、民衆の声を聞きに来るのが仕事だと主張するのはあながち間違いではない。間違いではないのだが、何となくユーレクには承服しがたい。
何せギャリは何かに
王家の血筋を引くものは、今のところギャリのほかに弟と妹が二人ずつだ。うち、弟妹の一人ずつはまだずいぶんと幼い。先日先王が身罷ったために力を有するものが一人減った。王妃は外からの輿入れだから王家の血は引いておらず、町を動かす力はない。
「ところで、ギャリ。昨晩また町を移動させたのか。宿屋の窓が東向きじゃなくなっていた」
酒場に向かう道すがら、思いだして文句を言う。ああ、とギャリは相槌を打った。
「ちょっと、要望があってな。町の場所は移していないが向きだけ変えた。そういうわけだから陽当たりはしばらく我慢してくれ」
もともとユーレクは宿屋の部屋を借りるとき、東向きに窓のある部屋を希望した。一日のとっかかりは朝陽を拝むところからはじめたかったのだ。
こうもコロコロと条件が変わるようでは契約不履行だと抗議したいところだが、実のところ宿代はギャリの友人割引が利いて格安になっている。あまり文句を言えないのが現状だ。それに、借りたときにはたしかに窓は東向きにあったのだから詐欺というのともまた違うのだろう。それとも、条件が変わることの説明がなかったわけだからやはりこれは詐欺にあたるのだろうか。
「なるべく早く、戻してくれ」
とりあえず権限のあるものに申し立てておく。
町の向きがしょっちゅう変わるので、もはや東西南北は指針にならない。だからこの町の中央広場の石畳には特殊な印が刻まれており、みな頭の方角だとか右目の方角だとかで言い表すのだ。
酒場にたどり着いた二人は並んでカウンターに腰かけた。民衆が気さくに二人に声をかけてくる。
「乾杯」
ギャリがジョッキを掲げて叫んだ。
「飲みすぎるなよ。あとの仕事に支障が出る」
ユーレクはそう諫めたが、エールを呷るギャリの耳にはもはや少しも届いていなかっただろう。諦めて、ユーレクもエールを口に含む。夜になれば、また窓辺での酒盛りが待っている。
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