9話:美鈴の貢献


「かんぱ~い」


 美鈴はえらくご機嫌だった。

 席に着くなりハイテンションで喋っているか、カクテルをゴクゴク飲んでいるかだった。その姿を横で見ていた遠山専務は、気持ちのいい子だね、と喜んでいた。


「美鈴ちゃんはお酒好きなの?」

 

 遠山専務はその飲みっぷりのよさを見て聞いた。

 美鈴は半分入っていたカクテルを一気に飲み干し、ドンペリをピーチで割るのが好きなの、と元気に話した。

 奈々は今日初めて会った人にお願いする飲み物ではないとビックリして慌てる。


「遠山専務が気品ある立派な方なので、美鈴ちゃんは焼酎と言ったら恥ずかしい思いをするのではないかと思い、ドンペリと言ったの。本当は焼酎が大好きなはずなの。そうよね?」


 奈々は元気に笑っている美鈴の顔を、笑顔で見詰めながらも目で睨んだ。

 状況を悟った美鈴は顔から笑顔が消え、うつむきながら、はい、と一言呟いた。


 急激な態度の変化に、松原真治と遠藤専務は動揺し、賑わいを見せ始めた店内に、ポツンと風穴が開いた感じになった。遠山専務は、分かった、分かった、としょうがないという表情をする。


「じゃあ、ドンペリと焼酎入れるわ、あとそのピーチも」


 今日カード切るからいいよ。とひとり言のように呟く。

 松原真治は満面の笑みで奈々を見て、早く黒服を呼んで、とはしゃいでいた。その姿を見ていた遠山専務は少し呆れ顔になった。


「どうせ真治はこの店通うんだろ? 好きな酒入れていいよ」


 その言葉を聞いた松原真治は、ありがとうございます。と大きな声を発し、選挙に立候補したかのように深々と頭を下げた。

 そして、奈々ちゃんの好きなお酒を専務に入れてもらう、と奈々に寄り添い、手を握ってきた。

 

 奈々は遠山専務が、どれくらいの金額の話をしているのかが全然分からなかった。5万円のヘネシーがギリギリ許容範囲かと考えたが、ブランデーはいかにも金取るぞ、との印象を与えかねない。それより国産で値段もやや安い、サントリーの山崎あたりが無難なところかと思い、言葉に出そうとした。


「ワイルドターキー美味しいですよ。昨日も奈々さん結構飲んで、酔い潰れてたし……」


 元気を取り戻した美鈴が、松原真治の方を見て話し出す。この雰囲気で1万5千円の安い酒なんか売るな! と奈々は心で思ったが、焼酎の復讐? ただ単に自分が飲みたいだけ? それとも本気で私が好きだと思ってのこと? と美鈴のことを考えていると、頭の中がパニックになった。


「奈々ちゃんって、ターキー飲むと酔い潰れるの?」


 松原真治が、秘密を共有した仲間意識で奈々を見ながら、ターキーを飲もう! と声を上げた。美鈴も大きく相槌を打つ。

 ここまで盛り上がったら飲むしかなかった。奈々は昨日に引き続き今日も癖のあるバーボンを飲むのかと思うと、憂鬱ゆううつになる。


 ドンペリと焼酎とターキーのボトルが賑やかにテーブルに並んだ。

 

 ピーチを使って色んなパターンのブレンドを作り楽しんでいると、若林健二が来店したので奈々が呼ばれた。


 松原真治との話を上手く終わらせて席を立ったが、奈々の予想に反してさほど寂しがる様子はなく、遠山専務と美鈴の会話にさっと溶け込み、3人で違和感なく盛り上がった。


 

 

 若林健二の席に行くと1人で来ていた。

 ヘルプで着いていたホステスと代わり、隣に座る。


 どこで飲んでいたのかご機嫌そのもので、まあ、飲め! と席に着くなりドリンクを勧めてくれた。残りわずかのルイ十三世を今日中に空けようと思い、ディキャンターでお茶を頼んだが、ボトルに目をやると真新しかった。


