第11話
「ではね、後は二人で話し合ってみて頂戴」
二人の気持ちを確かめることもなく、キャロラインはそそくさと客間を後にした。
(だからお母さまはあたしとクリストファーを親しくさせようとあれやこれややっていたのね。まったく効果はなかったけれど、あたしの方もだけど、クリストファーの方もあたしに全然興味なさそうだし、いったいどう思っているのかしら?)
小さくため息をつきながらふと横を見たが、クリストファーは全くいつもと変わらない様子で驚いた風にも困惑しているようにも見えない。
表情からその真意を掴み取るのは無理そうだと思ったメイベルは、この話を聞いて彼がどう思っているのか尋ねようとした。
「ねぇメイベル」
しかし、先に口を開いたのはクリストファーの方だった。
「僕はさ、何を隠そう本が大好きなんだ。小さいころからそうだった」
そりゃ、見てればわかるよ。っていうかなぜ今その話を。
つい口をはさみたくなったメイベルであったが、こんな風にクリストファーが自分から話し始めるのは珍しいどころか初めてであったこともあって、淡々とした口調で紡がれるその話にそっと耳を傾けた。
「小さなころからずっとそうだったんだ。父は跡取りではない僕を武門の道に進ませたかったようだけど、剣術には全く興味がなかった。僕の夢はね、公立図書館の司書になってずっと山ほどの本に囲まれて暮らすことだったんだよ。でもね、それは無理だった。公立図書館の司書の座は平民にしか許されていないことだったんだ。貴族が平民の職を奪うこと決して許されず、大公様が決めたことさ。どうしてなんだ。僕はただ本に囲まれていたいだけなのに。貴族に生まれたから許されないだなんて、だって僕は四男で爵位も何も関係ないっていうのにさ、ひどいよ」
話しているうちに興奮してきたのかクリストファーの語気は徐々に強まり、最後には両手をぶんぶん振り回して足をどんどんと踏み鳴らした。
(クリストファー、いつも無表情で本ばかり読んでいて、ロレッタの鉄仮面とはまた違う不穏な感じが漂っていたけれど、こんなに感情をあらわにすることがあるのね!よっぽど本が好きなんだわ)
「そう、残念だったわね」
「そうさ、残念なんてものじゃない。僕は唯一の夢をこの生まれによって失ってしまったんだ」
クリストファーは頬を紅潮させ、赤毛を振り乱してキッとメイベルの目を見据える。
思えばこんな風に顔をじっと見られるのも初めてのことだ。
「だからね、僕はどうにかして本とともに生きられる道をさがしていた。叔父上、ペンハット卿の蔵書は公国一番と聞いていたから、ここに来るのが楽しみだったんだ。そしたら思った以上のユートピアじゃないか!あぁ僕はもうここに骨をうずめる所存だよ。メイベル僕と結婚してくれ」
ん?メイベルは大きく首をかしげる。
前後の話が繋がっていないような。
「どうしてそこで結婚の申し込みになるの?」
「だってここにいるのはそうするしか他にないだろう?君だって僕じゃなくてもそのうち誰かを跡取りとして迎え入れなければならないんだ。だったら僕たちが結婚するのが一番いい。僕は君に一切興味がない。おそらく君の方もそうだろう。僕は本があればいいんだ。君には一切干渉しない。君は自分のやりたいことを好き勝手にやればいいんだ。どうだい、いい話だろう」
今までのクリストファーからは一切感じられなった情熱が込められた熱弁、その熱量にメイベルはすっかり圧倒されていた。
(クリストファーって本当に本を愛しているのね。ここまで情熱を傾けられることってあたしに何かあるのかしら?好きなことを何でもやっていい?あたしの好きなことっていったい何?あたしは何がやりたいの?どうやって生きていきたいの)
考えても、考えても、答えは出てこなかった。
好きなこと、そう考えて浮かぶのはやはりあの自分が育った海の上、けれどもうあそこには戻れない。
揺れる波を思い出しても、もうそこから立ち上る潮の香りはメイベルの鼻の奥からすっかり消え去ってしまっていた。
「ねぇ、メイベル!君の返事はどうなの?」
どうにかして書庫を自分のものにしたい。クリストファーはその必死の思いで懇願の目をメイベルに向ける。
そうだ、クリストファーの言う通りなのだ。
ここの子供になった時点で、メイベルの人生は決まっていた。
しかるべき家柄から婿を取り、夫に爵位を継がせペンハット家を守る。
それが今のメイベルに与えられた役目なのだ。
たとえそれが気に入らなかったとしても、甘んじて受けるほかはないのだ。
母であるマリネットはここを飛び出した。けれど彼女には目指す場所があった。
海の上で彼女を待っている愛する夫の腕の中、そこをめがけてただひたすらに一直線に走るにけることができた。
けれど、今のメイベルにそんな場所はない。
戻りたかったダイヤモンド号にメイベルの居場所はもうない。
陸で生きろと突き放された。
やみくもに外の世界へ飛び出しても、メイベルにはスージーのようにやりたいことがあるわけでもない。全く道筋が見えてこない。
クリストファーと夫婦になることなんて全く想像もつかなかったが、もしここで彼との縁談を断ったとしても、次から次へと新たな少年や青年が現れるだけだ。
彼らと自分が自分の両親のように運命的な恋に落ちるだなんてそんなロマンス小説のような話が自分の身に起きるはずもない。
そもそもメイベルは、恋だとか愛だとかに一切興味が持てなかった。
それならばここで話を受けてしまうのが正解なのではないか、クリストファーは自分で言っている通り一切メイベルに干渉することはないだろう。
それなら面倒な責務をさっさと片付けて、自分がやりたいと思えることをそれからゆっくり探せばいいではないか。
「いいわ、お受けする。私たちは結婚してもお互いに一切干渉しない。自由に過ごす、それでいいわね?」
「ありがとう!もちろんだよ」
狂喜の渦に巻き込まれたクリストファーは思わずメイベルの手をぎゅっと握った後その体温ではたと我にかえり、ぺこりと会釈した後でさっさと書庫へと引っ込んでしまった。
思いがけずにすんなりと二人の話がまとまったことに喜んだキャロラインは、メイベルの誕生パーティーでポーセリン人形のように着飾らせたメイベルとクリストファーの婚約を大々的に発表し、ぼんやりと立ち尽くす二人をそっちのけにして招待客のご令嬢たちの母親たちと娘の結婚準備、ドレスの話題などに花を咲かせ、ころころと明るい笑い声を大広間中に響かせたのだった。
翌年の十一月、メイベルの十八歳の成人を迎えてすぐに結婚式が行われることとなった。
教会は大公夫妻も式を挙げた公国で一番歴史あるフラワーベル教会だ。
伝統あるドレスメーカーで仕立てられたぞろぞろと重たいレースのドレス、縁起がいいとされる身内から借りた古いものの準備、真新しいレースのリボン、そのすべての準備がメイベルには面倒で、まるで自分が花嫁のようにうきうきしているキャロラインに全てを任せきりだった。
退屈、退屈、気が重い。
もうすぐ式を控えた花嫁とは思えぬような気持ちが、メイベルの心を占めている。
この一年の間にすっかり背が伸びてメイベルより頭二つ分ほど大きくなりすっかりひょろりとしたが中身は一切変わっていないクリストファーも、また同じような心持だった。
この面倒なノルマを乗り越えれば楽になる。さっさと終わらせてしまいたい。
それが二人の共通した気持ちだった。
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