第27話
ついさっきまであんなに静かだった海面が、にわかに泡立ちせわしなくなってくる。
ダイヤモンド号に、今か今かと近寄る危険を知らせるように。
徐々に、徐々に大きくなってくる風にたなびくマゼンダのどくろ、りーじいさんの色あせたバンダナを両手に持ってただぼんやりとそれを見つめていたメイベルの背中を、エディは慌てた様子でぐいぐいと強く押す。
「何やってるんだぼんやり突っ立ってるんだメイベル!危ないぞ、早く船室に隠れろ、早くっ、早くっ」
その慌てぶりと比例するようにメイベルの頭は白く白くなり、言われるがままにしかしゆっくりとデッキの扉から梯子を下って行った。
そんなメイベルを乗り越えるようにして、ジャネット、そしてハンスたちが血相を変えてデッキへと駆け上がっていく。
「アイツら、南洋で足止め食らってるはずなのに、何でこんなとこまで来た」
「そうさな、南洋には極西連合軍の警備隊がわんさかいるはずだしよ、ここいらの海域だって海軍の目も光ってるはずだろ」
「いや、ここは比干渉地帯だ。だからあたいらだってすいすいこれたんだろ、いや、くっちゃべってる暇はねぇ、さっさと追い返すぞ!ダイヤモンド号にこれ以上近づかせるな、乗り込ませるなんてもってのほかだ。いくぞ、お前ら!」
「おー!姐御の弓でさっさと追い払おうぜ」
そんな皆の威勢のいい声を聴きながら、メイベルはガタガタと震えが止まらなかった。
今までもこのような戦闘の場面に出くわしたことは、何度もある。そのたびにダイヤモンド号の勇ましい船員たちは、荒々しい海賊船を直ちに追い払っていた。
けれど、今回は何故だか不安なのだ。
あのマゼンダのどくろがどうにも不吉なものとして、胸に迫ってくる。
そんなメイベルをよそに、頭上の扉の上ではじゅんひゅんと弓の音が、「やれーやれー」という皆の声が響く。
しかし、ある時を境にその音はやみ、バババという炸裂音の後に「ぎゃぁ、わぁ」という悲鳴が聞こえてきた。
「えっ、えっ」
慌てたメイベルが頭上の扉を薄く開けて覗き込むと、そこには信じられない光景が広がっていた。
赤く焼けた鉄の珠が、雨粒のようにデッキに降っている。
これではエディの投げナイフも、ジャネットのナイフも役に立たないだろう。
「やだ、やだ、みんなが死んじゃう」
慌てて飛び出そうとしたメイベルを、誰かが後ろから羽交い絞めにした。
「おやめください、危のうございます。メイベルお嬢様、少し落ち着いてくださいませ」
振りほどけないほど力強いその腕の持ち主は、ロレッタだった。
「いや、いやだ、ロレッタ。離してよ!落ち着いてなんていられるもんですかっ、それにあたし、あたしお嬢様なんかじゃない、ダイヤモンド号の一員、家族なのよ!みんなを皆を助けに行かなきゃ」
どうにかして逃れようとするメイベルをの体を右手と足で抑え込み、ロレッタは自由になった左手で平手打ちした。
「メイベル!今出て行ってあなたに何ができるというんです。足手まといになるだけです。そんなあなたを庇って、それこそ命を落とす方がおられるかもしれないのですよ。家族だというなら、もっと彼らを信じなさい」
バシンと音がなるほど強く叩かれ赤く腫れた頬の熱さとは逆に、メイベルの気持ちは冷えて落ち着きを取り戻していった。
それと時を同じくして、頭上ではいつの間にかデッキに上がり戦闘の指揮を取っていたキャプテンダイヤモンドの怒声が響き渡る。
「エディ、武器庫に行ってライフルをありったけもってこい、旧型も新型もだ。もはや、致命傷を負わせないなどと悠長なことは言っておられんぞ。絶対に乗り込まれるなっ!」
「はい、キャプテン」
まるでいないもののようにメイベルとロレッタの横を通り抜けたエディは大量のライフルを持って、また戦闘に参加し、しばらくすると頭上はまたシーンとなった。
「もう、終わったのかしら」
