15話:美鈴奮闘

 今日の店の口開けは若林健二だった。

 

 予想通りどこか興奮気味で、ここまで走ってきたのか息を切らし、目も泳いでいる。いらっしゃいませ、と入口にいた数名の黒服が同時に挨拶し、一礼した。


「若林様、美鈴の方から大事なお話があるので、静かなビップルームにお席をご用意しております」


 席を用意していたわけではないが、店長が丁寧に応対し、ビップルームに案内した。若林健二は黙って頷き店長の後を歩く。


 美鈴がビップルームのドアを開けるなり質問攻めにあった。

 若林健二はビップルームの柔らかいソファーに浅く前屈みに座り、貧乏ゆすりをしていた。美鈴は事故の事を全部話し、入院している病院の病室も教え、お見舞いに行ったら結婚の話なんかもしてあげてね、と付け加えた。


「顔の火傷って、酷いの?」


 若林健二は心配そうに、痛々しい表情で訊いてくる。


「顔中包帯巻いてるけど、大したことは無いって言ってましたよ」


 美鈴は動揺しないように気をつけて、笑顔で答えた。

 若林健二はホッと一息つき、表情が和らぐ。


「じゃあ、今日は美鈴の生還祝いだ」


 感情の起伏が激しい若林健二は明るく大きな声で、ドンペリのピーチ割を飲んでもいいよ、と微笑みかけてきた。以前、好きだと言ったことをよく覚えていたな、と感心しながら、頂くことにした。

 

 しばらくの間、若林健二の漫談のような話に相槌を打った。


「お腹空いてるなら、フード注文していいよ」


 若林健二の何の脈略も無い突然の発言に、晩御飯を食べていなかった美鈴はビックリした。

 実際にお腹は空いているが、そんな素振りはしていないはずで、無意識に表情に出ていたのか、あるいは学生時代に心理学か何かを専攻していて、心を読むことが出来るんじゃないかと、少し怖くなった。


 もしかすると奈々さんの火傷のことも、あたしの表情から何か気付いているのではないか、と美鈴は動揺する。


「お腹空いてること、なんで分かったんですか?」


 美鈴が左手でお腹を抑えながら聞くと、俺天才だから、と笑いながら勝ち誇り、まともに答えてくれない。


 黒服にミートソースと野菜スティクを頼むと、また違う黒服が、美鈴さん、ご挨拶お願いします。と呼びに来た。

 指名がかぶり、待たせているお客に直ぐに接客が出来ない場合は、まずは先に、挨拶だけをしに行くのである。

 美鈴はこの時、初ご挨拶であった。



 その席には松原真治がヘルプのホステスと2人で座っていた。美鈴が近づくと目が合った。何か言いたげな顔だ。それもそのはずである、後でメールを送ると言ったきり、そのままにしていたからだ。


「ごめんね、詳しいことは後で話すから」


 手を合わせて小さなお辞儀をした。

 松原真治はそう怒った様子もなく、早く来てね、と一言笑顔で言った。


 ビップルームに戻ると、程なくミートソースが運ばれてきた。早速タバスコをたっぷりかけ、大口を開けて食べていると、若林健二がじっと美鈴の顔を見ていた。


「美鈴もよく見ると可愛いな、俺は綺麗なものには目がないんだ」


 右手で美鈴の顎をしゃくりながら真剣な表情で、俺の女達の一員に入れてやるか? と口説いてきた。

 OKと言えば、当店ナンバーワン間違いなしで、月400万円ゲット、店の為。と一瞬皮算用したが、奈々のお客であるからこそ、この席に呼ばれていることを自覚し、丁重にお断りをした。


