第4話 市場

 翌日の朝早くにミカが宿屋へ出向くと、ユーレクが出迎えてくれた。


 昨日はあのあと今後の計画についてを三人でしばらく話しあい、そろそろ騒ぎも収まっただろうという頃合いを見計らっていったん自宅に戻った。

 もうだいぶ夜も深まり、あたりは静まり返っていた。途中、ガンダラの屋敷の前を通ったが、こちらも不気味なくらい静かなものだった。泥棒騒ぎがあったなど――起こしたのはミカと、それからギャリたちだが――嘘のようだ。

 ギャリとユーレクはミカに付き添い、自宅の前まで送ってくれた。昨日この町に着いたばかりの二人よりもよほど慣れた道であるから一人でも大丈夫だと断ったのだが、「深夜に子供を一人で歩かせるわけにはいかない」という。まるきり小さな子供扱いにはやや辟易したものの、抗議してやりあうにはいろいろなことが起こりすぎていて気力がなかった。

 自宅に着き、おやすみを言って別れようとしたところで、朝にまた改めて宿屋を訪ねてくれるようギャリから頼まれたのだった。ミカは自宅の質素な寝床で浅い眠りにつき、軽い朝食をすませたあと再びギャリたちの下宿先を訪れた。


 しかしそのギャリは、まだ寝ているという。


「ちょうどいい。ミカも一緒にギャリを起こすのを手伝ってくれないか。いつも寝覚めが悪くて、起こすのに苦労するんだ」

 ユーレクに促されて一緒に部屋に入る。


 ベッドの上ではギャリが気持ちよさそうに高鼾を掻いていた。ミカはベッドの右側、ユーレクは左側に立ってギャリの頬に同時に平手打ちを食らわせる。それでもギャリは起きなかった。眉をひそめて顔の前にある二人の手を煩わしそうに振り払い、寝返りを打っただけだ。しばらくするとまた心地よさそうな寝息が高々と部屋じゅうに響き渡った。

 ユーレクが嘆息し、ミカに意味ありげな視線を寄越した。ミカはユーレクの苦労を察して苦笑する。これは相当の強者つわものだ。


 最終的に、痺れを切らしたユーレクが容赦のない肘鉄を深々と腹にめりこませ、ようやくギャリは覚醒した。


「殺す気か、」ベッドの上で呻き声を上げ腹を押さえて丸まりながら、涙目でユーレクを見上げる。

「どうせ生き返るだろう」

 ユーレクは冷ややかに言い放ち、ギャリの尻を叩いてベッドから引き摺り下ろした。

「ほら、早く準備しろ」

「乱暴だな」

「いつまでも起きないギャリが悪い。それに、ミカを待たせてるんだ。わざわざ来てくれたのに。呼びつけたのはギャリだろう」

「へいへい」

 億劫そうに髪の毛を掻きむしるギャリを、ユーレクが冷ややかな半眼で見つめている。虹色の虹彩が凄みを増していた。


 ミカは部屋の隅でハラハラしながら二人のやりとりを見守っていた。戯れと呼ぶには些か雰囲気が物騒だが、これが二人の日常なのだろうか。


 ただユーレクが辛辣なのはギャリに対してだけらしく、ギャリが支度を終えるのを待つあいだ、テーブルの上にあった檬果をひとつ取ってミカに渡してくれた。前の町で仕入れてきた残りだという。ミカはユーレクと一緒に檬果を食べながら待った。みずみずしい。甘い果物など久しぶりに食べた。果物も新鮮なものはほとんどガンダラが買い占めてしまうから、市場に出回っているのは少ししなびたものばかりだ。


 ギャリの支度が調ったところで、三人は部屋を出た。


「おや。お出かけですか」

 帳場にいた宿屋の店主が階段を降りてきた三人の姿を認めて声をかけてくる。ギャリとユーレクを見、それからやや胡乱げにミカへと視線を移した。宿泊客でもない子供がなぜこんなところをうろちょろしているのかと言いたげだ。さっき部屋を訪ねるために来たときには帳場は無人だったから、ミカは迷った末、そのまま二人の部屋に向かったのだ。