「ボトル入れた?」


 奈々はボトルから若林健二の顔に目を移して尋ねた。

 何を質問されているのかがすぐには分からなかった若林健二は、数秒間を置いて、思い出したかのように話した。


「今日、杉本部長と里美ちゃんが同伴したはずだから、その時に入れたんじゃないの? 今日来てなかった?」


 若林健二はあっけらかんと話しながら、水割りを飲んだ。しかし奈々にしてみると死活問題である。里美を指名した杉本部長が入れたルイ十三世50万円のキャッシュバック5万円は、里美の給料になるのだ。

 これは奈々の指名客を奪ったわけではないので、暗黙のルールは守っている。オーナーに訴え出ることは出来ない里美の巧妙な手口だった。

 

 連日頑張って、やっとの思いで減らした奈々の努力が無になり、いとも簡単に、平気で里美はいいとこ取りをする。その大胆さに奈々は恐怖した。


「杉本部長来てたんですか? 気が付かなかったわ」


 奈々は使命を忘れた猫のようなになった。

 若林健二はそんな事情を知るわけもなく、今日空くはずのないルイ十三世をジャンジャン奈々のグラスに継ぎ足して飲ませていた。


「今日ホテル取ってるんだけど、たまには付き合えよ」


 大きな口をあけて冗談を言っていた若林健二が、急に真面目な顔で聞いてきた。最後にエッチをしたのは、シャネルのバッグを買って貰った1ヶ月位前だ。

 それからも食事で同伴は何度もしたけど、デートは一切していない。

 

 仮にも彼氏1号なので、余りに遊ばな過ぎるのは不自然であり、捨てられる可能性もある。それに何度もエッチをしているので、今さら嫌ということもない。

 

 しかし今日はルイ十三世事件があって気分が落ちているので、奈々はそんな気にはなれなかった。


「今日、生理なの……」


 奈々も大きな口をあけて笑っていた顔を、急に青白い病人顔に変えて呟いた。それでもいい、添い寝するだけだ、と若林健二は諦めなかったが、具合も悪いから家に帰って薬飲んで寝たいの、と訴えるようにお願いした。


「じゃあ、生理終わったらメールくれ、それまで店に来ないから」


 どこか怒っているような冗談を言った。

 奈々は若林健二がなぜ不機嫌になったのかをすぐに察した。予約したホテルの部屋はおそらくスウィートルームで、その部屋には値段の高いワインを用意している、若林健二のお決まりだ。

 

 奈々は目線をテーブルのグラスに移し、少し考えているような間を取って素直に、はい、わかりました。と返事をし、若林健二の腕を取り肩にもたれた。


「帰るから、チェックして」


 閉店までいると思っていた若林健二は、大きな声をあげると奈々との腕組を振り解き、バックから財布を取り出した。


「なんか、ごめんなさい……」


 謝りながら、無言で帰る若林健二を出口まで送る。


 


 奈々は肩を落としながら松原真治の席に戻ると、その席は場末のスナック状態で、下ネタと一気飲み大会になっていた。

 黒服もボトルを沢山入れて貰ったせいか、いよいよ酷くなるまでは状況を見守っていた。ボトルを見ると、今日入れたターキーが空く寸前だったので、奈々も頑張ってターキーの水割りを飲むことにした。

 

 松原真治は奈々の飲み物が出来たのを見るや、下ネタ一気大会終了! と叫びながら、乾杯を求めてきた。


「これ空けたら、新しいのを入れてくれるんですよ」


 美鈴は自分のグラスにターキーを足しながら、奈々に説明した。

 遠山専務も、美鈴はホステスの鏡だ、売り上げを上げようと一生懸命に努力している、と賛辞を送った。

 松原真治も回らない口で、奈々が冷たくしたら、美鈴に指名換えするよ、オレはモテるんだぞ、と、どさくさに紛れてキスを迫ってきた。

 奈々はテーブルの上に置いてある皿の中のチョコレートを松原真治の口の中に入れた。キスは2人きりじゃなきゃ嫌だ、と言いながらチョコを頬張ほうばった時に指についた涎を、松原真治の服で拭く。

 

 美鈴は遠山専務に褒められたこともあってか、一気飲みを繰り返した。


 ついにボトルを空ける。


 遠山専務から拍手を貰いながら、約束通りニューボトルが1本入った。


 美鈴がなぜそこまで頑張っているのかが、奈々には不思議だった。

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