第2話 熱国

「俺はギャリ。こっちはユーレク。お前は?」


「……ミカ、」


 三人が避難したのはギャリたちの宿泊先だった。町の端のほうにあるこの町唯一の宿屋で、ガンダラの屋敷からは離れている。道中、つけられているような様子もなかったから、おそらくここまでは捜索の手も及ばないだろう。

 並んだベッドのいっぽうにギャリと色白の青年――ユーレク――が座り、ミカは二人から見つめられるかたちで反対側のベッドに腰掛けていた。まるで尋問のようだ、と、ミカは思う。当人たちにそのつもりはないとしても、自分を見つめる二人分の青年の視線の圧は強い。それに、二人の持つ虹色のひとみだ。七色に輝く虹彩は神秘的ですらあり、ずっと見ていると吸いこまれてしまいそうでどうにも居心地が悪い。


 二人は自由気ままにあちこちを渡り歩いている旅人で、この町にはつい昨日たどり着いたばかりなのだという。町にはしばらく滞在するつもりでいたようだ。


 二人がこのあたりの住人でないことは、ミカには最初からわかっていた。睛の件を抜きにしてもどちらも見かけない顔だったし、何よりユーレクはあきらかに異国の出身だ。

 このあたりの人間はそのほとんどが褐色の肌に黒い髪を持つ。ミカも例外ではない。だからユーレクのような外見のものはこの地方では珍しい。おそらく出身はもっと北側の国なのだろう。


 ここは広大な砂漠に囲まれた熱国である。点在するオアシスを中心にいくつもの町が形成されている。町同士は距離が離れているためにあまり交流はない。やってくるのは旅人か行商人くらいのものだ。何せ近隣の町に行くにしても、ダラに乗って三日はかかる。


 ダラというのはこの一帯の砂漠に生息する大型の飛べない鳥で、これらは群れを成して頻繁に砂漠を移動している。暑さと乾燥に強く、太く逞しい脚を持ち、休むことなく何キロも移動ができるのでほかの町へ行くときには重宝し、捕まえてその背中に乗っていくのである。性格はおとなしく、どちらかといえば間抜けで、好物の果実をちらつかせればノコノコと寄ってきて簡単に捕まる。特に熟れた檬果マンゴーを好む。

 温厚な性格のため背中に人が乗っても荒ぶることはない。解放すればいそいそとまた砂漠のどこかへ消えていく。学習しないから次もまた同じ手で捕まるし、数も多く見つけやすい。実に手軽な移動手段なのだ。ただしその肉は筋肉質であまり旨くはないから、食糧には不向きである。これだけが唯一、ダラの傷である。


 おそらく二人もダラに乗ってここまでやってきたのだろう。このあたりの砂漠を旅するものの多くが、足として野生のダラを利用している。

 なかには常に相棒を連れている旅人もいるが、見たところ宿屋の表にそれらしい動物は見かけなかった。それに、相棒を連れていると餌の確保や体調管理の問題が出てくる。野生のダラを使えばそれらを気にかける必要はない。不要になれば乗り捨てればよいのだし、あとは勝手に砂漠に戻って自分で好き勝手に餌をあさる。


 ギャリのほうはミカと同じく褐色の肌をしているから出身はこのあたりなのかもしれないが、いったいどういった経緯でユーレクと知り合い、旅の道連れとなったのだろう。気にはなるものの、知り合ったばかりで込み入ったことを訊ねるのは不躾な気がしてミカは口に出せずにいた。


「さっきは、助けてくれてありがとう。危うく死ぬところだった。……ところで、俺の目にはギャリが一度死んで生き返ったように見えたんだけど……、」


 それに、今はもっと気にかかることがある。まずはこちらの疑問を払拭するのが先だ。


「そのとおりだよ」ギャリは口角を持ちあげて不敵に笑った。「何せ俺たちは、不死者だからな」

「俺……たち、」

 ミカはユーレクを見る。視線に気がついたユーレクが無言でミカに微笑み返した。戸惑いと驚きが入り混じる。まさかギャリだけではなく、ユーレクもだとは思わなかった。

 そもそも不死者など、本来であればおよそ信じられない荒唐無稽な話だ。聞いたところで眉唾だと思うだろう。しかし爆薬で上半身が飛散したはずのギャリが元どおりに再生するところを実際に目の当たりにしたあとでは、信じない道理はない。爆発の衝撃でぼろぼろになった服はそのままだったから、夢うつつのたぐいでもないだろう。


 ちなみにギャリは宿屋に戻ってから、真っ先に服を着替えていた。ほとんど裸同然の上半身をたまたま居合わせた宿屋の店主に訝しがられ、「ちょっと暑くて」などと実に苦しい言い訳をした。その後ろで、ユーレクが俯いて小刻みに肩を震わせていた。あれはおそらく、必死に笑いを堪えていたのだろう。


「その力は生まれつきなの、」

「いや。最初はふつうのか弱い人間だったさ」

 どこかおどけたような口ぶりでギャリが答える。

「じゃあ、いつ、どうやって……、」

「さあ、いつだったかな。もうずいぶんと昔のことだから覚えてないな。数えるのも億劫だ。でも、このへんの町が栄えて滅ぶのも何回か見てきた」


 ギャリもユーレクも、見た目は二十歳そこそこくらいに見える。不死者の能力を得たのは、おそらくそのころなのだろう。しかしギャリの話を聞く限り、二人はそれからもう何百年と生きているのに違いない。不老不死。まったく御伽噺のような話だ。

 ただ、驚きはしたものの不思議と怖いとは感じなかった。命を助けられたからかもしれない。ギャリがいなければ、今ごろはミカの体が吹き飛んでいた。先ほどのギャリの凄惨な姿を思いだし、ぞっとなる。


