13話:美鈴退院
次の日、美鈴は午前の点滴を終えて奈々の病室に行くと、起きてはいたが昨日とまったく変わらずに天井を見詰めていた。その目に覇気は無く、死んだ魚の目のようだった。
丸椅子に腰掛け美鈴は世間話を始めた。
奈々はその話を聞いているのか、聞いていないのかすら分からない状態であったが、とにかく話し続けた。
昼近くに先生が検診に回ってきた。
美鈴は席を外そうとしたが、私の顔見ていって、と奈々が今日始めて、はっきりとした言葉を発した。
その言葉を聞いた看護婦が、美鈴を含めてベッドを覆い隠すカーテンを閉め、包帯を取り始める。やがて先生がやってきてガーゼを剥がした。
美鈴は、わあ! と心の中で叫んだ。
その叫びが口から漏れたかどうかは分からなかったが、反射的に一瞬、目を床に伏せた。綺麗で美しい顔は、全面が赤くただれていて、イボ蛙のようにブツブツとケロイドで盛り上がり、頬の皮膚は一部欠損してずり
ありえない、生きているのが不思議、ホラー映画のモンスターだ、と美鈴は不謹慎だと分かりながらも、脳みそが判断する。
消毒液を塗る度に奈々はすごく痛がっていた。その姿を見るに忍びなくなり、ゆっくりと退室し、自分の病室に戻り検診を待った。
ベッドに横になりながら、今後なんと励ませばいいのかを考えた。
素人目にも綺麗に完治する事は考えられない、死にたいと言っていた気持ちは本当によくわかる。もし自分だったら、死を選ぶのかもしれない。
ましてや奈々さんのように、綺麗だ、可愛いね、と言われ続けて今の地位を築いた人なら尚更だ。と美鈴は思った。
少しすると美鈴の病室にも検診が来て、治療は簡単に終る。
昼食が運ばれてきたので食べていると、音の切ってある携帯電話が光った。
携帯を開くとメールだ。
《今から行くけど、何か必要なものある?》
担当の黒服からだ。
《特に無いけど、奈々さんとは顔の話はしないでね、病院に来るときはあたしの部屋から先に来てね、そのとき話すね。美鈴》
病室で30分待っていると、黒服が鼻息を荒くしてやってきて、そんなに酷いの? と美鈴の顔を見るなり訊いてきた。
「たぶん……、復帰はムリだよ……」
美鈴はベッドから上半身を起こして、見たままの奈々の病状を説明し、精神状態もヤバイと付け加えた。
黒服は恐れていた事が現実のものになったことを呑み込む。しばらく考え込んでから話し出した。
「昨日若林さんが店に来て、奈々ちゃんに同伴ズラされたって怒ってたけど、何て言って良いか分かんなかったから……」
そこまで黒服が話すと、近くにあったボックスティシュの箱に手を伸ばし、テッシュを1枚取りだして、額の汗を拭いた。
「プライベートまでは、店は関知していないから分かりません。もしかしたら仲の良い美鈴が知っているのかもしれないから、明日連絡させます。と言ったから」
若林健二の名刺を美鈴に渡した。裏に携帯メールのアドレスを書いてもらったから、と黒服が言うので美鈴は手に持っていた名刺を裏返した。
「それ、あたし辛いですよ、何てメールすればいいんですか?」
アドレスを自分の携帯電話に登録しながら、黒服に不満を漏らした。
「若林さんは難しい人なんだ。特に黒服には厳しいから。入院したなんて言ったら、病院とか全部教えなきゃいけなくなるに決まっている。でも女性が言うとハラスメントを気にしてか、急に甘い顔になるからさ。マジで大切な客だから、お願いね」
美鈴と黒服でメールの文書を考えていると、午後の点滴が運ばれてきたので、黒服は奈々の病室に行った。
美鈴は逸る気持ちから点滴の速度を勝手に速めて、携帯電話片手に若林健二に送る文章を、頭を振り絞って作成した。
15分で点滴も終り、美鈴は早速奈々の病室に行く。
相変わらず死んだ魚だった。
黒服は間が持たないのか女性週刊誌を読んでいる。
奈々は美鈴の顔を見るなり静かに話し出した。
「顔見たでしょ……、美鈴なら生きてる?」
奈々はじっと美鈴の表情を窺っていた。その質問に黒服もビックリして女性週刊誌から目を離し、奈々と美鈴の顔を交互に見ていた。
美鈴はベッドの足元に立ったまま言葉を選んだ。
「それぐらいなら、多分治りますよ。それに結婚もしなきゃ」
美鈴は出来るだけ明るく振舞い、軽いいつもの口調で話したが、目が泳いでいた。奈々はそんな美鈴の目を見て、優しいんだね、と微笑む。
「結婚かぁ……」
奈々は天井を見詰めたまま、ぼんやりと語った。
その言葉を聞いた美鈴と黒服は、同時に目が合い小さく頷き合った。
美鈴の退院の日が来た。
午前中に母が向いに来て1階のロビーで退院手続きをしていた。美鈴は時間の許す限り奈々の病室にいた。
午前10時を少し過ぎた頃に母が奈々の病室に顔を出し、終ったから帰るわよ、と奈々に軽く会釈をして呼びに来る。
「美鈴、帰還します」
笑いながら右手を額にあて、軍隊の敬礼のまねをした。
「私の分も仕事頑張ってね」
リレーでバトンを渡されたかのように奈々に言われた。
6人部屋の病室は哀愁に満ちた2人だけの、一瞬時間が止まった空間になった。
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