12話:入院生活
郊外の大型スーパーで下着を選んでいると、美鈴の携帯電話からメールの着信音が鳴った。
《おはよう。奈々ちゃんにメール送っても返信が来ないから諦めた。だから美鈴と同伴してあげるよ。どうせ他の約束なんて無いんでしょう(笑)。今日6時でイイ? 松原真治》
一読してすぐに返信をした。
《ごめんなさい。今日と明日、お店お休みしました……、明後日もちょっとどうなるか判らないの。奈々さんも同じだと思うの。美鈴》
1分もかからずに返信すると、何事も無かったかのように買い物の続きを始めた。洗面用具などの日用品を買い終わった黒服は、下着コーナーにやってきたが、恥ずかしい、と言って、1階の喫茶店で漫画本を読んでいる、と去っていった。
またメールが着た。
《どう言う事? もしかして店移るの? 松原真治》
《ちがうよ、今2人で入院してるからムリなの(痛) 美鈴》
そう返信すると、すぐにメールの着信音がなった。
松原真治だと考えて、携帯電話を開くことなく下着を選び購入する。
領収書を書いてもらっているときにメールを確認した。
《えっ! 何、事故? 病気? 大丈夫なの? どこの病院? 見舞いに行くから教えて!! 松原真治》
美鈴は2階から1階の喫茶店に向かいながら、教えていいものかどうかを考えた。
喫茶店に入ると黒服は隣の席に大きな荷物を置いて、漫画雑誌を読みふけっていた。こっち、こっち、と黒服も同時に気が付き声を上げた。
席に着くと黒服はまた漫画雑誌に目を落とし、美鈴は水を持ってきたウエートレスに、コーヒーと日替わりサラダを頼んだ。
「このメール、どう返事すればいいの?」
美鈴は携帯電話のメールの画面を黒服に見せると、漫画雑誌から視線を上げて画面の文字を読んでいた。
「奈々さんとあたしのお客なんだけど、同伴誘われて、2人とも入院してるからムリと答えたの」
相手は松原真治だと伝えると、黒服は煙草に火を点けて考えた。
「あのお客さんのこと、奈々ちゃんはどう思ってるの?」
黒服はそれ次第だという厳しい表情で美鈴に聞いた。
「あたしにくれるって、言ってた」
美鈴は元気に明るく答えた。
それを聞いた黒服は苦笑いを浮かべ、数秒おいてゲラゲラ笑い出した。
「いずれにしても奈々ちゃんに聞いたほうがいいから、メールの返事は簡単な衝突事故で検査入院をしてる、と言っておいて、お見舞いの件は本人に聞いてからまた連絡する、ということにしよう」
黒服は自分の言葉に自分で頷きながら、美鈴が手に持っていた携帯電話を受け取り、メールを打ち出した。
《昨日2人で車乗ってたら、後ろから軽く追突されたの。全然平気なんだけど念の為の検査入院なんだって。奈々さんの携帯電話は衝撃で壊れたから、しばらく連絡つかないよ。お見舞いの件だけど、本人に聞いてみてからまた連絡するね。あとウチの店は可愛い子いっぱいいるから、これを機会に色んな人とお話してみてはどうですか? 美鈴》
この文章を黒服が作り送信した。
美鈴は、何を書いて送ったの? と携帯電話を取り返し画面を確認していると、待っていたかのように速攻で返信のメールが着た。
《携帯が壊れるくらいの衝撃だったってことは凄んじゃないの? 奈々ちゃんと同じ病院じゃないの? 近くにいないの? それに営業も上手くなったね(笑) 松原真治》
美鈴と黒服は顔を合わせて一緒になって画面を見ていた。
しつこい男だな……、と呟きながら、黒服がメールを打ち出した。
《今、看護婦さんに携帯使ってて怒られた。近いうちにこっちから連絡するから、それまでいい子で待っててね。美鈴》
そう送ると美鈴が、あたし真ちゃんに、いい子なんて言わないよ、嫌われたらどうするの、と、ちょっと怒って携帯電話を取り上げた。
黒服が半分笑いながら謝っていると、山盛りに盛られた日替わりサラダとコーヒーが美鈴の目の前に運ばれてきた。
