第16話

「レディメイベル、この離宮は私たちのいる本宮殿とは渡り廊下で繋がっているのよ。この広間から出て突き当りを右に行けばあるわ、ずっと離宮に閉じこもっているのは退屈でしょうし、敷地内なら自由にどこでも見て回ってちょうだいね。本当は私が帝国内をあちこちご案内して差し上げたいのですけど、公務で外出する予定が詰まってしまっていてね。今夜の晩餐が精いっぱいだったのよ」

 アンネ妃からそんな言葉をかけてもらったメイベルは、翌日から早速お城探検を始めることにした。

「メイベルお嬢様、くれぐれも衛兵の目をくらまして門の外へ勝手に出ようとしたり、きゃっきゃきゃっきゃとはしゃいで走り回って高価な陶器や彫刻を粉砕したりしないでくださいましね。弁償金捻出のためにペンハットのお屋敷がなくなる羽目になってしまったらことですわよ」

「そんなことしないって!ペンハット屋敷でもやってなかったでしょ!」

「いえ、お屋敷に来られてすぐのころ、お庭のプラムの木にするするとお登りになって果実をむしゃむしゃと食べておられたでしょう。危ないから降りなさいと言われても船の帆に登るよりもずっと低いから危なくとも何ともないと。けれど結局そのあと枝が折れてしまって額をすりむかれて、キャロライン奥様が」

「あーもういいって、いいって分かったから」

 まるで小さな子供に注意するようにこんこんと諭されて、陸に上がったばかりだったかつての自分のお転婆ぶりも思い出させられて、メイベルはいたたまれないような気持ちになる。

 確かにあの頃のメイベルは陸の上の同じ年頃の令嬢たちとは違ってかなりやんちゃな少女だった。

 けれど、もうあのころとは違うのだ。

 スージーの教育を受け、いっぱしの貴族令嬢の振る舞いは身に着けていると自負している。

「安心してロレッタ、面倒は起こさないから。じゃあ行ってくるわね、さぁ探検の始まりよ!」

 そういうところですよ、とでも言いたげなロレッタの視線に気づかぬふりをしてメイベルは宮殿見物へと出発した。

 アンネ妃の言っていた通り廊下の先には本宮殿があったが、いきなりそこへ足を踏み入れるのは度胸がいる。

 もしも皇帝陛下や皇太子殿下にばったり会ってしまっても、メイベルにはその顔がわからない。もちろん相手もそうだ。

 不審者として引っ立てられてしまったりでもしたら、自由に動いていいと許可を出してくれたアンネ妃にも迷惑をかけてしまいことだろう。

「よーし、じゃああっちへ行くのはまた今度っと、ん?この廊下の突き当り……何だか壁の色が違うわね、何かしら?」

 クリーム色の壁紙の一部がうっすらと変色していて、よく見ると柱で隠れた場所にレバーのようなものがある。

 これを引いてみたい。

 メイベルの胸の中は、そんな気持ちでいっぱいになる。余計なことはしないこと。ロレッタに散々言い聞かされてはいるが、こんなものがあるとは全く聞いていなかった。

(ロレッタは貴重品を壊すなって言ってたわね、はしゃいで走り回るなとも。でも、でもさ、レバーを引くなとは言ってないわよね!そう、言ってなかったわ)

 好奇心の誘惑に負けたメイベルは、そのレバーをぐいっと勢いよく引いた。

 すると、ギイイイイイーと鈍い音がして、壁の変色した部分がメイベルを招き入れるかのようにゆっくりと開いた。

「うわ、すごい!これって隠し部屋かしら?入って、いいのかな」

 メイベルは薄暗い壁の向こう側に「入っていいですかー?」と小声で訪ねてみたが、いいとも悪いとも返事はない。

「いいや、入っちゃえ!だって、ここも敷地内には違いないもの」

 都合よく解釈したメイベルは、少しもためらうことなく足を踏み入れずんずんとその薄暗い向こう側へと歩を進めた。

 そこは想像したような部屋ではなくて細い道がただまっすぐに広がっていて、ただひたすらに先へ先へと歩いていくと突き当りに薄紫色のガラス扉があって、そこからほんのりとした光が差し込んでくる。

