第32話
血のように赤黒く毒々しい液で漬け込まれた肌着は、意外にも愛らしいベビーピンクに染めあがった。
普段使いとして使用してみたが、色持ちもよく失敗作と呼ばれた茶葉は優秀な染料であることが証明されたのだ。
「これは、スリング島の新たな名物になるかもしれないわ、絞り染めとかにしたらパッと花が咲いているようになって、とてもとても可愛いもの!」
すっかり気持ちのボルテージが上がったメイベルは、島営の幼稚園でその優秀さから地位を確立しつつあったロレッタの協力も経て島長に頼みに行き、島長の交渉で染めた布から作った商品の売り上げの5パーセントを緋茶農園組合に収めるとの条件で、全ての失敗茶葉を仕入れることができるようになった。
それからメイベルはベベロばあさんから譲ってもらった様々な布の端切れで染め上がりを試していき、島シルクのスカーフと麻のバッグを作り上げ、港の売店に置かせてもらえることとなった。
それらは緋茶の貿易で島を訪れる商人たちの妻や娘、恋人たちへの土産として大変な人気を集め、一人では手が回らなくなり村長の離れを工房として島の主婦たちがそこで働き大量生産をする運びとなった。
ベベロばあさんのところで草木染めの修行を続けつつ、売店で商品の説明と販売を担当する。
あわただしい日々の中、雨期の四月五月が風のように去っていき、いつの間にか誕生日の七月まで残り一か月というところにまでなっていた。
「わー、あたしもとうとう19歳になってしまうのね、19なんてすごく大人だって思ってたのにびっくりだわ」
「まだまだひよっこじゃありませんか。19歳なんて鼻垂れ娘ですよ」
「もー、ローったらお姉さんぶっちゃってさ、そもそもローっていくつなのよ」
「大人の女性に年を聞くもんじゃありません、ベルったら礼儀がなっていませんわ」
ダイヤモンド号の皆に次ぐ長い付き合いになったというのに、ロレッタは未だにメイベルにその年齢すら明かしてくれない。謎のままだ。いつかひょっこり話してくれるような気もするが、ひょっとしたら不老不死ですでに100歳を超えているのかも、ベベロ先生よりもずっと年上かもしれない。などと妄想するのが楽しくなってきたので、メイベルはその謎を無理に知りたいなどとは思わなくなってきた。
今ここに一緒にいてくれる。それが何よりも大事なことだと思えるからだ。
「じゃあ、あたし売店に行ってくるわね」
スカーフとバッグの売り上げが順調だとはいえ、様々な人に幅広く買ってもらうため今は安価な値段をつけている。
商品を作ってくれる主婦たちの人件費と布の調達費を除いたら、残るのは微々たる金額だ。
質素なチーズサンドの昼食を済ませ、バタバタと売店に向かいいつものように商品と同じ茶葉で染めたバンダナを巻いて店に向かいスカーフを陳列していると、「あら、かわいらしい花柄のバンダナね、それは売り物じゃないのかしら」
珍しく女性客に声を掛けられた。
少しかすれたその声がやけに耳に残って、メイベルはハッとした。
あたしはこの声を知っている。
「スージー先生っ」
顔を上げた先にいたのは、ペンハット家でメイベルのガヴァネスを務めてくれていたスージーその人だった。少し日焼けして以前は着ていなかったパンツスーツ姿だが、その力強い目の光は全く変わっていない。
「メイベル。やはりあなただったのね。その亜麻色の巻き毛でもしかしてと思ったの」
あの日の緋茶占いのことが、真っ先に思い浮かぶ。
猫の形。懐かしい人との再会、あれは確かに当たっていたのだ。
猫そのもの。キッドではなかったけれど。それでもスージーだって、メイベルが会いたくて会いたくて堪らなくて、でも二度と会えないであろうとあきらめていた人だったのだ。
売店の店主の許しを経て少しの休憩時間をもらい、メイベルとスージーは久しぶりの再会を緋茶を飲みながら喜び合った。
「スージー先生は、今も童話を書いているの?」
「ええ、童話も書いてはいるけどお友達の子供へのお手紙に入れるくらいね、今はあちこち旅をしてその模様を描いたり、文にしているのよ」
