第10話
「メイベル、折り入ってお話があるの」
いつものようにベッドで朝食を終えた後、ロレッタがドアを三回ノックしてトレイを下げた後で、キャロラインが神妙な面持ちで部屋に入ってきた。
「何でしょうか、お母さま」
「いえね、明日の昼下がりに客人があるのよ。私の兄の妻のまた従妹のボウゼン伯爵家の四男のクリストファーという子なのだけれどね、春に十七歳になったのよ。メイベルあなたと同じ年ね。しばらく滞在することになるけど、きっといいお友達になれると思うのよ」
何だそんなことか。一体どんな深刻な話なのかと身構えていたメイベルはほっと安堵するのと同時に不可解な気持ちになった。
何故キャロラインはあんな表情をしていたのだろう。
クリストファーというのは、ひょっとしたらとんでもない悪童なのだろうか?
そんな少年の相手をしないといけないのか、いささか面倒だなと思いつつもメイベルはどこか楽しみな気持ちにもなった。
スージーが去って以降、同じ年頃の友人を作ってみてはどうかとキャロラインに連れられてペンハット家と友好関係にある貴族の家の茶会に参加したり、逆に招いたりなどしていたのだが、令嬢たちはだれもかれも似たようなふんわりと膨らんだドレスにふんわりと丸く大きく編み上げた髪にリボンを巻いていて、全く見分けがつかない。
その上、話す内容も最先端のドレスや髪形、美味しい紅茶やケーキ、婚約がどうしたこうしたなどとどれもこれも似たり寄ったりなのだ。
全く歯ごたえがない。
平和で穏やかでのんびりとした日常、楽しみはといえばスージーの新聞連載の童話と玉に届く溌溂とした近況報告の手紙のみ、衣食住には困らないしそれはそれで素晴らしい生活なのだとは思うのだが、スージーの忙しくも充実した生き生きとした文面を読んでいるとため息をつきたくなるくらい退屈な自分の日常がうらめしくも思えてくる。
そんな日常にぴりりとしたスパイスが加わるかもしれない。
そう思えば、楽しみにもなろうというものだ。
(さぁ、どんな悪ガキがくるのかしら、伯爵家といっても四男坊では跡取りにはなれないし放蕩三昧で扱いに困ってお母さまが押し付けられたのかしら?まぁそれならそれでもいいわ。あたしは百戦錬磨の海賊たち、海の上の荒くれものたちと一緒にずっと育ってきたのよ。そんじょそこらの悪ガキくらいじゃ屁でもないわ!かかってらっしゃい。あたしがしっかりとしつけなおして差し上げてよ!)
意気揚々と遠縁の息子であるクリストファーを待ち構えていたメイベルであったが、しかして現れたクリストファーは全く以て悪ガキとも放蕩ともかけ離れた少年であった。
「お初にお目にかかります。クリストファーです。どうぞよろしくお願いします」
左手を優雅に動かし、右足をひいて、ボウ・アンド・スクレープできちんと挨拶をし品よくソファに腰かけて勧められたお茶を飲む赤毛でそばかす顔の年齢より幼く見える小柄な少年、どこからどう見てもいい子ちゃんそのものだ。
(うーん、でもまだ来たばかりだから猫をかぶっているのかもしれないわ)
メイベルは注意深くその一挙手一投足を見ていたが、あくる日になってもそのまたあくる日になってもクリストファーはいい子のままだった。
彼はメイベルと話することもなく、朝食を終えるとすぐにチャールズの書庫に行き食事の時間以外はずっとそこに入り浸っている。
かなりの本の虫のようだった。
ときたま顔を合わせると、会釈をしてそそくさと立ち去ってしまう。
人と話をするのは苦手のようだった。
(いい友達、とてもなれそうにはないわね、あたしと口をききたいとか全く思っていなさそうだもの。でも本があそこまで好きならミス・スージーの話をしたら食いついてくるかもしれないわね。彼女最近では童話や絵本のほかに大人向けの小説も書いているもの。あぁでもロマンス小説だから興味がないかもしれないわね)