 ミートソースを食べ終わるのを見計らったかのように、席移動を言われた。

 松原真治の席である。



「メールごめんね。正直忘れてました」


 美鈴は素直に謝りながら隣に座ると、そんなことは意に返さず、事故の話を聞いてきた。


「顔にちょっと火傷をしたから、綺麗に直るまで店には出勤しないみたいだよ」

「もう退院したの?」

「まだ入院してるよ」


 美鈴はテンポ良く言葉を返す。


「どこの病院なの?」


 松原真治は水割りを飲み干した後に、おしぼりで口元を乱暴に拭き、美鈴の顔に自分の顔を近づけた。美鈴は今失言したことを後悔した。

 松原真治に病院を教えていいのかを奈々に確認していなかったので迷ったが、実際には余り相手にしていなかったことが美鈴の脳裏をよぎる。


「奈々さんのプライバシーだし……、真ちゃんに教えていいか聞くの忘れてたし……」


 水割りを作りながら歯切れの悪い話し方をし、笑ってごまかそうとしたが、松原真治は興奮気味になった。


「俺は奈々を心から愛しているんだよ誰よりも。心からだよ!」


 眉を吊り上げ、唾を飛ばしながら早口でまくし立てた。

 少し怒っているように見えた。


「今は嫌われているかも知れないけど、愛を信じていれば、いつかは通じるんだよ」


 美鈴は今話した松原真治の言葉を、自分に言って欲しかったと思いながら言葉を飲み込む。

 松原真治はバッティングセンターの投球マシーンのようなテンポで、永遠の愛の尊さを語り続けた。

 黙って聞いていた美鈴は、心が空家になった気分になり、奈々さんには、貴方とは比較にならない立派な彼氏が2人もいるんだぞ! と叫びたい衝動に駆られた。

 

 そして病院を教えた。

 


 30分程度経った時に黒服が呼びに来た。ビップルームに戻るものだと美鈴は思っていると、奥の席に案内された。


 そこには麻生公彦が、通勤電車のダイヤが大幅に乱れ、今日1日の仕事の遅れをどう取り戻すかを、表情を曇らせながら考え、ホームに立っているサラリーマンのように、落ち着かない様子でソファーに腰を下ろしていた。


 美鈴が歩いてくるのを目視すると安堵の表情を見せ、隣に美鈴が座るなり、携帯電話で会社の同僚に今までの経過と、今後の打ち合わせをするかのように話し出した。


「日曜日から奈々さんに電話をかけ続けていても出てくれず、10コールくらいで留守電に切り替わるのです。この店に電話をしても、始めは、判らない、と言われ、今日になって美鈴さんが事情をよく知っています、との事だったので、お話して頂きたいのですが……」


 麻生公彦はいつになく早口だった。

 美鈴は、麻生公彦には全部話してお見舞いにも行ってもらおうと考えていたので、時系列に沿って誤解のないように説明し、火傷の程度はたいした事ではないとのニュアンスで話した。

 麻生公彦は美鈴から事細かに事情を聞いているうちに、いつもの冷静沈着に戻りつつあった。

 

 そして、話が一通り終わると、何だ、安心した。と難解な数式を解いたような充実感溢れる表情になる。


「正直言いまして、奈々さんの心の中から、僕の事を消去したのだと思いました。この数日間、僕の言動や行動に何か問題でもあったのではと、1人悩みました。おかげで今日はいい夢が見られそうです」


 麻生公彦は、グラスを傾け美鈴と乾杯をした。


「少し落ち込んでいるから、結婚の話なんかもして、励ましてあげて下さいね」


 美鈴は静かな声でお願いするように話し、乾杯をしたグラスに口を付けた。

 麻生公彦は、励ますのは当然である。とやや強い口調で話し、水割りを一口飲んだ後に話を続けた。


「僕は彼氏なのです。美鈴さんも親しい間柄だと思いますが、結婚も念頭においている僕たちの関係は、美鈴さんより社会的に考えて上位にあるのです。僕の方から美鈴ちゃんに、奈々さんを励まして欲しいとお願いします」


 麻生公彦は鋭い眼つきで主張し、美鈴に深々と頭を下げたので、はい、わかりました、と美鈴も頭を下げた。


 その後の麻生公彦は、いつもと変わらずに理屈っぽかったが、美鈴は好かれようと必死に奈々の接客態度を真似ていた。

 そのかいあって奈々が休業中も、今まで通り店に来てくれると約束した。

 


 これで月100万円の売り上げは維持でき、オーナーとの約束は守られたと美鈴は喜び、なぜかカクテルを一気飲みする。

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