第4話

「そいじゃなベル、郵便局に行ったあとはぶらぶら自由に見て回って、昼過ぎに戻ってくればいいからな。俺たちは他の仕事もあるからしばらく船ん中にいなきゃなんねぇんだ」

「うん、あー市場楽しみだなぁ、おいしそうなものがあったら父さんたちにも買ってくるね」

「ははは、そんこたぁいいんだ、ベル、お前の好きなモンに使やぁいいんだ。それとなあちこち自由にっつっても酒場のある裏通りとかには行くんじゃねぇぞ。危ねぇからな」

「そんなの言われなくっても分かってますっ!もーあたしは大人なんだからっ」

「ほいほい分かったよ。ベルはもう一人前だ。だからしっかりやれるな」

「うんっ」

「じゃあな」

「行ってきまーす!」

 船を下りて何度も手を振るメイベルの姿をキャプテンダイヤモンドは昨夜とは打って変わった晴れ晴れとした笑顔で見送り、その背中が見えなくなる前に船室へと戻った。

 まるで遠ざかって消えていく背中を見るまいとするかのように。

 初めて入る郵便局、雑貨屋を兼ねたその小さな店内には色とりどりのキャンディやビスケットが並び、メイベルの目を奪う。

(わー可愛い、美味しそう。父さんやジャネットが買ってきてくれるお菓子っておいしいんだけどなんかどっしり重量感があってべとべとした茶色いのばっかなんだよね。こういうのいいなー、あっ、でもダメダメ、先に手紙出さなくちゃ)

「あの、この手紙を出したいんですが」

「あっ、はい、ふんふん、サウスイーストまでね、半銅貨です」

「あっ、これで足りますか」

 店番のおばさんに銅貨を差し出すと、おばさんは鼻眼鏡をくいっと上げてクスリと笑った。

「もちろん、じゃあお釣りね。お釣りでこの棒キャンディはどうだい?おまけして日本にしてあげるよ」

「あっ、あの」

 欲しいのはやまやまだが、二本では一人にしか分けてあげられない。

 キャプテンダイヤモンドの歯ならバリバリ噛み砕いて細かくできそうだが、そんなもの誰も欲しがらないだろうし、第一娘のメイベルですらそれは口にしたくない。

「また今度で」

 いそいそと店を出ようとするとジャネットに持たされた肩掛けカバンの口からキッドが、スカートのポケットからはビーがひょっこり顔を出す。

「あっダメダメ、ここではダメ」

 小声で言い聞かせてぐっと二匹を押し戻す。

 陸では、特にこのイーストン港のあるビリンジア公国では黒猫は魔女の使いといわれ忌み嫌われていた。

 しかしネズミ退治で猫が活躍したことからその地位は上がり今ではそんなことはただの迷信だと皆わかってはいるのだが、それでも年配者たちは未だに猫を嫌う比率が高い。

 その上ネズミまで連れているとあっては、何を言われるか分かったものではない。

 町ネズミと違ってタビネズミのビーは草食で人間に害はないのだが、一目見ただけではそんなことは分からないだろう。

「船に戻ったらさ、また自由に歩けるからね」

 こんなことならそのまま船で留守番をさせておけばとも思うのだが、いつも船の中で過ごしている二匹にも街の様子を見せてやりたかったのと、キャプテンダイヤモンドやジャネットから船の掃除をするから一緒に連れて行くように言われたことで今回は一人と二匹によるお出かけとなったのだ。

