14話:経営方針
太陽が西に傾きだした、まだ人通りのほとんど無い繁華街の道を、カラオケリース会社の車や貸しおしぼり屋のワゴン車を横目に、美鈴は勤務している店に、駆け足で向かった。
4日振りに店のドアを開けると、開店前の店内は普段の白茶色の印象とは逆の、眩しいほどの光量で隅々まで輝き、シャンデリアが悲鳴を上げているようであった。
入口近くのソファーに、ラフな格好をしたオーナーと、そのまま仕事が出来る状態の格好をしている店長と、担当の黒服3人が腰を下ろしていた。
美鈴が店内に入ると3人同時に視線を移し、オーナーは腕時計を見ながら、早かったな、と声をかけ、座るように指示した。
そして事故のこと、怪我のことを労わった後に話し出す。
「奈々ちゃんはそんなに酷いの?」
しかめっ面をしながら、オーナーは聞いてきた。
「顔……、焼けただれている……、たぶん痕残ると思う……」
美鈴は今にも泣きそうな顔で話した。
美鈴の表情や話し振りを見ていた3人は、話が終わると目を床に移し、おのおのの思いから、ただ頷いていた。
数秒なのか数分なのか、気まずい沈黙がしばらく続いた。
「親戚が夕飯を作っているときに油をこぼして、右足全体に大火傷を負ったことが去年あったけど、運ばれた救急病院に紹介された皮膚科の専門病院で治療をしたら、綺麗に痕が消えたんだ」
黒服は身近に起こった話しを大きな声で演説のように話したが、火傷は程度の問題である事をよく知っているせいか、どこか自信がなさそうだった。
それでも美鈴は、そこに今すぐ聞いて! と興奮して黒服に詰め寄った。オーナーからも、頼む、と言われ、携帯電話を手に持って、電波のいい店外に出て行った。
「差し当たっての営業だが……」
オーナーは話を切り出し、隣に座っている店長の顔を見た。
「ほとんどのお客は奈々指名です。指名がかぶり過ぎていて、指名されても10分程度しかお付けできませんが……、と言うと、違う子を指名するか、フリーで入るか、諦めて帰るかというのが現状です」
店長はオーナーに説明し、テーブルに置かれていた、飲みかけの缶ジュースを一口飲み、一拍置いてまた話し出した。
「当店に来る客の5割が受付で奈々と言い、2割が里美、3割が残りの50人のホステスなのです」
5割という数字に驚き、目を大きくしながら、そんなに売り上げ上げてないぞ、と店長に訊いた。
「5割と言っても、実際にお客を怒らせない程度に、上手く回そうと考えると1日10組が限界で、ほとんどのお客には奈々を諦めてもらっています」
納得したのか頷きながらシワクチャに潰れた煙草をポケットから取り出し、火を点け、何でそんなに人気があるんだ、と首をかしげた。
「私の方針で、ずば抜けて綺麗なタレントホステスを1人作り、そのホステスを一目見ようと来店するお客を、何とか繋ぎ止め集客増を計りました。その為に情報誌5誌に掲載している当店の広告のすべてに、奈々のアップの顔写真を毎月、思考を凝らして撮影し、載せています。外で配る割引券や無料案内所のポスターも同じです。雑誌やテレビの取材もすべて奈々にお願いしています。店内入口の写真指名用のパネルも奈々は一回り大きく載せて、他の女性と差を付けています。そのかいがあって、一度奈々と酒を飲みたいお客が、一度断っても2度、3度と店に足を運ぶようになり、そのうちにほとんどのお客が、他の女性と酒を飲んでいってくれるのです」
「何で奈々1本に絞るんだ。辞めた時の事を考えた事あるのか」
オーナーは、奈々と云うよりも、経営方針に疑問を抱いた。
「昔、人気ナンバーワンクラスのキャバ嬢ばかりを集めたキャバクラがありました。そこで何が起こったかというと……」
言葉を遮ってオーナーが口を挟む。
「どうせホステス同士の人間関係でダメになったんだろう。それより今聞きたいのは、どうして奈々1人に力を入れたのかという事だ」
「違います。最後まで聞いて下さい」
オーナーは頷く。