 メイベルは躊躇なくその扉を開けた。

 すると、そこには宮殿の中とは信じられないような光景が広がっていた。

 ドーム型のガラス天井からさんさんと差し込む光、その下にはもう秋だというのに青々とした緑の木が立ち並んでいて、その隙間を縫うように色とりどりの鮮やかな羽を身にまとった南国の鳥が悠々と飛んでいる。

「わぁ、すごい、何ここ、楽園のようだわ、あたし、ひょっとしてどこかで転んでしまってまた気を失ってしまって、白昼夢でも見ているのかしら」

 勿論、転んだ覚えなどない。

 けれど、そうとでも思わないと考えられないようなおとぎ話のような光景が自分の目に映っているのだ。

「それに、廊下は肌寒かったのにここはすごく暖かい、南国みたいだわ」

 ほぉっと吐息をついてその美しさにしばし身をゆだねていると、「やぁ、初めてのお客さんだね。ようこそ」背後からいきなり声をかけられ、ぎょっとしたメイベルはくるっと振り返った。

 そこには、金色の髪をした人ばかりのこのノールレンゲボーグ帝国では珍しく夜のような漆黒の髪をして、キャロラインのような青白いというのとは違い、雪のようにというか空気に溶けてしまいそうな透き通るほど白い肌をした少年の姿があった。

「あっ、ごめんなさい、勝手に入ってしまって、あたし、あっ私シーライト公国から来ているメイベル・ペンハットって言います。今離宮に滞在していて、宮殿のあちこちを探検していたら偶然レバーを見つけて、気になってここまで来ちゃったの」

 両手をぶんぶん振って慌てふためいて言い訳するメイベルの姿が可笑しかったのか、少年はふふっと笑って、「別に構わないよ」と言ってくれた。

「そう良かったー、あなたはここで働いているの?」

 メイベルがそう尋ねると、少年はまたふふっと笑って「そうだよ、僕はこの植物園の管理人であり園長さ」と答える。

「すごいわね!あなた私と同じくらいの年でしょうに、その若さで二つも役職を持っているなんて」

 メイベルは、感嘆の声を上げる。

「ちっともすごくなんかないよ。だってここで働いているのはぼく一人なんだから、役職は全部僕なだけさ」

「ますますすごいわ!こんな素晴らしい場所を一任されるなんて、あなたとっても優秀なのね!あっ、ところでお名前は」

 勢いよく質問攻めにして彼の名前を訊いていないことに、メイベルはやっと気づく。

「僕はユリウスだよ。もうさっき言ったけど、ここの園長」

「ユリウス、あなたにぴったりの名前ね、私もさっき言ったけどメイベルよ。どうぞよろしく」

 名乗りあったから、もう見知らぬ相手ではないだろうとメイベルが差し出した右手をユリウスはゆっくりと握った。

 その手は蒸し暑いほどのこの植物園の中なのに、ひんやりと雪のように冷たかった。

「そういえば、さっき初めてのお客さんって言っていたけど、ここには誰も来ないの?」

 なんとなく引っかかっていた疑問をメイベルがぶつけてみると、ユリウスはさっきまでとは違う少し眉の下がった笑みを作って、頷く。

「うん、ここは皇族専用の身内内だけのプライベートな植物園だからね、外部のお客さんは来ないんだ。それに皇族の人たちは忙しいからね」

「えっ、そんな場所に私が入っちゃって良かったのかな」

「いいよ、君は離宮のお客様なんだろう、身内みたいなものだろうから」

 ユリウスの言葉にほっとし、メイベルはしばしの間このところの喧騒を忘れて自然の香りを楽しみ、ユリウスの植物の水や肥料やり、鳥の餌やりの手伝いをして過ごした。

「良かったら明日もおいでね、この植物園のほかにも僕が管理している場所を案内するから、じゃあまたね」

 昼食の時間になりその場を去るときは、名残惜しくてユリウスの手を振る姿を何度も何度も振り返ってしまうほど、とても楽しいひと時だった。

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