第16話 出立
「今夜、町を発とうと思う」
とうとう、ユーレクの口からそう告げられた。覚悟はしていたはずなのに、ミカは一気にずんと胃の腑が重たくなるのを感じた。頭ではわかっているつもりだったが、やはり気持ちがついていかない。できるだけ先延ばしになるようにと願っていた。ミカはギャリとユーレクの二人が好きだった。
「この町の問題も解決できたし、路銀もじゅうぶんすぎるほど調達できた。死ぬ方法も試せたしな。……死ななかったけど、」ギャリが続ける。
「明朝じゃないんだね」
気分の沈みを気取られないように、できるだけ明るい声を出すよう努める。
「夜のほうが何かと都合がいいんだ」
「そう、なんだ」
「ミカは夜には出歩かないほうがいいだろうから、逢えるのはこれで最後だな」
こんなときまで二人はミカをまるで小さな子供扱いしている。しかし、二人が思うほどもう子供ではないのだと反論する気力はミカにはなかった。
「いろいろ……ありがとう」
「こっちこそ。ミカのおかげでとても楽しく過ごすことができた」
このあとはどうするのかと訊ねると、最後に仕入れておきたいものや荷造りの準備が残っているという。酒場の娘には告白しなくていいのかとユーレクに揶揄されたギャリは、拗ねたような口調で挨拶には行くつもりだと答えた。流れで食事をしていくのかもしれない。
ミカは手を振って二人と別れると、自宅へと戻った。足取りは重い。
家に入る直前で近所のおばさんに呼びとめられた。どうしたのかと訊ねてくるその顔があまりに深刻そうだったので怪訝に思っていると、ミカが憔悴しきった様子だったためただごとではないと感じたらしい。そこまであからさまに態度に出ていたのかと自分で驚く。
これまで仲よくしてくれていた旅の二人が今日町を発つのだと事情を説明する。おばさんにはときどき二人のことを話していた。話すのが楽しかった。
それは寂しいわね、とおばさんは言う。うちでスープでも飲んでいくといいわ。こんなときはおいしいものを食べてよく眠るのがいちばんよ。ミカはありがたく家にお邪魔した。優しさが嬉しかった。
夜になってベッドに横になる。何とか眠ろうと努力するのだが、いっかな眠ることができないでいた。理由もなく気持ちが逸る。
二人はもう、町を出たのだろうか。次の町まで乗っていくダラは捕まっただろうか。もしもダラが運悪く現れなかったら、もう一日この町にとどまってくれるかもしれない……。
思考の渦を断ち切るようにベッドから跳ね起きた。服を着替え、棚の下に隠しておいた宝物を胴巻きに押しこむ。慌ただしく家を出る。そのまま宿屋へ向かって走った。すっかり夜の帳が降りて、あたりは暗い。ランタンを持ってくるのを忘れたが、見知った道であるから支障はないだろう。じき夜目も利いてくる。
しばらく宿屋の外で様子を窺っていたが、二人が出てくる気配はなかった。もう宿を引き払って次の町へと向かったのだろう。ミカはまた走った。間に合うだろうか。間に合ってほしい。
やがて町の終わりが見えてきた。砂漠の向こうに、並んで立つ二人の背中を見つけて胸が高鳴る。
「ギャリ! ユーレク!」
力の限り叫ぶ。二人は驚いてこちらを振り返った。ミカの姿を認めて、町のほうへ戻ってくる。ミカは二人の前までたどり着くと、両膝に手を当てて深呼吸をし、荒い息を整えた。
「ミカ……、どうして来たんだ。夜は危ない。見送りなら昼間に済ませただろう、」
「俺も……俺も、連れていってよ」
ユーレクの言葉に被せるようにそう言い放つ。二人は目を見開き、互いに顔を見合わせた。戸惑いが伝わってくる。考えなしに飛びだしてきてしまったが、歓迎されていないのかもしれない。ほんの小さな子供だと思われているのだとしたら、旅の足手まといだと感じたとしてもおかしくはない。そう思うと、ミカの胸はずきりと痛んだ。