「そのナンバークラスばかりを集めたキャバクラは、たしかに店は込んでいましたが、お客さんは誰一人として、本指名をしないのです。フリーで20分おきに付くキャバ嬢が、どれもこれもナンバークラスの上物だから、いうなれば、誰が席に付いてもお客としては嬉しいのです。本指名が貰えないキャバ嬢は、どんなにお客にお金を使わせても、売上はすべて店のもの。自分の給料に反映されないから、頑張る気力がなくなるのです。そして店の売り上げは上がらず、またキャバ嬢は、すぐに他店に移って、自分の美貌に合ったお給料を稼ぐのです」
そこまで一気に話し、また缶ジュースを飲んで喉を潤わせた。
「ですから、超人気キャバ嬢は、1店舗1人、という考えになりました。広告代理店とも話しましたが、限られた広告宣伝費を最大限有効に活用するには、一点集中突破方針しかないのです。で、オーナーが気になる奈々が辞めたらどうなる、というお話ですが、奈々と充分に話をしました。少なくても26~27歳まではホステスを続けて、他店には絶対に移らないと約束しました。契約書はありませんが、念書のようなものは書いてもらいました」
オーナーは何度も頷きながら店長の説明を聞き入っていた。
「お前が作り上げたようなもんだな」
店長を見詰め、その経営手腕に感心しながら、代役が出来る女の子はウチにはいないのか、と煙草の煙を吐いた。
「ナンバーツーの里美も、そこそこはやるのですが、どこか狡賢いところがあって、太客ばかりを相手にするのです。奈々の良いところは、勘違い客や、ストーカーまがいの客にも、24時間といっていいほど、マメにメールに対応してくれるのです。そういうお客もすべて取り込んでいるから、当店の売上げも良いのです」
「なるほどね。それでも50人からホステス揃えているんだから、誰か1人くらい、奈々みたいなのはいないのか?」
オーナーは溜息しか出なかった。
「ここ数週間の話ですが、奈々の希望もあってヘルプには美鈴を積極的に使っているんです。大口の若林様や麻生様とも上手くやっているので、あと2~3ヶ月ヘルプで回せば、ものになったと思います」
2人は向いに座って黙って話を聞いていた美鈴を見た。
美鈴は褒められているような気になり、頭を掻きながら、照れ笑いをした。
「で、その2人はどれくらいお金を使うの?」
違う店に出勤しているオーナーは、2人の事をよく分かっていなかった。
「今月はドンペリバックを付けたので、ドンペリを沢山飲んで頂き、若林様は高いウイスキーも入れて、社員の方もお見えになるので、トータルで月に400万円くらい、麻生様は1回20万円程度お使いになって、月に5~6回は来店しているので、100万円くらいはいっていると思います」
オーナーは天井に向かって煙をはきながら、頭の中でソロバンを弾いていた。
その時、電話をしていた黒服が店に戻ってきて、FAX借ります、とレジの横に向かった。
「6千万! たった2人で年に6千万円!」
珍しく興奮しオーナーが叫んだ。
年間の売り上げを暗算するのに、そう時間はかからなかった。
店長は、はい、社運を左右するくらいの、当店の大口で御座います。と冷静に答えた。ウチの店、そんなに高い店だったか? とひとり言で疑問を感じながら、吸っていた煙草を急ぐように灰皿に押し付けた。
「美鈴ちゃん、頼むから上手くやってくれないか。その2人が来なくなったら、店、本当に傾くよ」
美鈴の目を、ワラをも掴む気持ちで見詰めた。
「あたし絶対頑張る!」
美鈴は真剣な眼差しで力強く返事をした。
オーナーは2人の素性をいろいろと聞いてきたので、美鈴は奈々が真剣に結婚したがっている事も含め、知っている事を全部話した。
頷きながらオーナーと店長が訊いていると、黒服がFAX用紙を持ってやってきた。そこには病院の名前や場所が書いてある。
早速問い合わせをしようと時計を見ると午後7時少し前だったので、明日電話をすることにした。
店長も時間に驚いた。
美鈴を見て、今日は美容室に行かなくていいから、ドレスに着替えて待機してて、と指示を出した。
素直に、はい、と返事をして更衣室に向う。
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