第12話
いよいよ、結婚式の当日になった。
ひょろりと長い体を漆黒のモーニングコートに押し込め、祖父からもらい受けた緑のアスコットタイをつけ、いつもはぼさぼさとした赤髪をぴっちりと撫でつけた新郎のクリストファー、細かく繊細に編まれたペンハット家に代々伝わるレースのヴェールに同じく裾に花模様のレースがふんだんにあしらわれたウエディングドレス姿のメイベル、別々の場所で控える二人のもとへ順番に顔を出してはキャロラインは顔をほころばせる。
新婦の付き添いとしてヴァージンロードを歩くチャールズは緊張の面持ちだ。
教会には公国中から招かれた貴族たちが今日の主役の登場を待ちわびてにこやかな表情をしている。
しかし、その中で憂鬱な表情を浮かべている二人がいた。
本日の主役であるメイベルとクリストファーだ。
(あぁ、ドレスめちゃくちゃ重い、このヴェールも首がもげそう。歴史の重みとか言うけど、古すぎてなんかいろいろなものがレースにこびりついて重いんじゃないかしら。あーあ、でも今日でやっとこのバカ騒ぎが終わるのね。さっさと誓っちゃって終わらせたいわ)
(いつまでこんな格好でいればいいんだろう。あぁ、早く終わらせてさっさと書庫にこもりたい)
婚約をすればとりあえず式まではこれといった用事はないだろうと思っていた二人であったが、実際は一度もあったことのない親族を招いての婚約披露パーティーや遠方の親戚や高位の貴族たちへのあいさつ回りでへとへとに疲れ果てていた。
その喧騒が今日の式を終えれば、全てケリがつく。
さっさと終わらせてしまいたい!その点で、二人の思いは合致していた。
ある意味でこの式を待ちわびていたとも言えるのかもしれない。
すすり泣く伯父であり今は父であるチャールズに導かれ、クリストファーのもとへと向かうメイベル、しずしずと上品に歩んでいるように見えるが、ドレスが重くてよちよちとしか歩けないのだ。
その先で待っているクリストファーは、家族が寝静まってから書庫にこもってランプの明かりで読書に耽っていたため寝ぼけ顔で欠伸をかみ殺している。
早く、早く、終われ、終われ、そんな二人の思いに同調するように式が歩みを速めていく。
すっかり元気を失った新郎と神父が目の前に揃うと、白ひげを蓄えた威厳のある司祭が背筋をピンと張り式辞を述べ始めた。
神との誓約について、そしてこの場にいるすべての人に問いかける言葉を。
「出席者の皆さんのうち、この結婚に正当な意義のあるものはこの場で申し出なさい。今、申し出がないのならば、後日それを申し出て二人の平和を破ってはならない」
その時、教会の扉が勢いよくバーンっと開いた。
「異議あり!異議あーり!」
低く響き渡る大声で叫びながら疾風のようにメイベルの前に駆け抜けてきたのは、白銀の髪、そして真っ白なモーニングコート姿の見知らぬ青年だった。
「さぁ、俺と行こう」
差し伸べられた手がぎゅっとメイベルの腕を掴む。
たくましい腕、強い力、けれどほんの少し震えている。
腕自慢の海賊たちに囲まれて育ったメイベル 護身術の一つや二つ身に着けているその手を振り払うこともできた。
しかし、メイベルはそれをせずに彼に腕をひかれるがままに呆気にとられる招待客たちの横をすり抜けて重いヴェールを振り払って、ただひたすらに走った。
扉の先へ、光の差す方へと。
その先に何か別の景色が見えるような気がしてしまったのだ 。見知らぬ海の先を目指す海賊の血が騒いだのかもしれない。
見知らぬ男性と握手はしないこと、ふとスージーの教えが脳裏をよぎって首を振る。
(いいえ、これは握手じゃないもの。大丈夫、大丈夫)
「やっと会えた。私の人魚姫」
ビュービューと騒がしい風の音に紛れて、青年がぽつりとつぶやいた声が微かに聞こえる。
「えっ、何、人魚姫?」
しかしその問いに答えはなく、彼は教会のそばに止めてあった馬車にメイベルをぎゅっと押し込めて出口をふさぐように自らも乗り込んだ。
