第28話

 襲撃からはや二か月、いくつかの停留地の港で薬や痛みを紛らわすために呑むジンを調達し、負傷した船員たちの傷もほぼ癒え、春の始まりを告げる三月の獅子のような風がデッキのロープに垂れ下がった洗濯物をからからと揺らすころ、メイベルは唐突に船長室へと呼ばれた。

 あの一喝された日から、メイベルと父のキャプテンダイヤモンドは目を合わせることすら一度たりともなかった。

 何も映さないはずのきらりと光る義眼すら、自分から目をそらしているのではないかとメイベルが感じるほどに。

 食事の時なぞ、酒場ですら断るお酌をロレッタからは受け入れているのを見ると、メイベルはいたたまれない気持ちになった。


 あぁ、父さんの娘がロレッタなら良かったのにね。あんなに強くて賢いんだもの。彼女なら、陸の上だって海の上だってどっちだってうまくやれるに違いないわ、伝説の女海賊にだってなれる。そうしたら自慢の娘だったでしょうに。


 そんな状態のまま気まずく過ごし、係留地までこのままなのかと思っていたところに、「メイベル、キャプテンが昼飯の後に部屋に来いってさ、二人だけの話があるらしいよ」ジャネットを通じて部屋に誘われ、メイベルは仰天していた。


 父さん、今更何の話かしら?まさか、またこっぴどく怒られるの?どこが目的地なのかまだわからないけれど、多分もうその時はそう遠くないわよね。確かにこのまま黙ったまま船を降りるのは嫌だけど、また怒られちゃうのはいやだなぁ。

 あぁ、でも前に船を降りたときのあの時のように、二人で海を眺めてお喋るするなら悪くはない、というかそうしたいな、でも置いて行かれるなんて思っていなかったから、綺麗な夜光虫のことも結局嫌な思い出になっちゃってあまり思い出さないようにしていたけど。

 でも、今回はあたしも覚悟ができているもの。ツンツン他人のように別れるよりは、あんなふうに楽しく穏やかに過ごせた方がいいわ。

 あー、どっちなんだろう、怒られるのか、楽しいのか。


 楽しみなような、怖いような、相反する気持ちを抱えたメイベルの口には、食事当番を買って出たロレッタが味付けを失敗し皆がしわしわの顔になって嘗めたしょっぱすぎて生臭い魚のスープすら、無味に感じるほどだった。


 トントントン

「父さん、来ました」

 昼食の席に現れなかったキャプテンダイヤモンドの船長室のドアを叩くと、なかからドタバタとあわただしい音が聞こえ、顎にブクブクと泡立ったシャボンをつけ半分ひげをそった状態のキャプテンダイヤモンドが現れた。

