第20話

「もちろん俺も最初はそのつもりだった。時間をかけて俺を知って、そして俺の全てを受け入れてほしいって、でもそれは無理なんだ。もう時間がない」

 考えさせてほしい、メイベルの願いにテュール王子は難色を示す。

「何故?時間がないって、どういうことなの?」

 テュール王子はまだ十七歳、メイベルも年上であるが十八歳、結婚適齢期といわれる年齢ではあるが、昔ならいざ知らず今はこの年まで結婚しない人も多くいる。

 あと一年や二年待ったところで、そこまで遅いとは言われないはずだ。

「実は、僕の叔父、ユリウスが関係しているんだ?」

「えっ、あのユリウスが!?」

 メイベルの驚きの言葉に、テュール王子は少しむっとした顔をする。

「あぁ、君は僕があれこれ奔走していて会いに行けない間にずいぶんユリウスと親しくしていたようだね」

 ロレッタからの情報なのだろうか?こんなことまで筒抜けだとは。

 別にやましいことなどないのだが、何となく居たたまれない心持になる。

「あの、えっと、ユリウスは、あのぉ、ただのお友達よ」

 ただ楽しく共に時を過ごしただけ、やましいことなどやはりない、何一つないというのに、つい言い訳じみたことを言ってしまった。

「まぁ、それは知っているのだけどさ、俺が君に会いたくて仕方ない間に」

 テュール王子の機嫌はまだ直らないが、すっかりそれてしまった話を元に戻さなくては。

 メイベルは気まずいながらも、口を開く。

「その、そのメイベルが結婚話とどう関係があるの?」

「あっ、すまない。つい、ムキになってしまった」

 頭を掻きながら照れる姿に、メイベルはつい笑みが漏れる。

 可愛い人、そんな気持ちがふっとよぎり、浮ついたそれを払うようにぶんぶんと頭を振って真剣に話に耳を傾けることにする。

「ユリウスの母君の母国であるソール・オリエンス、今はグロリアス共和国になっているんだが、王政復権派の元貴族たちがユリウスを担いで国王にしようと画策しているようなんだ。王国の元貴族と縁戚関係にあるピケット公爵が関係しているらしい。彼は俺の祖父、ティタン皇帝と乳兄弟でとても親しくて、孫娘を俺の婚約者という話が持ち上がったこともあるんだ。もちろんすぐに断ったが、すると彼は今度はユリウスにと言ってきたんだ。おじいさまはこの画策について何も知らない、知られないうちに内内にことを治めるためには俺が先に伴侶を得て、帝位継承者であることを内外に示さなくてはいけないんだ」

 事情は何となく分かった。けれど、あのユリウスがそんな神輿に乗ろうとするとはとても考えられない。

「でも、ユリウスは帝位を継ぐとか王政の復権とかそんなこと考えているようにとても思えないわ」

「もちろん、俺だってユリウスと一緒に育ってきて彼にそんな野望がないことは分かっている。でも、この帝国でユリウスの立場はとても弱い。おじい様を味方につけて公爵が無理強いしてきたらユリウスは婚姻を断り切れない。身内になってしまったら後はもうやりたい放題だ。俺はあの優しいユリウスをそんな汚い政局に巻き込みたくないんだ」

 テュール王子は昔の自分への恋心ゆえに突っ走っているわけではなく、きちんと周りのことも考えていたのだ。

「そうね、あたしもユリウスにそんな思いをさせたくはないわ」

「はぁ、同じ思いなのはうれしいけど、そんなにユリウスを想っているなんて、ちょっと妬けるな」

 ぷうっと膨らんだ頬を見て、メイベルはぷっと噴き出した。

「いやだ、テュール王子ったら、そのほっぺたまるでタコみたいよ」

 けらけらと大口を開けて笑うメイベルにつられるようにしてテュール王子も白い歯をむき出しにしてははははと笑う。

 混じりあった笑い声が赤みが差してきた空に溶けるころ、メイベルは意を決して王子の瞳をじっと見た。

「あたしはあの教会であなたに腕を引かれてここまでやって来た。逃げたくてただやみくもについてきたわけじゃない、その先に何か新しい景色が開けているような予感がしたの。この展開は全くの予想外だったけれど、もし自分が何かの役に立つならあたしはそこに身を投じてみたい。これが今の正直な気持ちよ」

「それってもしかして承知してくれたってこと!ひゃっふー」

 おどけたような矯正を上げてその場で飛び跳ねそうになる王子に、メイベルは一番気にかかっている言葉を投げかけた。

「でもね、あなたは知っているでしょうけど、ダイヤモンド号は海賊船、あたしはその船長であるキャプテンダイヤモンドの娘なのよ。王子の結婚相手として、はたしてふさわしいと言える?」

 テュール王子は緩んだ頬を引き締め、真摯なまなざしをメイベルに向ける。

「それは問題ない、婚約話を断った十三のころ、俺は両親に君のことを打ち明けた。家臣に調べてもらったキャプテンダイヤモンドの正体もね、説得に何年もかかってしまって結局君を迎えに行くのがあんなに遅くなってしまったが」