話しかけてみようか、ときどきそうは思うのだが、元気があり余っている人間なら少しも怖くはないが、あそこまで大人しい人間にはこれまで出会ったことがない。下手に近寄ったら怯えさせてしまうのではと思うと、どうにも声が掛けられない。
(しかし、しばらく滞在するって言っていたけどもうだいぶ経ったわよね)
クリストファーがペンハット屋敷に来たのは庭の木々が青々とした夏の盛り、今はもう葉は色を赤に変えひんやりとした風に吹かれてちらほらと散ってきた秋なのだ。
あと半月もして十一月になれば、メイベルは十七歳の誕生日を迎えることになる。
(うーん、今年もお誕生パーティーがあるのよね。いつもの退屈なご令嬢たちがたくさん来るけど、クリストファーお話とかちゃんとできるのかしら?まぁ、彼女たちははしたないといって自分から殿方に話しかけることはないからその点は安心か、でも若い男性が一人だけぽつんといたら目立つわよね。ダンスに誘えとかそういう雰囲気になったらどうするのかしらね。ま、いっか、挨拶だけしてまた書庫に引っ込んじゃうかもしれないしね)
興味を持ちつつもその内情についてはさほど関心はない。
メイベルにとってクリストファーは同じ屋敷に住む、さほど親しくもないハウスメイト。
ただそれだけの意識だった。
クリストファーにとってもそれは同じだっただろう。
いや、メイベル以上に相手に関心はなかったかもしれない。
そんな二人をどうにか親しくさせようとキャロラインはあの手この手の手段を使ったがどれも効果はなかった。
二人で庭を散歩させればクリストファーは欅の下に腰を下ろして書庫から持ち出した分厚い本を読みふけり、メイベルは落ち葉をかき集めて焼き林檎を焼こうとし、立ち上る日を見つけて慌ててやってきたフットマンのベンに水をかけられて焚火を消されてふくれっ面になる。
ティータイムを二人で過ごさせようとそっと席を外してドアの影から見守るも、やはりクリストファーはティーカップ片手に読書に没頭し、フィナンシェを食べ終えたメイベルはさっさと席を外して窓の外で風に吹かれて舞った楓の葉を捕まえようと手を伸ばしている。
話が弾むどころか、一言の会話もないのだ。
ついにはあきらめたのか、キャロラインは二人の仲について干渉することはなくなった。
しかし、メイベルの誕生日を一週間後に控えたとある日の夕方、キャロラインはメイベルとクリストファーを客間へと呼び寄せた。
話があるのだという。
首をかしげながら入っていくと、キャロラインは羽の扇をパンっと開いてメイベルとクリストファー、双方の顔をじっと眺めてから口を開いた。
「メイベル、あなたはこのペンハット家の一人娘です。実質的な跡取りと言ってもいい。けれど、お前も承知の通りこの公国で女性が当主になることはできません、ですからクリストファーをあなたの婿に迎えて次期子爵とし、二人でこのペンハット家を継いでほしいのです」
あぁそういうことか、あの神妙な顔はそういうことだったんだ。
メイベルはやっと腑に落ちた。
いや、元からうすうすとは気づいていたのだ。
ペンハット家には男児がいない。伯父と伯母はこの家の跡を取らせるために自分を養子として迎え入れた。しかし、女性では当主にはなれない。
よく考えれば、いや考えなくてもこうなることは分かりきっていたはずだ。
でも考えたくはなかったのだ。
実の父であるベンジャミン・ミューラーは自由に生きてほしいとメイベルを陸に戻した。
けれど陸の上には自由などなかった。
メイベルの前には一本道があるばかり、右にも左にも曲がれない。
スージーのように自ら道を切り開くことなどできないのだ。
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