16話:若林建設の危機

 次の日、美鈴は黒服からの出勤確認のメール着信音で起きた。


 時計を見ると午後3時であり、午前中に起きて奈々の見舞いに行こうと思っていたので、寝坊である。


 昨日は若林健二と麻生公彦がラストまで店に居て、散々飲まされたのだ。いや、美鈴は両人に好かれようと思い、話題が途切れる度に、自ら一気飲みを繰り返した。

 

 その他にも、奈々の物差しで計った、Bランク、Cランクの指名客も数組来店し、黒服は全テーブルに美鈴を回した。


 閉店後は若林健二がアフターに誘ってきた。


 美鈴は家に帰って早く寝たかったが、月400万円の売り上げの為と思い、すし屋で午前3時過ぎまで日本酒を酌み交わしていた。


 今日は、おそらく若林さんや麻生さんや、ついでに真ちゃんも奈々さんのお見舞いに行くはずだし、店の女の子にも病院を教えたし、担当の黒服も、今日は新しい皮膚科の話をしに行くことになっている。


 そうなると今日は大勢の見舞い客がドッと病室に押し寄せ、奈々さんはかえって疲れることになるので、美鈴は、別に行かなくてもイイや、いや、今日はお見舞いに行かない方がイイ、と判断し、メールチェックを始めた。


 美鈴が店に出勤すると、ビップルームCで待機しているホステスの間では、奈々の話題で持ちきりだった。

 ビップルームCのドアを開けた美鈴の顔を見るなり、


「奈々さん、顔中包帯巻いていたけど、ヤバイんじゃない?」

「なんか、口数少なくて、死にそうな感じだったよ」

「そんなにひどい事故だったの?」

「火傷って、アザになんないの?」

「店、辞めるのかな?」

「実は26歳だったんでしょう?」


 一斉に話しかけられた美鈴は、誰に何を聞かれたのかも判らなくなり、1ヶ月位で復帰できるらしいですよ、と一番近くの人の顔を見ながら、わりとみんなに聞こえるように答えた。


 待機しているホステスは、1ヶ月で復帰という言葉に納得したのか、一様に頷き、全員がほぼ同時に、何もなかったかのように、手に持っていた携帯電話で営業メールをお客に送り始めた。


 午後11時を回り、店が込みだしてきた時に若林健二が来店し、美鈴を指名した。


「奈々、ミイラ女だったぞ、それにあのテンションの低さ、本気でヤバイんじゃないの? 美鈴も実際火傷の顔見てないんでしょ?」


 若林健二は好奇心一杯に笑いながら話した。

 美鈴は奈々の火傷の顔を思い浮かべ、どう返事をするか考えた。

 今嘘を付いてもいずれ分かるが、他人から言うべき話でもない、本人の口から言うべき時に言うべきだと考えた。


「火傷の傷は見てないけど医者が、今の医療技術は魔法の世界だ、って自慢していましたよ」


 若林健二は、そんなこと本当に医者が言ったの? と爆笑したので、美鈴も愛想笑いをしながらカクテルを飲んだ。

 若林健二は、普段の様子とまったく変わらずに酒を飲み、通りすがりのホステスを次々に場内指名を入れては、一気飲みをさせ大口を開けて笑っていた。

 隣に座っていた美鈴も一気コールからは逃れられなかった。

 

 

 閉店間際に若林健二は、今日も美鈴をアフターに誘った。その顔は今までのはしゃいでいた表情から、何かを思い詰めた真剣な表情に変わっていた。

 美鈴は、今日もですか? と答えたが、その表情は実直なものだ。いつも奈々さんはどうしていたんだろうと思いながらも、待ち合わせの場所を聞いた。


 店が終わり着替えも済まし、待ち合わせのすし屋に行くと、座敷に通された。

 6畳部屋に色あせた畳がひかれた中心に、ここの主のように木目のテーブルが置かれているだけの殺風景な空間だ。

 若林健二はテーブルにすしを並べ、日本酒をおちょこで口に運び、肩を丸めながら寂しく飲んでいた。美鈴は座敷に上がるなり、挨拶もそこそこに若林健二の向かいに膝をたたむと、おちょこに日本酒を注いで貰った。