「案内を頼んだんだ。この町はまだ不慣れだから」

 店主の視線に気がついたギャリが言う。とたんに店主は納得顔になり、それはけっこうですな、と続けた。貧民の子供に仕事を与えて施しをする酔狂な旅人とでも解釈したのだろう。

 たしかに今日ミカがギャリから呼びだされたのは、町を案内してほしいと頼まれたからだった。しかしそこに金銭の授受はない。ギャリはあくまで、〈友人〉としてミカにそれを頼んだのだ。ミカもギャリたちから金銭を受け取ろうとは思わない。ギャリたちはもうミカにとって他人ではなくなっていたし、命を助けられた恩もある。


「ああ。そういえば訊こうと思ってたことがあるんだが、」

 ギャリが帳場に肘をつき、どこか芝居がかった口調で宿屋の店主に切りだした。


「何でしょう」店主は怪訝そうにギャリを見る。

「この町に、幽霊が出るという噂話を聞いたんだが……、何か知らないか」

 店主は眉をひそめ、頻りと首を傾げた。

「……さあ。そんな話は今まで聞いたことありませんけどねえ。もちろん見たこともないですよ」

「そうか。その噂を聞いて、わざわざこうしてこの町に立ち寄ったんだけどなあ」

「お客さん、物好きですね」

「こう見えてこの手の話に目がなくてね」

「いったい、どんなのが出るんです」

 興味を惹かれたのか、店主が帳場越しに身を乗りだしてくる。ギャリは小さく首を振った。

「詳しいことは俺も知らないんだ。でも、噂では若い男の霊だって聞いたけどな」


 ギャリと店主の話を、ミカとユーレクは黙って後ろで聞いていた。店主もこの手の話は好きらしく、もしも見かけたらお知らせしますよ、と鼻息荒く答えていた。ギャリも愛想よく笑って礼を言う。


「それじゃあ、お気をつけて」

 店主に送りだされて、三人は宿屋を出た。ミカは二人のあとについて歩き、それから、案内役ならば先頭に立つべきだと思いついて慌てて前に出た。

「どうだった?」

「まあまあってところかな。ちょっとわざとらしくて鼻についた」

「相変わらず手厳しいな、ユーレクは」

 後ろでギャリとユーレクがひそひそと話しているのが聞こえた。


 三人は広場を抜け、露店の並ぶ路地へと向かった。

「何だかずいぶん閑散としてるな」

 あたりを見回しながらギャリが呟く。

 ギャリの言うとおり、往来を行き交う人の姿は少ない。露店に並ぶ品数も同じように少ないし、見るからに質も悪い。みな、ガンダラのせいだ。質のよいものはすべてガンダラが買い上げてしまうから、市場までは流れてこない。流通数も減り、質は落ちているのに価格は上がる。

「ごらんのとおりだけど、」ミカはギャリとユーレクを振り返ってわざとらしく肩を竦めた。「何を買う?」

 ギャリは顎に手を当ててさすりながら渋面をつくった。ミカからガンダラの話は聞いていたものの、ここまでだとは思っていなかったのだろう。

「とりあえず食糧は補充したいところなんだが……、まずは先に腹拵えをしよう。起きてから何も食べてないから腹が減った」


 三人は近くの酒場に入った。ここでも客はまばらだった。以前は昼間から酒を飲んでは騒ぐあから顔の男たちで溢れかえっていたものだが、ガンダラがやってきてからはみな娯楽を楽しむ余裕もないのだ。


 三人は中央の丸テーブルを囲んで座った。

「何だか品数が少ないし、値段も高いな」

 品書きを手に取って眺めながら、つまらなそうにギャリがぼやく。すぐに興味を失って、手にしていた品書きをテーブルの上にぽんと投げだした。ユーレクが無言でそれを拾いあげる。行儀の悪さを批難しているのだろうが、当のギャリが気がついた様子はない。