広げてくれたスケッチブックには、メイベルが目にしたことのないこのスリング島よりも南のジャングルの部族たちや色とりどりの鳥や蝶、そして北の果てのもこもこした毛皮を着た人々など目を見開くような珍しい光景が生き生きとした筆致で描かれていた。
「わー、すごい、もっとお話を聞きたいけれど、休憩は10分しかもらえなかったの。明日はお休みなんだけど、スージー先生は時間ある?」
「ごめんなさいね、もう今夜の船で立ってしまうのよ」
「そんな」
公国初の女流冒険作家として活躍しているスージーは、あちこち飛び回っていてスリング島には停泊地として立ち寄っただけだったのだった。
「また、また会えますよね」
「えぇ、信じていればきっと会えるわ。そうだ、メイベルもうすぐお誕生日よね。これあげるわ、使い古しで悪いけど」
スージーは胸元から銀の鎖のついた懐中時計を差し出した。
「えっ、こんな高価なもの」
「持っていてもらいたいのよ、代わりにそのバンダナ頂戴。とってもかわいいわ」
メイベルからもらったバンダナをキュッと巻き、スージーは東方へと旅立っていった。
怒涛の再会から一週間後、誕生日まで二週間を切ったメイベルの元へ、毎日深紅の薔薇が1本ずつ届けられるようになった。
気候のせいかこのスリング島では薔薇が育たない。そうすると島外の人間からということになるが、届け先にされている売店の店主に聞いても、「上品な年配の紳士が届けに来るのさ、名前は聞いても何も答えないのさ。私は頼まれただけだってね」とどうも要領を得ない。
商品を気に入った客が、プレゼントしてくれているのかもしれない。海の上では薔薇なんて縁がなく、ペンハット屋敷のつる薔薇は触ると棘が刺さって危ないとキャロラインに怒られるから遠巻きに見つめて匂いを嗅ぐだけだった。けれどこの薔薇のかぐわしい香りはあのつる薔薇とは比べ物にもならない。
「まぁ、貿易が終わったらもう届くこともないでしょ、それまで有難くもらっておこっと。部屋がいい匂いだってローも喜んでるしね」
しかし数日で終ると思っていた薔薇のプレゼントはその後も毎日続き、全部で10本にもなった。
「はー、こんなにもらうと何だか悪い気がしてきちゃうわ、明日の朝は早めに来てその届けてくれるっていう紳士にお礼を言って、それからもう気を使っていただかなくて結構です。十分お気持ちはいただきました。って伝言を頼もうっと」
そう決意したメイベルだったが、店主によるといつも現れるというその時間に、紳士は姿を見せなかった。
「これ以上貰っても気まずいし良かったと言えば良かったんだけど、結局お礼も言いそびれてしまったわ」
新しく染め直したスージーとお揃いのバンダナをきうるくると振り回しながら、メイベルは川べりを歩いた。今日はローが誕生日会をしてくれるというので、少し早めに仕事を上がったのだ。手作りのケーキを作ってくれるとの提案は船でのしょっぱくて生臭いスープのことを思い出して、丁重にお断りしたが。
「うーん、買ってきてくれる御馳走って何かな、変な気を出して手料理だけはやめてほしい」
ぶつぶつ独り言ちながら歩いていると、「ミャゴ、ミャゴゴウ」と背後から鳴き声がした。
この少し変わった猫の鳴き声、機嫌がいいときのキッドの特徴だ。
まさか、そんなことがあり得るのだろうか。
「キッド、キッドなのね!」
「ミャゴウッ!」
尻尾をピーンとまっすぐ立てた黒猫が、こちらへまっしぐらに駆け寄ってくる。
そして。その背後の人影は。
「やぁ、久しぶりだね、メイベル元気そうでよかったよ。約束通りキッドを君の元へと連れて来たよ。そして、お誕生日おめでとう。今日はどうしても君に直接これを手渡したくてね、全部で12本の薔薇、ダズンローズ、君への僕の気持ちだよ」
深紅の薔薇を恥ずかしそうにおずおずと差し出すその人…初めて会ったときと同じ、はにかんだようなやさしいその笑顔、漆黒の髪、雪のような白い肌。
「ユリウス…」
【第一部完】
海賊王の娘、結婚に異議を唱えられる くーくー @mimimi0120
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