第15話

 ロレッタの謎はさておき、あの白銀の髪の青年、テュール王子が最大の謎だ。

 あれやこれや考えてみたが、あんな印象的な髪の青年を一目でも見ていたら印象に残らないはずがない。

 ダイヤモンド号に乗っている間というのは考え難いし、やはり公国に移ってからなのだろうが、しかし、ロレッタの話だとそれより前に知っていたということになるだろう。

 となると、メイベルが公国にいたのは生まれてしばらくの間のみ。

 赤ん坊のころだったら覚えていなくても無理はない。

 メイベルの中で、王子とは赤ん坊の時に会っていたのだろう、と一応の結論は出してみたが、赤ん坊のころにしか見ていない自分になぜそこまで再会したかったのかという謎はやはり残る。

 あの口ぶりでは、ロレッタはもうあれ以上のことは教えてくれないだろう。

 ペンハット屋敷で二年間一緒に過ごし、貝のように口が堅いことは重々知っている。

 そうなるとテュール王子本人に直接訊くより他に方法はないのだが、馬車の中で眠ってしまって以来、蒸気船の中でもちらりともその姿を見ることはなかった。

 部屋に運ばれてきた遅い朝食というか昼食のハムのサンドウィッチを食べ終えた後、うんうんと考えを巡らせていたらいつの間にか窓から差し込む光が茜色になっていた。

 半日も考え込んでしまったのだ。

「メイベルお嬢様、晩餐の準備が整ったとのことで、どうぞ晩餐室までお越しくださいとのことです」

 メイベルがうなっている間どこかに姿を消していたロレッタが呼びに来る。

 慌ててドレスに着替え、髪を結ってもらい足が沈みそうなふかふかの緋色の絨毯を踏みしめながらロレッタの後をついて行くが、何となく気まずくて話しかけることはできない。

 ロレッタもいつものように無駄に口は開かず、無言でずんずんと歩く。

(あー晩餐というからには、王子もそこにいるのかしら、でも他の人もいるだろうからやたらと口は利けないわよね。うーん、どうしようかなぁ)

 うだうだと悩みながら長いテーブルの端に腰を下ろしたメイベルであったが、そこにテュール王子の姿はなかった。

 皇太子妃のアンネ妃殿下、その息女でありテュール王子の姉であるトゥーラ王女、そしてメイベル、それがこの晩餐会の全ての出席者だった。

「レディメイベル、昨日は夜更けの旅でお疲れでしたでしょう。私は皇太子妃のアンネです。テュールの母親よ。この度はあの子の我がままに巻き込んでしまって、申し訳なかったわね、でもテュールの言っていた通り本当にかわいらしいお嬢さん、ふふっ、さすがウンディーネね」

「違うわ、お母さま、ウンディーネじゃなくって人魚姫ですわ。テュールがカンカンに怒るわよ」

 母親のアンネ妃と同じ、シャンデリアの光にきらきらと輝く金色の豊かな髪のトゥーラ王女、しかしその顔は髪と違ってどんよりと暗い。

「あぁ、テュールったらとんでもないことをしでかしてくれたわ、それこそウンディーネに心を奪われたバカ男、いえ、セイレーンかも。これは外交問題になるわよ。シーライト公国は帝国より小さいとはいえ海軍は超一流と聞くわ、あぁ、もし攻め込んできたら私はここを追われて流浪の身になってしまうのね、バカ弟のせいで。こうなったらいくらお母さまが反対しようが、霊媒師を呼ぶか交霊会にいってご先祖様をお呼びししなきゃ……」

 ぶつぶつとやっと聞き取れるくらいの小さな声で繰り出されるのは、陰鬱な言葉ばかり、どうやらトゥーラ王女はかなり厭世的な性格のようだ。

 外交問題……あんな逃げ方をしてしまって残したチャールズとキャロラインのことは気にかかるが、無理やり連れ去られたわけでもなく、自分は貴族の娘とはいえ身分が高いわけでもない。王女が心配するように、公国が帝国側に何かをすることはないだろうと思いたい。