「まあ、いいか。ミカ。遠慮なく何でも好きなものを頼め。俺が奢ってやるからさ」

「ありがとう」

 ここはありがたく恩恵に与ることにして、ミカはギャリと、それからユーレクにもお礼を言った。あたかも自分一人の金のような口ぶりだが、路銀はギャリとユーレク二人のものだろう。もっと言ってしまえば、その出所はどこかの金持ち連中から盗んだものに違いない。そう思えばこそ、あまり遠慮する気持ちは湧かなかった。

 実のところ朝食は軽くすませてきていたが、胃袋にはまだまだ余裕がある。腹がくちくなるまで食べたのなどもうずいぶんと前のことだ。母親がまだ健在で、父親もいた。


 ミカが頼んだ骨つき肉が運ばれてくると、香ばしいにおいに思わず腹が鳴った。あとからあとから溢れてくる涎がこぼれないよう気をつけるのが一苦労だった。

「喉に詰まらせないように、ゆっくり食べろよ」

 口いっぱいに肉を頬張るミカを目を細めて眺めながら、ユーレクが言う。ミカは肉にかぶりつきながら何度も頷いた。肉はパサつき、筋張っている部分も多かったが、それでも旨かった。今ばかりは小さな子供扱いも気にならない。

 ギャリとユーレクは食事よりもまず酒を楽しみたいようで、エールを注文していた。やってきたそれを呷って眉をひそめる。それからつまみのソーセージを囓ると眉間の皺がさらに深くなった。


「まずいでしょう」

 給仕にやってきた若い娘が二人の様子を見てそう声をかけてきた。ギャリは手の甲で口元を拭い、エールの入ったジョッキをテーブルに置いた。

「お世辞にも旨いとは言いがたいな」

「以前はもっと自慢の料理を提供していたんですけどね。質のいいものは全部、中央に取られてしまうんですよ。仕入れるにも高くて」娘は嘆息しながらそう愚痴る。

 中央というのはガンダラとその周辺の金持ち連中のことである。この町のもの以外にはあまり通じない言い回しだが、ミカが一緒にいるのを見てある程度の事情は把握していると踏んだのだろう。

「なるほどね、」

 ギャリはまずいエールを干すと、何かに耐えるようにぎゅっと固く目をつぶった。それでももう一杯おかわりを頼む。持て余しているソーセージの皿は、ユーレクがミカの前まで滑らせてくれた。全部食べていいという。処理係に認定されたのか、それともよほど物欲しそうに見えたのだろうか。いずれにしてもありがたい。少々まずくとも、ミカにとってはじゅうぶんご馳走だ。骨つき肉を骨までしゃぶり尽くしてしまうと、早速ソーセージに手を伸ばす。


 ギャリはここでも幽霊の話を切りだした。

「どんな噂なんですか」若い娘の給仕が首を捻りながら訊ねてくる。やはり聞き覚えはないのだろう。

「自分の生首を持って歩いてる、首なしの男の幽霊だって聞いたんだ。どこかで処刑された罪人か何かなのかもしれない」

「……さあ。聞いたことありませんね」

 でも、と、若い娘はやや声をひそめて続けた。

「中央は意に反したものを実際に何人も処刑していますから。恨みを晴らすために誰かが化けて出たんだとしてもおかしくはないかもしれません」


 そんな話を、ギャリは行く先々で訊いて回った。誰も彼も幽霊の噂話など聞いたこともないと口を揃える。ただ、出てもおかしくはないだろうというのもまた、共通した意見だった。


「見事に誰も知らないね」

 ミカはギャリにそっと耳打ちする。ギャリは虹色の睛をすっと細めて、悪だくみをしてはしゃぐ子供のように口角を持ち上げてみせた。

「そりゃあそうだろう。何せこの噂は、昨日俺たちが創作したばかりの出来たてホヤホヤなんだからな」

 実は先ほどからギャリが町じゅうに訊ねてまわっているこの幽霊話は、ガンダラへの報復計画の布石なのだった。

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