「お、おう、早かったなベル」

 その声は船を降りる前と同じ、優しく穏やかな父のそれだった。

「父さん、どうしたのその髭?」

 その声に安堵し、メイベルは昔に戻ったようにころころと笑い父の顎を指さした。

「う、うむ、そろそろ係留地につくからな、島長におまえのことをお願いするのにむさくるしい髭姿ではおられんだろう」

「島長」

 どうやら、目的地、メイベルが降りるのはどこかの島らしい。

 しかし、挨拶とは、キャプテンダイヤモンドはメイベルをただ降ろして去ってしまうつもりではなうらしい。

「そう、あたしは島で降りるのね。その話で呼んだの?」

 声が少しそっけなくなってしまう、覚悟していたとはいえこうして正面切って突きつけられると、やはり動揺して身構えてしまう。

「いや、それは違う、その前にこの髭剃ってくれないか?父さん久しぶりで上手く剃れなくてな」

「もう、仕方ないわね」

 こんなことでも父が自分を頼ってくれたのがうれしくて、メイベルの声は少し温度が上げる。

 ごつく大きな尻には小さすぎる簡素な木の椅子に座った父、シャボンのついた髭を小さな剃刀で優しく撫でるように剃る娘、久しぶりの和やかな父と娘の時間。

「いてっ、ベル、鼻の下がちょっと切れちゃったぞ、わざとやっただろ」

「違うわよ父さん、この剃刀ちょっと錆びてるじゃないの、ぼーぼー伸ばして使わなさすごなのよ」

 きゃっきゃガハハと狭い船長室にあふれる笑顔、けれどこんなひと時はもうすぐ終わりを迎える。

 別れの時が、近づいているのだ。


「今日お前を呼んだのはな、父さんの使命をお前に伝えておくためだ」

「使命?何それ」

 思いもよらない意外すぎる父の言葉だった。

「父さんが昔海軍提督だったのは、伯父さんと伯母さんに聞いてもう知っているな?」

「うん、母さんとパーティーを抜けだして知り合ったとかもペンハットのチャールズ伯父さんとキャロライン伯母さんに聞いてるよ」

「アイツら、そんなことまで…」

 髭を剃って露になった父の顔に少し紅がさす、こんな頬を赤らめる父の顔を見るのはメイベルにとって生まれて初めてのことだった。

 父にも照れるということがあるのだ。そんな当たり前のことに初めて気づく。

「まぁそんなことはさておき、父さんがこうして海賊となったことには理由があるんだ」

 照れ隠しなのかキャプテンダイヤモンドは、いきなり核心から話し始めた。

「奴隷船を捕まえるため?」

 このおかげで、テュール王子は助かった。確かに立派なことではあるが、それは海軍でもできるのではないかとメイベルはふと思う。

「いや、そうではない、海軍にはできないこと、領域を超えて悪辣な海賊船、高官の息がかかったそれらを偵察するために、私は前任者から密命を受けたのだ」

「前任者?」

「そう、伝説の海賊と呼ばれるキャプテンローズ。元はソール・オリエンス王国の王弟だった」

「ソール・オリエンス・・・」

 ユリウスのお母さんの祖国だ。

「彼は自分の素性を隠し、帝国と公国、そして共和国連合の政治の腐敗、海賊を使った各地の王族や高官の子弟の誘拐事件、そして麻薬密売についての調査をしていた。しかしその最中にソール・オリエンス王国は倒れ、彼もまたブラッディスカルの手にかかってしまった。ポイズンスカル号討伐のため遠征した時に船を見つけ、虫の息だった彼から私はその真実を聞いたのだ。元々彼の船を追いかけていて数度顔を合わせたことはあったが、きちんと口を利いたのは、それが初めてだったが私は彼の行動に理念に共鳴したんだ。「あとは託した」それが彼の最後の言葉だ。そして私は彼の遺志、そして部下、この船を引き継いだ。母さんも私の意見に賛同し、一緒に来てくれたんだ」

「じゃあ、元々ダイヤモンド号の名前はついていたの?」

 何だかすごく重要な話を聞かされているのに、どうでもいいようなことが気にかかってしまう。そして父の第一人称が、お上品に私になっていることも妙にむずむずする。

 てっきり父の義眼から、この船の名がついたと思っていたからだ。

「いや、元々はローズ号だったのだがな、どうにも気恥ずかしくてな。そうこうしているうちに、俺の目がこうなってな、ジャネットがじゃあ変えちまえってな」

 私が俺に戻ってホッとするとともに、また疑問が浮かぶ。

「ジャネットはもともとローズ号の人だったの?」

「あぁ、キャプテンローズの嫁さんだ」

「嫁さんっ、じゃあジャネットも王族?」

 ユリウスとも親戚になるではないか。

「いやいや、彼は船出するときに王族の地位を捨てていたし、そもそも先王の愛人の子で庶子だから継承権はなかった。ジャネットは彼の出自は全く知らなかったようだがな。あれはさっぱりした女だからな、その時自分で見たものしか信じねぇし、気にしないのさ」

 確かにそうだろう。王弟だとしってひるんだり、逆にその部分に魅力を感じて継承権がないと知って急に色あせてそっぽを向く、そのどちらもジャネットには似合わない。背後や権威など気にしない、自分がその目でしっかりと見たその男が魅力的だったら、それをありのままそのまま受け入れる。それがジャネットだ。

 

 ペンハット家で父が実は海軍提督だったことを既に聞いていて、衝撃が薄らいでいたのだろうか。

 キャプテンダイヤモンドにとっては、意を決して娘に告白しているであろう海賊になったきっかけ、自分の負うことになった使命、かなり重要なことを聞いているにもかかわらず、メイベルはそれに付随した人々のことがどうにも気になってしまう。


 ユリウスは自分を海賊の子孫のようなものだと言っていたけれど、実際に親戚に海賊がいたのね。庶子というところも共通点があるわ。彼本人はその事実について何も知らないのだろうけど。うーん、それにジャネットにもすごいドラマがあったのね。


「はー、でもジャネットが好きになるくらいだ。キャプテンローズってとても素敵な人だったんだろうね」

「あぁ、ちらっとした会ってないがな、見た目も中身も実にいい男だったぜ」

 キャプテンダイヤモンドは、懐かしそうに遠くを見つめる。

「お前の母さんもな、貴族のお嬢さんとは思えないくらいに跳ねっ返りだけどやさしくて強くてな、素晴らしい女性だった。だけどな、海の上の暮らしは体に相当堪えたんだろう、無理をさせちまってな・・・」

 キャプテンダイヤモンドの片目の端に、きらりと雫が浮かぶ。

「一緒にいられたのは幸せだった。連れて来たことは後悔していない、でもな、お前までこれ以上危ない目に合わせるわけにはいかねぇ、それにキャプテンローズから預かった家族たちのことを守る義務も俺にはあるんだ。メイベル、俺のことをいくら恨んでも構わない、どうか陸の上で元気に生きて行ってくれ、幸せを見つけてくれ」

 口下手の父。黙って俺の背中いついてこいというタイプの父、お世辞にも感動するようなうまいスピーチではない、けれどキャプテンダイヤモンドの父の不器用な愛情が、メイベルの胸に沁みわたっていった。

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