「おれたちは永遠の時間の道楽に、あちこち旅をして過ごしているんだ」ユーレクが言う。

「黄金郷でも探してるの?」

 ミカが訊ねると、ユーレクとギャリはじっとミカを見つめたあと互いに顔を見合わせた。ふはっ、とギャリが噴きだす。

「お前、そんな夢物語を信じてるのか」


 黄金郷は、このあたりの伝説となっている太古の昔に栄えたという神出鬼没の動くかつての国都だ。砂鯨すなくじらの背中に造られていて、砂鯨とともに移動していく。


 砂鯨は、この砂漠の海を泳ぐ巨大な鯨である――と言われている。実際に目にしたものはいない。黄金郷と同じく伝説の生き物とされていて、神の遣いにも等しい神秘的な生き物なのだ。熱国では縁起物として町の至るところに砂鯨をモチーフとした意匠が使われている。

 この宿屋にも、帳場の横に砂鯨の木彫りの置物が置かれていたのをミカは先ほど見た。部屋のベッドのヘッドボードにも砂鯨の彫刻が施されている。砂鯨専門の彫り師などがいるくらいだ。人気の彫り師ともなれば仕事を頼むのに何か月も待つことなどざらだ。その域に達すれば実入りも相当のものだから、彫り師は憧れの職業のひとつだった。


 巨大な砂鯨の背に造られた黄金郷は若き王が統治し莫大な金銀財宝を所持していたが、ある日を境に突如滅び去り、今では金銀財宝だけが眠ったままこの砂漠のどこかをさまよい続けているのだという。

 国都が滅びたのは原因不明の疫病が流行り民が一人残らず死に絶えたせいだとも、砂鯨が気まぐれを起こして地中深くに潜ったために民衆ごと国が沈んだのだとも言われている。

 黄金郷を探し当て、どこかに眠る金銀財宝を手に入れようという浪漫を抱いて旅をしているものも多い。彫り師の夢を断念したものが、今度は黄金郷探しに移るのもよくあるパターンだ。


 永遠の時間があるのならば、黄金郷捜索は暇つぶしの手慰みにはうってつけだろう。そう思ってミカは訊ねたのだが、しかしどうやら二人は黄金郷をはなから信じていないらしい。


「夢物語なんかじゃ、ない」

 憮然として反論した。ミカは、黄金郷は必ずあると信じている一人だった。繰り返される起伏のない同じ日々のなかで、それくらいの希望は持っていたかったのかもしれない。

 それに、不死者という信じがたい存在が目の前に現れた今となっては、黄金郷があったとしても何もおかしくはないだろう。むしろその存在の確信を強めたくらいだ。


「まあ、信じるのは自由だよな」

 ギャリはミカの主張を受け流す。まるで興味のない口ぶりだ。ミカは恨めしげにギャリを見た。ギャリはほんの少し困ったように肩を竦める。

「そんな顔するなよ。俺たちは本当にただ道楽で旅をしているだけだ。その合間に、死ぬ方法を探してる」

「……死ぬ方法、」


 意外な言葉に驚いたが、永遠の生に嫌気が差すこともあるのだろうとすぐに思い至る。ミカは毎日の味気ない日々が連綿と続くのを想像して、何となくギャリの気持ちがわかる気がした。そんなものは地獄でしかない。ユーレクがちらりとギャリを見て一瞬睛を曇らせた。


「それで、死ぬ方法は見つかったの、」

「さあ。手がかりひとつも見つからないな。お手上げだよ。だいたい、見つかってたらもう実践してる。おめおめとこんなところにいやしないさ」

 それはたしかにそのとおりだろう。だから二人はいまだ旅の途中なのだ。

「ちょうどいい。お前、何か死ぬのに適切な方法を知らないか。何でもいい。あるだろう、毒性の強い植物とか、猛毒を持った生き物とか、」

 さらりと物騒なことを訊ねてくる。

「それなら……炭崩スミクズレとか、かな」

 適当にいなしてもよかったが、真っ先に思い当たるものがあったのでミカは素直に答える。ギャリもユーレクもどうやら炭崩は知らないようだ。耳慣れない言葉に頻りと首を傾げている。何百年と生きてきても、まだ知らないことが世界にはあるのだ。


「それはいったいどんなものなんだ? 植物か? それとも動物なのか、」

「大蛇だよ。この町から少し東に行ったところに水溜まり程度の小さな水辺があるんだけど、そこにだけ生息してるんだ。咬まれると忽ち炭みたいに肉が崩れて死ぬからそう呼ばれてる」

 このあたりに住むものは炭崩を知っているのでめったにその水辺に近づくことはない。しかし事情を知らない旅人や、野生のダラなどがときどき犠牲になる。

「へえ。いいことを聞いたな。よく覚えておこう」

 どこか楽しげにギャリは言う。

「……炭崩を探しに行くの、」

「まあ、そのうちな。今は町に着いたばかりだし、まだ当面は道楽を楽しむさ」


「宝物庫に盗みに入ったのも、道楽?」

「ああ、そのとおりだ。ここの宿屋の店主から、中央に豪奢な屋敷を建てて贅を吸い尽くしているいけ好かないやつがいるって話を聞いてさ。ちょっと、かっぱらってやろうかと。ぼちぼち路銀も心許なくなってきてたし、」


 そう口にするギャリには少しも悪びれた様子がなかった。おそらく今までもあちこちで金品をちょろまかしながら旅をしてきたのだろう。何百年と生きていると、倫理観も擦りきれて麻痺するものなのだろうか。

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