「奈々って、お金持ちが好きなんだよね?」


 若林健二は酒を美鈴に注ぎ終わると、おもむろに話を切り出す。その表情は冗談を言っているようには見えなかったので、美鈴は動揺した。

 奈々とはそんな細かい部分の話まで、打ち合わせをしていないからだ。


「よく分かんない、聞いたことないよ」


 そう答えると日本酒を一気に飲んで、目を合わせないように、すし桶に入っているすしを眺めて、一つ口に運ぶ。

 若林健二は美鈴を見ながら微笑んだ。


「奈々と俺はズケズケと何でも話してるんだ、半年前に付き合ったのも、俺は綺麗な女を連れて歩きたい、奈々は服やバッグを買って貰いたいという利害関係が一致したからなんだ」


 美鈴に寂しそうに話すと、日本酒を飲んだ。


「奈々さんが顔に火傷したから、別れるって言ってるんですか?」


 若林健二のおちょこに酒を注ぎながら、少し怒った口調で聞き返す。


「そうじゃないんだ」


 慌てた様子で話し、注がれたおちょこを手前に置き、一呼吸置いて話し出す。


「最近、会社上手くいってないんだよ……、だから奈々と別れなきゃいけないのかな、と悩んでいるんだ」


 若林建設の商売が上手くいっていないといっても、ひと月に飲み代で400万円も使える会社が何を言っているのだろうか、ウチの店によく来る普通の経営者は、その10分の1程度、サラリーマンに至ってはその100分の1が限界なのだ、と思った。


「今の生活で十分ですよ、奈々さんも結婚考えているくらいだし」


 美鈴は穏やかに答えたが、若林健二の表情は冴えなかった。


「いや、深刻なんだ、倒産かもしれない」


 大トロに手を伸ばしていた美鈴の動きが止まった。

 若林健二はおちょこを口に運び、美鈴の表情を見た。



「えっ?」


 美鈴は心臓を針で刺されたかのように、突然ちくりと言葉が心に刺さった。


「ここ数年、出てくる仕事が5分の1以下になったんだ、そのせいで順番を守らない業者が後を絶たずに、業界の秩序は乱れ、崩壊状態なんだ」


 美鈴は何の事を言っているのか分からなかったが、深刻に話している様子を見て、大変なんだと感じた。

 大トロを口に運んで話を黙って聞いていると、会社が倒産したら奈々に振られるよな? と訊いてきた。


「少し飲み代を節約して、貯金したらどうですか?」


 美鈴は日本酒で大トロを流し込みながら答えた。すると、そういう金額の問題じゃないんだ、と今度は興奮して話し出す。


「2ヶ月前に大口から不渡りつかまされて、ウチも今月末に1回、来月末に2回目でゲームオーバーだよ!」


 美鈴はますます何を言っているのか判らなかったが、話し振りから、来月末に倒産する話をしていることはなんとなく分かった。


「ここ2ヵ月間、けっこう派手に酒飲んで歩いたけど、正直、やけくそになって最後の晩餐って感じなんだ」


 若林健二は手に持っていた割箸で、すし桶を不規則なリズムで苛立ちを表すように叩いた。


「で、若林さんはどうなっちゃうんですか?」


 日本酒をキュッと飲んだので、美鈴はお酌をしながら、恐る恐る訊いてみた。


「債権者会議だ、会社更生法だ、と色々あるけど、売れるもん売って、手形割り引いて、金作って逃げるしかない」


 不良のような眼つきで語る。


「奈々は絶対ついてこないよな……」


 美鈴が畳に視線を向けていると尋ねてきた。

 経済に無頓着な美鈴でも、会社を潰して、犯罪まがいにお金を作って、夜逃げをする人について行く人間なんて誰もいるわけはないと思った。


「奈々さんに聞いてみないと判らないけど、普通に考えたら無理だと思いますよ」


 美鈴もおちょこを飲み干した。

 若林健二の表情を見ると、頬を引きつらせながらも微笑んでいた。


「奈々には会社が潰れること、格好が悪いから言うなよ。いずれ自分の口から話すから……」


 深々と頭を下げて頼まれた。


 その後、若林健二は無理に明るく機関銃のように言葉を繰り出してきたが、美鈴の耳は見えない耳栓で塞がれていた。


 心の中はこの座敷のように殺風景だ。

 時間は午前3時30分を回っていた。

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