気持ちはサラダに移り難なく怒りは静まる。
美鈴と黒服は両手一杯の買い物袋を抱えて、奈々の病室に戻ってきた。奈々は点滴を受けながら、今朝と同じように天井を黙って見詰めていた。
「奈々さん、ただいま。下着も可愛いの沢山買ってきたよ」
美鈴は1枚1枚奈々に見せながら、ベッドの下の収納スペースに入れていった。奈々は、うん、うん、とあまり興味を示さないように頷いた。
「調子悪いの?」
ベッドの横の戸棚に日用品を並べていた黒服が、奈々のションボリとした返事を不思議に思い、尋ねた。
奈々は天井を見たまま、何かを話そうとして躊躇っている様に、口元を金魚のように動かした。
しばらく間をおいて言葉になった。
「私、酷い顔なの……、皮膚移植、するかどうかって……」
奈々の孤独な呟きに、美鈴も黒服も日用品の整理整頓をしていた手が止まった。
その沈黙は3人が手を繋いで夜の湖にゆっくり沈んでいくような、暗くて冷たいものだった。
顔に火傷を負ったという事実は、誰もが知っている。そして病院に入院していれば治るものだと、漠然と考えていた。
美鈴は、奈々が休んでいる間は、奈々のお客を飽きさせないように、奈々風の会話をしてみてウケを狙ったりして頑張ろうと考え、黒服は奈々が休んでいる間は、特徴の違うホステスを五月雨式に上手く回して、奈々の指名客を飽きさせないようにしてと、オーナーから指示が出ていた。
なにせ奈々はナンバーワンだ。顧客は200人以上いる。月に2~3回来店する常連客などは、ゆうに50人は抱えているのだ。
「皮膚移植しなくても、綺麗に治るクリームがあるんだよ」
美鈴はケロッとした顔で平静を装い、少し前に美容室で読んだ週刊誌の記事をぼんやりと思い浮かべて、声に出した。
しかし、医者が皮膚移植を検討していること自体、そうとうな火傷であるということであり、美鈴も黒服も、あの美しい顔に戻る、と考えることができなくなっていた。
「顔に皮膚移植するぐらいなら……、死んだ方がいいわよね……」
美鈴の問いかけには答えず、奈々がポツリと言う。
静寂の中の溢れる、声にならない言葉に耳を傾けた。
荷物を片付け終った黒服は、希望を失い、魂の抜けた奈々という物体にかける言葉を見つけることが出来なかった。
そして腕時計を見ながら、店の準備をするのに一回帰るわ……、と気まずそうに病室を後にした。
「そんなに酷いんですか?」
美鈴は丸椅子に腰を下ろして尋ねた。
「消毒のとき見たの……、私、化け物よ……」
ため息まじりで冷静に呟いた。奈々のか弱い声に美鈴の目頭が熱くなった。
励まさなければいけないと言葉を選んでいると、1人で考えたいから、美鈴は自分の病室に戻って、と言われた。
買ってきた雑誌を奈々の手の届くところに置き、何も言わずに一礼をして病室を出た。
美鈴は自分のベッドの上で、夜に回してもらった点滴を打ちながら考えた。
このままじゃ自殺をするんじゃないか、元気を出すにはどうしたらいいのか、真ちゃんに教えるかどうかという以前に、結婚を考えている健二さんや公彦さんには絶対教えるべきではないか、2人に合って結婚の話でもすれば、生きる希望が生まれるはずだ。
しかし鉢合わせになったらどうしよう、それが原因で別れることもある。
でもお互いが奈々さんのお客さんだと思って遠慮し合うのかもしれないし、奈々さんが上手い事言うに決まっている。
常に見舞い客が来ていれば、落ち込んでいる暇も無い。
あたしの出来る事といえばそれくらいだ。
明日一日奈々さんと世間話でもして、明後日、早速店に出勤してお店の人にも見舞いに来てもらおう、そう考え、点滴がなくなったのでナースコールを押した。
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