 しかし、アンネ妃やトゥーラ王女の言葉、水の精霊、人間の男と恋を知ることによって魂を得るウンディーネ、美しい声で男を惑わし海に引きずり込む海の怪物セイレーン、そして王子はじめ様々な人々の口に上った人間の王子に恋をして泡となって消えた人魚姫、伝承や神話、そして童話といった違いはあるが全て水に関係している。

 自分が海賊の、キャプテンダイヤモンドの娘だとこの人たちは知っているのか?ひょっとしてそのせいで自分はここに呼ばれた?不穏な考えにこめかみからたらりと冷や汗が流れ落ちる。

 だが、すぐに別の考えが浮かんだ。

(あぁそうだった、父さんは元々海軍提督のベンジャミン・ミューラーだったんだった。それならあたしを水と結び付けても不思議はないわね。トゥーラ王女が海軍とか言ってたのもきっとそのせいね、父さんは外国でも強くて有名だったってチャールズお父様も言っていたし)

 慌てて下手なことを口走らなくて良かった。ほっと胸をなでおろしながら、メイベルは張り付いたような笑顔を浮かべて余計なことを言わない様に、アンネ妃の話に愛想よく適当に相槌を打ち、料理が運ばれてくるのを待った。

 一度も手にしたことのなかった純銀のカテラリーで口にするのは巻貝のスープにスモークサーモンと柑橘類のサラダといった魚介尽くしで、メインとして出てきたのもやはり魚介類であるらしかったが、メイベルが今まで見たこともないものだった。

(何かしらこれ、以前父さんが南の港の食堂で食べていたロブスターにちょっと似てるけど、大きさとかが違う)

 小ぶりで、でもでっぷりと太った赤い甲羅の背の部分だけを向いて、そこにたっぷりとバターが掛けられ、ハーブが添えられている。

(なんだろう、こんなの港で見たことはない。ロブスターの子供なのかしら)

「あの、これって何ですか?」

 失言をしない様に自分から発言するのはやめようと思っていたメイベルだったが好奇心が勝り思わず質問してしまった。

「あぁ、初めてなのね、これはザリガニよ」

「ザリガニ?」

「そうよ、川で獲れるのですけれど、とても美味しいのよ。今日は女性だけで楽しみましょう。中のザリガニバターも美味ですからお試しになってちょうだいね」

 初めての食べ物、不安よりもドキドキが勝る。

 フォークで身をすくい口に入れると食感は干し肉が残り少なくなってきたときにジャネットが網をかけて時々とってくれた蟹とよく似ていて、味は陸に上がった後に父がよくお土産に持って来てくれた小エビとよく似ている。

 それに勧められたザリガニの肝、ザリガニバターもほんのりとした苦みと甘みが入り混じり、本物のバターをつけて食べると濃厚でとても美味しい。

「わぁ、とても美味しいです。見るのも食べるのも初めてでしたが、貴重な経験ができました」

 こんな良い経験をさせてもらって相槌だけでは申し訳ない。

 そんな気持ちで素直な気持ちを口にしたメイベルの顔は、自然と笑顔になっていた。

「うふふ、可愛いわ。本当に可愛い。いきなり我が帝国に来ることになってナーヴァスになっているのではと心配していたけれど、そんな愛らしい笑顔が見れてよかった。あっ、後先ほどトゥーラが言っていたことは気にしないでね。そちらのトーマス大公とはもう話がついているのよ。彼はね、私の伯父のまた従妹の子なの。子供のころはよく一緒に遊んで泣かせていたものよ、今回のことはこちらの事情によるものですから、あなたのご両親も何も処分などありませんから安心してね」

 目の前のこのお上品なアンネ妃が、肖像画でしか見たことはないが恰幅がよくいかにも君主然としたあの大公陛下をいくら子供のころとはいえ泣かせていたとは!思ったよりずっと大人らしいロレッタの年齢といいつくづく人は見た目ではわからないものだ。

 そして、船に乗ってからやはりずっと気がかりだったチャールズとキャロラインのことも心配がないことがわかり、メイベルはすっかり安堵して残りのザリガニばかりか食後のデザートのクリームチーズがたっぷりのった大きなキャロットケーキもぺろりと平らげ、アンネ妃とよもやま話をしてけらけらと笑いあった。

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