(あー、やっちゃった。今頃大騒ぎだろうな、お母さまめちゃくちゃ怒っているだろうな、お父様はわんわん泣いているかも)
申し訳ない、そうは思いつつもメイベルの頬はゆるみ、ケタケタと笑い始めてしまった。
「あはははは、何やってるんだろうあたしったら、でもこんなバカげたことやるの久しぶり、あー可笑しいったら」
余りに笑いすぎて、腹部がちりちりと痛みだす。
その腹を抱えてまだ笑い続けるメイベルのことを、白銀の髪の青年はちらりとも見ずにむすっとした表情で腕を組んで微動だにしない。
「ねぇ、どうしてあたしを連れ去ったの?見たところ人買いって感じでもないけど」
顔を覗き込んでメイベルが問いかけてもやはり返事はない。
走りにくいハイヒールを脱ぎ捨てたつま先で青年のピカピカした革靴の先をツンツンと突いたり、フグのようにぷくーっと頬を膨らませて笑わせようとしたり、ペンハット家の娘になってから息をひそめていたメイベル元来の茶目っ気をむき出しにしてあれやこれやと試してみたが、青年は眉ひとつぴくりとも動かさない。
(うーん、ロレッタと同じ人種かしら、でも怖い感じは全然しないからちょっと違うかも)
どこに向かっているのかわからない馬車、何をやっても無反応の青年、その端正な横顔を眺めているのにも飽きてしまって、メイベルはいつの間にか目を閉じてまどろみの世界へと身を投じていた。
「お嬢様、メイベルお嬢様、目をお覚まし下さい」
すっかり眠りに落ちていたメイベルの肩をゆすって起こしたのは見慣れた顔、ペンハット家のメイドのロレッタだ。
「えっ、ロレッタ?もしかして私、夢を見ていたの?」
どこからどこまでが夢なのだろう。結婚式の朝から?それともあの青年に腕を引かれて教会から飛び出すところ?
そんな夢を見るなんて自分は思いのほかこの結婚が嫌だったのかもしれない。
けれど、陸に来た時と同じように結婚式の最中で失神してしまったとなると、後々面倒だなぁ。
考えをめぐらすメイベルの頬に、ロレッタはひんやりと濡れたハンカチーフをぴしゃりと当てた。
「ぼんやりなさっている場合じゃございませんよ、メイベルお嬢様。もうすぐ船が出発してしまいますわよ」
いつもの冷たい視線でぎろりと見られて、ひゅっと冷たい風が背筋を通り抜けるのを感じながらメイベルはあわあわとする。
「えっ、船?」
きょろきょろと辺りを見回すと、そこはあの懐かしい場所。
三年前の夏、メイベルが家族に置き去りにされたあの港だった。
「ここって港じゃない、船って、え!?どういうこと、結婚式は?」
「ご自分でお逃げになったのをもうお忘れですか?」
ロレッタの冷ややかな目、やはりあれは夢ではなく現実だったのだ。
「えっ、えっ、もしかして結婚式から逃げちゃったからあたし何か罰を受けるの?まさか島流し?」
メイベルの言葉にロレッタははぁーっとあきれたようなため息をつき、ゆっくりと首を横に振った。
「いえ、メイベルお嬢様はこれから北の帝国、ノールレングボーゲに来賓として迎えられます。いわば親善大使のようなものですね」
「へっ!一体それどういうこと?」
さっぱり意味が分からない。
自分は今日伯母であり母であるキャロラインの遠縁のクリストファーと式を挙げ夫婦になるはずだったが、見知らぬ青年に腕を引かれその場から逃げ出した。
クリストファーは四男とはいえペンハット家の子爵よりも身分の高い伯爵家の出身。
しかも招待客には大勢の貴族がいた。
大問題になっているはずなのに、そんな自分が何故?
ちんぷんかんぷんなメイベルの腕を、今度はロレッタがぐいぐい引っ張る。
「さぁ、考えるのは乗船してからにしてくださいませ」
港には、メイベルが初めて目にする巨大な蒸気船が鎮座していた。
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