メイベルがひょっこりと扉から顔を出すと、「危ない!」ジャネットの悲鳴に似た叫び声が聞こえて覆いかぶさられ、パーンと音がした後、メイベルの腫れた頬にたらりと一筋の血が流れた。
それに呼応するようにダイヤモンド号からは無数の銃声が聞こえ、そしてジャネットに覆いかぶさられたまま、今度は本当の静寂が訪れた。
「ジャ、ジャネット」
頭上のジャネットの様子を確認しようとするが、ジャネットの暖かな胸はメイベルを離さず、なにも見せようとはしない。
いつもなら到底かなわぬ力の差ではあるが、負傷したせいでその力はいつもより弱く、メイベルはその胸をすり抜けてデッキへと上がった。
肩を負傷したジャネットはメイベルの目を塞ごうとするが、痛みで顔がゆがみ思うように手が動かせない。
ジャネット以外にもハンスおじさん、リーじいさん、風読み係のフリックなど複数の負傷者がいて、洗いざらしの洗濯ものは誰のものともつかない鮮血でまだらに染まり、鉄の珠で焦げた穴が開いていた。
「あっ、あっ、あっ、あたしが洗濯なんかしてたせいで、みんなが危険に気付くのが遅れてしまった。顔なんか出したせいで、ジャネットが肩を肩を……」
ガタガタと震えて涙も出ないメイベルを、「いや、あれはメイベルのせいじゃないよ。あいつらあたいを元々狙ってたんだ」
ジャネットはやさしくなぐさめようとしたが、デッキに仁王立ちしているキャプテンダイヤモンドは違った。
「そうだ、メイベル、お前は足手まといなのだ。たとえジャネットを狙っていたにしても、お前を庇わなければ撃たれることはなかったろう。だからお前を陸に上げたというのに、自らその素性を不用意に明かし海に戻って来るとは何たることだ。このダイヤモンド号にお前の居場所はもうない、ないのだ、次の係留先で船を降りろ」
そう一喝されて、メイベルは何も言い返せなかった。
確かに父の言う通りだ。今までこのような危険な状況に出くわさなかったのは、単に運が良かっただけだ。
いや、自分が船室で隠れていた時だって、似たようなことはあったのかもしれない。
けれど、見ないようにしていただけだったのだ。
何しろ、このダイヤモンド号にライフルが常備されていたことすら、今の今までメイベルは知らなかったのだから。
「わかりました。父さん」
絞りだすような微かな声で、そう答える以外にどうすることもできなかった。
南へ、南へ、負傷したリーじいさんに変わって副総舵手のブーリーとエディが交代で操舵し、ダイヤモンド号は次の係留地へと向かっていく。
どこにいくのか、次は次は自分はどこの陸地で生きていくのか、メイベルは誰にもそれを訊く気になれなかった。
すぐに赤く染まってしまう包帯を何度も何度も洗濯し、甲斐甲斐しく負傷した船員たちの世話をするメイベルを、ジャネットは心配そうに見つめる。
「なぁメイベル、キャプテンはあんたのことが憎くてあんなことを言ったわけじゃないんだ。あんたのことを心配している。可愛い娘だから幸せに、こんな危険と隣り合わせの状況じゃなくってさ、平和な陸の上で安全に生きていって欲しいって思ってんのさ、だからあんなことを言ったんだと、あたいは思うよ。足手まといなんて、本気で思っているわけないさ。あんたがダイヤモンド号に残りたいって言うんならさ、あたいがなんとか取りなしてみるからさ、無理に降りる必要なんてないんだよ。ここはあんたの家なんだからね、あたいらは切っても切れない家族なんだからさ」
「ありがとうジャネット、でもあたしもう決めたの。陸の上でできるだけ頑張ってやってみようって、だから心配しないで、そんでさ、もし、もしまた」
いつか戻れるときになったら、おかえりって言ってね。そう言いたかった。でも言えなかった。
父の言うことはいちいちもっともで、足手まといだったのは事実だ。
そんな自分が、また戻ってきたいだなんて口が裂けても言えるはずもなかったのだ。
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