「父さんの、正体……」

「うん、ベンジャミン・ミューラーといえばこのノールレンゲボーグ帝国にも名がとどろく海の英雄だ、その一粒種である君との婚姻なら国民はだれも文句は言わないだろう」

「そう、本当の父さんは、この国でそんなに有名なのね」

「うん、両親の判断でおじい様にはキャプテンダイヤモンドのことは知らせていないけれど、おじい様もベンジャミン・ミューラー提督のことはすごく気に入っていて、わが国に迎えたいとまで当時言っていたそうだからね、何も問題はないんだ」

 今も海の上を自由に走り回っているであろう父、結婚話なんて聞いたらきっと驚くだろう。

 しかも、成立はしなかったとはいえこれで二度目だ。

 父の驚いた顔を想像し、ふふふと寂しげに笑うメイベルをテュール王子はいとおし気にじっと見つめる。

 雲が晴れ、暮れゆく日の光で茜色に染まった砂浜をメイベルとテュール王子は並んで歩いた。

 つかず、離れず、一定の距離で。

 けれど、手を振った拍子にその影たちがまるで手をつないでいるように重なった。

「あっ!」

 同時に気づいた二人の声が重なる。

 互いの頬を赤く染めるのは、夕陽かそれとも……


「あーっもうっ、こんな行儀よくしてらんないわ!」

 メイベルはその赤さを隠すように、ドレスと同じ若草色の先のとがった窮屈な靴を脱ぎ捨てた。

「あー、砂がざくざくして足の裏がとっても気持ちいいわ!ねぇ、あなたもやってごらんなさいよ。それとも王子様はそんなお行儀の悪いことできないかしら?」

「言ったなー、俺だってキャプテンダイヤモンドの船に乗ってたんだぞ!」

「あはは、そうだったっけ?」


 テュール王子もぴかぴかの革靴を勢いよく脱いで放り投げ、浜辺をわーっと走り出した。

「あぁ、砂ってこんなに心地いいんだな、踏みしめると日差しのぬくもりがまだ残っているようだ」

「あら、そう?」

「そうさ、あたたかいだろう?」

 テュール王子はバサッとメイベルに砂をかけてきた。

「ちょっと、やめてよもうっ。ちょっとヒヤッとするじゃない。お返しよ」

 負けじとメイベルも砂を振りかける。

「やったなー」

 失った時を取り戻すように、二人は出会った頃の幼子のようにきゃっきゃと砂をかけあって、浜辺を走り回って笑い転げた。

 日がとっぷり暮れてしまったのにも気づかないほどに。


「メイベルお嬢様、そろそろお帰りの時間ですよ」

 そして、結婚を約束した若いカップルにしては実に幼い、浜辺の散歩もとい追いかけっこはロレッタの登場によって終わりを告げた。


 それから一月後の年明け、極夜で昼でも太陽が沈み薄暗い中、テュール王子の十八歳の誕生日であり成人を迎える一月八日に二人の挙式が行われることになった。

 新婦の両親として帝国に迎えられたチャールズとキャロラインは、久しぶりの愛しい娘との再会に感無量になって、まともに話ができないほど泣きじゃくった。

「よがった、よがった。本当に。あの時はもう二度と会えないがと思っだのに」

 アンネ妃の言っていた通り二人に一切の処分はなく、今まで通り領地を治め穏やかな日々を過ごしている。

 そして、花嫁に逃げられるという悲劇の主人公に図らずもなってしまったクリストファーといえば……

「クリストファーはお父様の大叔父様の孫娘のエレンと婚約したのよ。彼女も本の虫でね、二人でペンハット屋敷でいつも並んで本を読んでいるわ、一言も口を利かずにね。似た者同士とはまさにあのことね」

 どうやらチャールズの縁戚者と、運命的な出会いをしたらしい。

「はぁ、ヴァージンロードを歩くのは二度目だけれど、あの時とは事情が違うものな、メイベルが実の両親のように運命の恋人と一緒になるんだから」

 どうやらペンハットの両親は、帝国から説明されたメイベルが公国に来る前に王子の立ち寄った南の港で運命的に出会い、その後ずっと探していたというおとぎ話を信じ込んでいるらしい。

 特にチャールズは、実にロマンティックなのだ。

 二度目のウエディングドレス、よほどゴージャスなものかと思ったが、帝国に代々伝わるそのドレスは実につつましいものだ。

 けれど、丁寧に仕立てられたその純白のレースのドレスとヴェールを身をまとい、メイベルは満面の笑顔で待つテュール王子のもとへと向かう。

 しっかりとした足取りで、今度こそ、人生を共にする人のもとへ。

 そして、司祭のあの言葉、あの異議の場面に差し掛かった時。

 教会の扉は開かなった。しかし、参列者の一人が立ち上がって叫び声をあげる。

「異議あり!彼女は海賊王キャプテンダイヤモンドの娘です!騙されてはいけません!」

 その声の主は、ユリウス、メイベルが親友だと信じて疑わなかったその人だった。

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