第31話

「なぁメイ嬢ちゃん、今から緋茶を淹れるから、少し休憩としようかね。さぁ、ソファに座った座った」

 弟子兼雑用係とはいっても、ベベロばあさんはメイベルを手足のようにこき使ったりはしない。

 せいぜい雑巾がけと、ちょっとした買い物を頼むくらいだ。

 呼び名も呼び捨てでいいと言ったのだが、メイ嬢ちゃんで定着してしまった。

 メイベルがそれ以外の雑用をしようとすると、このように何気なく止められて弟子と師匠のティータイムが始まるのだ。

「今日は緋茶占いをしてみようか、前にも一度やったけな」

 熱く煮えたぎった湯で淹れる緋茶、その湯気が形作る形状で占いをするのだが、メイベルが淹れた緋茶はただもうもうと立ち上るばかりで、一度も物の形にならなかった。

 ベベロばあさんに淹れてもらえばとも思ったが、これは自分で淹れた緋茶でなければ、何の形にもならず、意味もなさないのだ。

「あたし、この占いで一度も物の形が現れたことがないんですよね。緋茶占いに向いてないのかしら、小さなプッピーだって上手に淹れられて今日は金柑の形だーとか今日は爺ちゃんの羊の形だーお乳を搾るんだとかわいわい言ってるって言うのに。やっぱり島の人間じゃないから無理なのかしら」

「そんなことはないさね、そもそもこれを始めたのはプリンスユリウス二世じゃ、プリンスが最初の茶葉で初めての緋茶を入れたとき、イルカのような形が現れた。その後プリンスが王国に戻る際大きな嵐に見舞われたが、その時荒れた海の激しく泡立つ波間からどこからともなく現れたイルカがひょっこり顔をだし、キューキューと鳴いた。

 激しい豪雨と波音にかき消されることなく耳に届いたその鳴き声に運命的なものを感じ取ったプリンスは、船長に命じそのイルカの後を追うことにした。イルカに誘導されるように舵を切ったプリンスの乗る船は、大嵐の難を逃れ誰一人欠くこともなく無事にソールオリエンス王国まで帰ることが出来たのじゃ。その話を聞いた島民たちは、それから緋茶の形に自分に起きるこれからを占うようになった」


 島に来てから、メイベルは緋茶を飲むたびにスカーレットプリンスの生みの親の一人であり、その名前の由来となったユリウス二世の話を聞かされていた。最初は、またユリウスと同じ名前ね。などとあのユリウスの姿が思い浮かんだが、自分たちが生れるずっと前、数百年も前の人物だというのにまるで最近あった人、直接の知り合いの話のように皆が親しみを込めてユリウス二世のことを話すので、メイベルも島の公民館に飾られている肖像画でしか見ていないユリウスと似ても似つかない浅黒く日焼けし口ひげを生やした凛々しいその顔がどんどん印象的に頭に残るようになってしまって、いつしかユリウスの顔も浮かばなくなっていった。


「でも、そのころはここは王国の一部だったのでしょ、だったらプリンスも歯科の人みたいなものじゃ」

「全く、メイ嬢ちゃんは意外と理屈っぽいところがあるな、嬢ちゃんの湯気が形にならないのはその雑念があるからじゃ、こころを静かにして淹れればおのずと何かが見えて来るであろうよ」


 たっぷりと蜂蜜をかけたクランペットを目の前に出され、早くそれが食べたいと占いそっちのけになってしまうメイベルだったが、このクランペットには緋茶、スカーレットプリンスのほのかな酸味がアクセントになってよく合うのだ。

 ベストパートナーとはまさにこういうものだとでもいうように。


 うーん、クランペットにはスカーレットプリンスが欠かせないよね。今までのやり取り枯らしてベベロ先生に淹れてくださいって頼める雰囲気じゃないし。

 よーし、なるようになれだ。湯気がまたもうもうしてるだけだったら、先生も仕方ないなってあきらめてくれるでしょ。

 無心とは程遠い状況ではあったが、クランペット食べたさにある意味静かな心境になってメイベルはどどどと勢いよくティーポッドに湯を入れた。

 すると、ガラス製のティーポッドで茶葉の花が咲くのと同時に、その口からもうもうと立ち上った湯気はまるで猫のような形となって現れたのだ。


「おぉ、少し歪んではおるが、これは確かに猫じゃな、猫は吉兆の知らせというぞ、懐かしい人に出会えるという暗示じゃ」

 自分のことではないのにどことなく嬉しそうに占いの解説をするベベロばあさんに、メイベルは複雑な心境になる。

 島に来てからというものビーは少し元気がない。プッピーに構われるのが嫌だというだけではない、最初は撫でられてもうれしそうにしていたし、ビーは言葉を離せtる訳ではないから、その気持ちを想像することしかできないのだが、これはキッドに会えない寂しさからではないかとメイベルは感じている。