「ほら、鍵開けの技能があると便利だって前に言ってたでしょう」取り繕うように続ける。「俺の技能があれば、これからは夜盗ももっとずっと楽になるよ。毎回体を切り刻まなくたっていいんだ。だから、」
ガンダラの一件で、ミカの腕前はじゅうぶんにわかったはずだ。きっと二人の役に立つことができる。けっして足手まといにはならない。
ギャリが困ったように眉尻を下げた。
「そうは言っても、お前にはお前の生活があるだろう。ここでの。俺たちの傍じゃない」
「父さんも母さんも死んだ」ミカは首を振る。「近所のおばさんにはよくしてもらってるけど……、でも俺にはもう、身寄りがないんだ」
何とか心情に訴えようとしたが、それでも二人は首肯しない。ミカはくしゃりと顔をゆがめた。ひどく惨めな気持ちになってくる。
「……そんなに、俺がいると迷惑なの、」
「違う。そんなことは思っていない」ユーレクが慌てて否定する。
「だったら連れていってよ。俺は、ギャリとユーレクの傍にいたいんだ」
「だけど、おれたちとミカとじゃ、時間の流れが違うんだ。ずっと一緒になんていられない」
「それなら俺を不死者にしてよ!」
大声で
「……方法はあるんでしょう、」
二人が同時に息を呑んだ。それは肯定と受け取れた。
ミカが不死者になれるかと訊ねたとき、二人は「できない」とは言わなかったのだ。ただ、楽しいものではないと言っただけだ。ミカもそれには同意する。永遠の命など、きっと楽しいものではない。しかしギャリとユーレクの二人とずっと一緒にいられるのならば、それも悪いことではないとも思う。
不死者に興味があったのは、二人と一緒にいたかったからなのだ。ミカはようやくそれに気がついた。
ユーレクが一歩前に出る。ミカの肩に優しく両手を置いた。オパールのような虹色の睛で……不死者の睛で、ミカをじっと見つめる。
「ミカ。お前はきっと、不死者にはなれない」
そうして残酷な言葉を告げた。
「……どうして、」
ミカの唇が震える。
「不死者になる方法はないっていうこと?」
「方法がないわけじゃない」
「だったら、どうして」
「適性がないからだ」
「……何。それ、」
ユーレクは一度口をつぐんだ。困ったように視線を逸らす。ゆっくりと口を開いた。
「ガンダラを奇襲しに行った日に、三人で杯を交わしただろう。景気づけにとおれが注いだワインだ。ミカはあれを飲んで噎せ返っていたな。まずかったんだろう。だからだよ」
いったいユーレクが何を言っているのか、ミカにはわからなかった。話が見えない。たしかに、あのワインはまずかった。まるで泥でも飲んだかのようだった。しかし、それと不死者の適性にいったい何の関係があるというのか。
「あれには、少量のおれの血を混ぜてあったんだ」ユーレクは続ける。
「……ユーレクの血?」
「安心しろ。少量なら問題はない。ただ適性を見ただけだ。……ミカは、不死者に興味があるみたいだったから。不死者になるには、おれの血を一定量摂取する必要があるんだ。適性があるものはそれを陶酔するほど旨いと感じる。適性のないものはまずいと感じるだけだ。それも、おそろしくまずいらしい」
ようやくミカにも話が見えてきた。ミカがあのワインを泥でも飲んだかのようにまずいと感じたのは、酒に不慣れだったせいではない。ミカに不死者としての適性がなかったから、ユーレクの血を受けつけなかったのだ。
ギャリがあれを飲んだあとに恍惚とした表情を浮かべていたことも思いだす。ギャリはあれを旨いと感じていたということだ。つまり、不死者としての適性がある。
そこでミカは気がついたようにギャリを見た。
「……もしかして、ギャリもかつてユーレクの血を飲んだの、」
ギャリがゆっくりと頷く。
「そうだ。俺を不死者にしたのはユーレクだ。ユーレクが不死者の始祖なんだよ」
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