第18話
メイベルとユリウスは、自分の身の上について互いに全てを明かしあった。
「あたしはね、海賊のキャプテンダイヤモンドの娘としてずっと海の上で育ったの。十五歳になる少し前まで自分が子爵家のお嬢様のマリネットと海軍提督のベンジャミン・ミューラーの娘だなんて、全く知らなかった。貴族のお嬢さんなんて柄じゃなくってね、初めのころは木登りなんかして伯父さんと伯母さんにこっぴどく怒られてたんだよ」
「あはは、それは面白いね。僕も木登りやってみたいな」
「やってみなよー、なかなか楽しいわよ」
「うん、いつかね。でも植物園の木たちは、登って傷つけてしまうのが怖いから」
「そっかー、毎日大事に世話をしているもんね」
初めはメイベル、そして。
「僕の母はね、このノールレンゲボーグよりもっと北にあったソール・オリエンス王国の第三王女だったんだ。でもね、革命が起きて王宮から命からがら逃げだして、船に密航してこの国に亡命してきたんだ。それで友好関係にあった皇室に匿われたんだけど……」
そこで口ごもってしまったユリウスの背中を、メイベルはそっとさする。
「無理して言わなくたっていいよ。あたしの話なんてとんだ笑い話だからさ、それを聞いたからって自分もなんでも話そうなんって思わなくたっていいんだよ」
「ふふふ、いいよ、君には全部聞いてほしいから、うん、僕の母、フィリアは僕のように黒い髪をしていてね、この国ではすごく珍しいから、皇帝がすごく気に入っていつもそばに置いていたんだ、当時皇后陛下が長患いで南部の避暑地で静養していたのをいいことにね!」
ユリウスの唇はぶるぶると震え、白いこぶしはぎゅっと握りしめられて真っ赤になっている。
「ま、そんなこんなで僕が生まれたってわけ、だれにも祝福されない子供がね。この水族館や植物園がつくられたのもさ、庶子の皇位継承権もない僕が宮廷でぶらぶらとしているのは体裁が悪いから適当な閑職につけておけってことでさ、作られたものだから。君が、メイベルがさっき魚の居場所は海だっていっていただろう、その通りだよ。魚の居場所は広い海だというのに、僕に仕事を作るためだけに彼らはここに囚われているんだ。居場所がない僕のために、彼らの居場所も奪っている。全部僕のせいなんだ」
強く憤っていたユリウスの声は徐々に力なく、風にかき消されそうなほど小さくなっていく。
「そんなことないわ!ここにいる魚たち何だか楽しそうだもの。魚の声は聞けないけれど、あたしが海で見てきた魚たちと同じくらい、ううん、もっとかもしれない。すごく快適そうに泳いでいるわ、それはユリウス、あなたが一生懸命心を込めて世話をしているからよ。植物園の植物たちだって生き生きしているし、それにあの鷹!あんな鳥が人になついているの、あたしびっくりしちゃったわよ」
植物園の別室には元鷹狩りに使われていた鷹がいて、怪我をしていたところをユリウスが引き取ったのだという。
その鷹は植物の世話をするユリウスの方にとまり、まるで長年の友人のように寄り添っていたのだ。
「それにね、植物園もここも、だれも来ないって言ってたのにすっごくピッカピカで清潔だもの!こんなことユリウスにしかできないわ、あたしなんかものぐさで絶対真似できない。ユリウスは素晴らしいわ、祝福されていないなんてありえない、もしこれでもそういい張るっていうなら、あたしがあなたを祝福する!あなたが生まれてきてくれたことをね!ほらっ、これで誰もいないなんてもう言えないでしょう」
「あはははは、本当に君って面白いね、君に言われるならそうなんだって思えてきたよ、ありがとうメイベル、さすが雨が降る前に傘を差すような慎重なテュールがなりふり構わず教会から連れ去っただけあるね、すごく魅力的だもの」
今までになくげらげらと大笑いするユリウスに、メイベルは赤面する。
慎重な王子、一度しか会っていないとはいえそれには首をかしげざるを得ないが、それより何よりあの教会脱走事件をこのユリウスも知っていたのだ。
「やだ、そのこと知ってたの」