「ぜーったいに市場で飛び出して来ちゃだめだよ。もし迷子になったら見つけられなくなっちゃうからね」

 言い聞かせるように、カバンとポケットに差し込んだ手で二匹をゆっくりと撫でまわす。

 ビーは静かにまるで寝ているように動かなかったが、キッドはメイベルの手の甲をカリッと一回甘噛みしてきた。

「もうっ、おイタしないでっ、マーケットについたらあんたたちにも何か美味しいものあげるからね。ま、ビーの好きなものは売ってないけど」

 なだめすかして何とかおとなしくなったキャット入りのカバンとともに向かったマーケットはメイベルの想像以上ににぎやかな場所だった。

「わー、まるでフェスティバルみたいだわ。フェスティバルって行ったことないけど」

 幼いころジャネットに聞いたフェスティバルの様子はとても楽しそうで、メイベルの気持ちをとりこにした。

「ねぇ、またあのお話しして」

「ベルはフェスティバルの話が本当に好きだねぇ、そうだねぇタラの串焼きやキャンディーアップルを食べて空が暗くなったら花火が上がるんだ」

「花火、花火」

 夜空に花開く大輪の火の花たち、想像するだけでワクワクした。そしてキャンディーアップルもまた口のよだれが溜まるほど興味をそそられた。

「うーん、でもこれはフェスティバルじゃないから花火はないわよね、キャンディー

 アップルはーっと、ん?甘酸っぱいにおい」

 その甘い香りに誘われてふらふらと屋台に近づくと、そこにはつやつやした飴でコーティングされた小さな林檎たちが並んでいる。

「わーっ、これがキャンディーアップルね、食べたいなぁ」

「よっ、お嬢ちゃん、銅貨一枚だよ。どうだい?」

 てかてかと飴のように光る顔のおじさんがニッコリと飴を差し出したが、メイベルは少し考え込んでポケットの中の二枚の銅貨とにらめっこした。

(足りる、足りるけど、ここで使ってしまったら父さんたちにお土産が買えないわ)

「あ、あの、また後で来ます」

「そうかい」

 残念そうに手を引っ込めたおじさんにくるりと背を向けて、広場の方へと駆け出す。

 後ろ髪を引かれる思いだが、もしお金が余ればまた来ればいいのだ。

「えっと、何かいいものないかなぁ」

 ふらふらと歩き回っていたら、雑貨を売る露店に辿り着いた。

「あっ、バンダナにハンカチもある」

 キャプテンダイヤモンドはぼさぼさの髪をいつも邪魔そうに振り回し、ジャネットは汗をかくといつもシャツの袖で拭い、汗臭いと不満そうにしている。

「バンダナで結べば髪も邪魔にならないし、ハンカチで汗も拭ける!」

 ポンと手を叩いたメイベルは値段も聞かずに「これください」と店主のおばあさんに声をかけてしまった。

「はいはい、銅貨二枚だよ。サービスでこのリボンも上げようね」

 思ったより高い。けれど、しわしわの満面の笑みで青い海のようなきれいな細いリボンまで差し出されては、もう断ることなどできようもない。

「は、はい。じゃあこれで」

 これで残すは半銅貨のみになってしまった。キャンディーアップルは買えない。

 しかし、お土産をもらったキャプテンダイヤモンドとジャネットのうれしそうな顔を思い浮かべると、そんなことは大したことのないように思える。

「うーん、これだけじゃ他のみんなへは何か……」

 考え込むメイベルの腰でカバンがゆらゆらと揺れて「ミャゴー」と少し不機嫌そうな鳴き声がする。

「あっ、そうだ、あんたに約束してたもんね」

 慌てて露店を見回すと、タラの串焼きの露店が目に入った。

「くださいな、お兄さん」

「ほーい、半銅貨だよ。酢はかけるかい?」

「あっ、いいです」

 カバンの隙間からタラの串焼きを差し入れ、広場で摘んだ青々とした草をポケットに入れつつメイベルは港への道を急ぐ。

 約束の時間まではまだ余裕があるが、早く二人の喜ぶ顔が見たかったのだ。

「他のみんなにはまたいいものを買ってあげればいいよね、ふふっ、父さんもジャネットもきっと大喜びしてくれるよね」

 うきうきした足取りで港に戻ったメイベルは愕然とした。

 どこにもダイヤモンド号が見当たらないのだ。

「えっ、まさか別の場所に移動しちゃったの?」

 慌てて辺りを見回したメイベルの視線の先には信じられない光景が映った。

 見慣れたあの旗、それが小さく小さく目の端に飛び込む。

 泳いでもきっと追いつくことはできない。水平線の向こう側に消えていくダイヤモンド号。

 メイベルは、自分の家に、家族に、置き去りにされてしまったのだ。

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