 ダイヤモンド号で出会ってからというもの、ビーとキッドがこんなに離れているのは初めてのことだ。もちろんメイベルにとってもそれは同じ。

 会いたくて会いたくてたまらないのだ。

 もしこの湯気の形がキッドとの再会を現しているなら、どんなにうれしいことだろうとメイベルは思う。しかし、今キッドはロールレンゲボーグ帝国にいる。その面倒を見ているのはテュール王子だ。いくらこのスリング島が自由貿易地域といえども、一国の王子が猫を連れてふらりと訪れるほど気楽な場所ではないだろう。蒸気船で来たとしてもかなりの日数がかかる。むしろ帝国の王子という立場なら、庶民とは違って自由な地域ではなく帝国の支配下にある国や地域の方が行きやすいであろう。

 うれしい占い結果、だからこそそんな叶わぬ再会を描いでしまって余計に胸が締め付けられるような気分になり、大好きなベベロ先生のクランペットにも手が伸びなくなってしまう。


「どうしたメイ嬢ちゃん、嬉しいような悲しいようなかな、しかしこの占いは確かなものじゃぞ、楽しいことだけ頭に浮かべてクランペットをたーんっと食べな」

 さすがシャーマンとでもいうべきか、まるでメイベルの複雑な気持ちを見透かしたかのようなベベロばあさんの言葉にハッとして、少し冷めたクランペットを口に運ぶ。

「ベベロ先生、おいしいです。もやもやしてたんですけど、指摘されて何だがすっきりしました。頭に浮かんだのとは違うかもしれないけど、うれしいことがあるんだって楽しみに待っていたいと思います」

「そうじゃな、さっきはずいぶんしょぼくれた顔でため息ついておったからの」

 シャーマンとは何も関係ない。

 メイベルの気持ちはすべて顔に出ていたようだった。


「あれ、これ何かしら」


「きっとこれが必要になるから」と、ベベロばあさんお手製のフィッシュパイをお土産に持たされて緋茶農園の横のあぜ道を通りながらメイベルが帰路についていると、大きな網かごの中にくたっとした赤茶けた茶葉が山盛りになっていた。

「あー、それはダメな茶葉さね」

 後片付けをしていた農夫が教えてくれる。

「赤茶けちまった茶葉で淹れると、茶の色が血みてぇに赤黒くなっちまってな、縁起が悪ぃって売れねぇし、だからっつっててめえらで飲もうとしても酸っぱすぎて飲めたもんじゃねぇのさ。もったいねぇけんど失敗作は捨てるしかないさね」

 丹精を込めて育てた茶葉を捨ててしまう。こんなにたくさんあるのに。

「あの、捨ててしまうならあたしにこれくれませんか?」

 失敗作と言われ捨てられてしまう茶葉が何だか可哀想にも思えてきて、思わずそんな言葉が口から飛び出した。

 すると農夫はこきこきと首を鳴らしながら「ただじゃやれねぇな」などと言う。

 欲しがられると、惜しくなったのかもしれない。

「あの、でもあたし、今持ち合わせがなくって」

「その手に持ってるんは?うまそうな匂いがすっけど」

「フッシュパイです」

「なら、それと交換でいいよ」


 ベベロばあさんが必要になる。と言っていたフッシュパイは、こうして捨てられるはずだった茶葉と交換された。

「もう、夕食に食べたかったのに。どうしてそんなものと交換なさったんですか」

 プリプリ怒るロレッタをよそに、メイベルはその茶葉をぐつぐつ煮込み、草木染めの要領で古い肌着をその中に漬け込んでいく。

 失敗の茶葉からはもうもうと湯気が立ち、それはまるで鷹のような形になった。




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