「うん、世知に疎い僕でもこの大ニュースは耳に入って来たよ」
「じゃあ、最初から知ってたんだ。やだ恥ずかしい」
「あーごめんごめん、それなら僕の方ももうひとつ打ち明けるよ。実はね僕のご先祖も海賊みたいなものだったんだよ。いうなれば、僕だって海賊の子孫ってことになるね」
「へっ?」
「初代国王がね、七つの海を手中に収め海王って言われていたんだ。君のところの公国もこの帝国も治めていたそうだよ、ユリウス王って言うんだけどね」
「あら、あなたと同じ名前じゃない」
「ふふふ、中身は全然違うんだけどね」
お互いの腹の内をぶちまけあったメイベルとユリウスはそれからすっかり親しくなり、それはメイベルの海から一緒である家族のキッドとビーも同じだった。
あんなに水を嫌がっていたキッドはユリウスの手にかかるとすっかり大人しくなり、まずはお湯で濡らしたタオルで拭かれるところから始まり、ブラッシング、そしてついには桶のお風呂に入れられて全身を洗われるまでに彼に身を任せるようになった。
「西の果ての方には動物の体のノミを食べてくれる鳥がいるそうなんだけどね、残念ながらここにはいないから清潔にした方がいいんだ。かゆいだけじゃなくてノミは猫の体に悪いからね」
ほんの数日間であんなに嫌がっていたお風呂にまで入れてしまうユリウス、ほへーと感心しつつもメイベルは少し面白くない。
「あーあ、キッドさんったらあたしにはあんなに嫌がったのにさ」
「ははは、僕の肩にはシーザーがいつもいるからね、キッドはそれが怖いからいい子にしているんじゃないかな」
メイベルが口を尖らせ不満を漏らすと、ユリウスは肩にいる鷹のシーザーを指さす。
実際このシーザーがいつもいることによって、キッドはともかくビーは怯えてメイベルのスカートのポケットからなかなか出てこなかった。
けれど、シーザーが自分を襲わないとわかってからはすっかりユリウスに懐いてしまい、今や彼の黒髪の中に潜り込んだりなぞする始末だ。
「うーん、やっぱりユリウスには動物を引き付ける不思議な魅力があるのだと思うわ、いいえ、魔力かも」
「あはは、魔力、じゃあ僕はいわば魔法使いかい?そりゃいいや。傑作だね」
植物園に響き渡る高らかで楽し気な笑い声、メイベルにとってこの場所はすっかり大切な場所となっていた。
ガラスで閉ざされてはいるけれど、ここにいるとまるでかつてのあの海の上でのように自由な気持ちを感じることが出来たのだ。
心の自由、それはメイベルにとって何よりもの安らぎだった。
別れ際にわざわざ約束をすることもなくユリウスと植物園や水族館で会うのが日課になり、帝国に来た名目であるはずの親善大使の役目も全くすることもなく、ただ日々が過ぎ去ってゆく。
そのゆったりとした楽しい時間に慣れ切っていたメイベルがいつものように朝食後に部屋を出ていこうとすると、ロレッタが扉の前に立ちふさがった。
「メイベルお嬢様、本日はこれから外出の予定がございます。植物園におゆきになるのはお控えくださいませ」
すっかり忘れ去っていた親善大使の役目だろうか?
帝国の名所を巡り、領主に挨拶をして回るとか。
そんなことを思ったメイベルであったが、「どこに行くの?」とロレッタに尋ねると「海です」と一言返ってきただけだった。
「海?じゃあもう公国に帰るの?」
結局何が何だかわからない滞在だったが、帰れと言われたなら帰るほかはあるまい。
キャロラインとチャールズにコテンパンに叱られるのは憂鬱だが、そしてユリウスに会えなくなるのも。
「それならせめてユリウスに一言お別れを言わせて」
あんなに心を許せる友人は、帝国どころか公国時代を通じても初めてかもしれない。
スージーも大切な人ではあるが、彼女は友人の前にガヴァネスでありメイベルの教師だ。
「いえ、外出と言いましたでしょう、帰国ではございません」
この離宮に来るときと同じ蒸気自動車、それに乗って行き着いた先は港ではなく皇室のプライベートビーチだった。
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