8話:遠山達郎
麻生公彦の席は新郎新婦を囲んでの2次会のような盛り上がりを見せていた。
食べ終わったオムライスの皿を下げた後のテーブルには、新たにスナック菓子のバスケットやケーキ、フルーツ、アイスクリームなどの皿が並んだ。食べ残しの皿が、隣のテーブルにまで置かれていた。
「空いた皿から片付けよう」
奈々はそう言いながら、3人の取り皿に残っていたケーキをホークで刺して、麻生公彦の口に次々に放り込んだ。美鈴も一口大に切ってあるパイナップルを、2つ3つフォークでまとめて刺して、眉間にシワを寄せながら機械人形のように食べた。
その様子を少し離れた柱の前で見ていた黒服が、大方落ち着いたと思い、席に来た。
「奈々さん、指名なので移動願います」
そう言うと、黒服は空いた皿を手に取り片付けた。
奈々は、30分で戻ってくるね、と麻生公彦に告げたが、もうお腹も一杯だし、2時間以上いるから……、とカバンを取り出しファスナーを開けた。
「先程も申し上げた通り、ホステスの、ましてやナンバーワンキャバ嬢の彼氏であるという、自分の置かれた立場や環境をよく自覚して行動するということを、何の問題もなく自然体で出来るか、というと今現在はまだ付き合って日も浅く、絶対に大丈夫であるという確信が持てないのです。そのような精神状態、情緒不安定とでもいうような時に、奈々さんが他の男性と親しくお話をしながら笑顔を振りまくようなお姿を、黙って見ていなければならないという事は残酷極まりない、正に生き地獄で、こんな拷問にかけられている状態を30分も耐えなければいけないとなると、発狂しないまでも、生きていられるのか分からないのです」
麻生公彦は息継ぎをすることなく一気に心情を伝えた。
奈々は麻生公彦の胸元に視線を落とし何度も頷きながら、テーブルを片付けていた黒服にお勘定をお願いした。
カバンから財布を取り出しブラックカードを渡す。
美鈴は奈々との約束を思い出し、あたしはこの席にずっと居るよ、これからシン美鈴的なお話しするからまだ居てよ、と哀願にも似た声を上げたが、麻生公彦は美鈴の顔を見てにっこり笑い、軽く頭を下げるだけであった。
黒服に言われた席は松原真治の席だった。
3日連続の来店で嬉しかったが、過去に身近で起こった事件を思い出した。
奈々が去年勤めていたキャバクラで、指名のホステスに夢中になった客が店に通い詰めていた。その客は普通の会社員で収入も少なく、サラ金に手を出していた。数ヶ月で自転車操業になり、すぐにその支払いも行き詰まる。
そして自暴自棄になったのか、なぜか指名のホステスとは違うホステスを監禁し、捕まったという事件だ。
松原真治もたいした収入もないのに、いい格好を見せようと通い詰めている様子を見ると、同類ではないかと不安になったが、今日は身なりの確りした、新しい友達と2人で来ていた。
隣に座っていたヘルプの子がすぐに席を立ったので、挨拶をしながら隣に座る。表情を見ると、かなり酔っている事が分かった。
今の時間は午後11時だから、けっこう早い時間から飲んでいるのではないかと思った。
「けっこう飲んで来たの?」
松原真治の半分空いたグラスを手に取り、向いのお客を接客している、たまに店で顔を見る程度のホステスにグラスを渡しながら訊いた。
その質問には答えずに、しゃっくりを1回してから、向いにいらっしゃるお方をどなたと心得る、と胸を張って、右手を真直ぐ友達に伸ばした。
「我社の社長の息子様である、
遠山専務は謙虚に、どうも、と奈々に頭を下げた。
スマートな言い方で、何か飲んで、と勧めてきた。奈々は最高の愛嬌を振りまき、カクテルを注文した。
遠山専務の洋装を注視する。
型崩れしていない品のある紺のスーツに肌触りの良さそうな生地のブラウス、ルイ・ヴィトンのネクタイにエルメスのカバン。ファッション雑誌を読んで研究していそうな着こなし。探せば他にも金目の物を身に付けているはずだと考えた。
「今、何時くらいになったかな?」
奈々は遠山専務の右腕に視線を移した。
自然に遠山専務は右腕のスーツの袖を捲り上げる。
11時過ぎだよ、と時計を見て教えてくれた。まだそんな時間? と疑問を持つように右腕の時計を覗き込む。腕時計はフランク・ミュラーだ。グレードはよく分からないけど、たしか安い物でも100万円はするはずだ。
「時間なんか気にしてどうしたの? 店終ったら男とデートするんでしょ?」
松原真治はからかう様に訊いてきた。
「店終わる時間に近かったら、お酒を濃くして頂こうと思っていたの、真ちゃんと騒ぎたかったから。でもあと2時間も仕事しないといけないから、あまり酔わないようにするね」
松原真治は鼻息を荒くして、握手を求めてきた。微笑みながら握手に答えたが、興味は遠山専務にある。
フランク・ミュラーを持っている人は腕時計好きで、他にも高級腕時計を数本持っていると相場は決まっている。
年収は社長の息子ということで、他の社員との兼ね合いも考え、せいぜい月50万円×12カ月で600万円程度だろう。しかし給料は自分の道楽の為だけに使い、家や車は会社の名義、飲食代もすべて会社の経費で賄っている、と値踏みした。
顧客リストに入れたい、独身なら結婚も考える特Aのお客にしたい、と奈々は思った。
「すごく落ち着いた感じがするのですけれども、失礼とは思いますが、おいくつなのですか?」
奈々は松原真治と同じテーブルということも忘れ、ひどく丁寧に話し、礼節をわきまえた知的営業を始めた。
遠山専務は少し照れながらも、水割りを一口飲んで間合いを取る。
「誕生日が来て40歳、妻1人、子1人」
日本では妻1人は当たり前か、と遠藤専務は1人でボケとツッコミをやって笑った。他の全員が一瞬戸惑いながらも、とりあえず愛想笑いをする。
松原真治は極端に笑う。
笑いも収まった頃合を見て、奈々はチャンス到来とばかりに深刻な顔をして、ごめんなさい、と遠藤専務の顔を見ながらミスをした部下のように謝った。
「本来なら、私達がこのテーブルを盛り上げなければいけないのに、遠藤専務はそんな私達に逆にお気遣い頂き、この場を盛り上げようと一生懸命になって頂きまして……、とてもお心の優しい方なのですね……」
奈々は深々と頭を下げた。
「貴方は顔が綺麗で、性格も可愛くて、なおかつ礼儀正しいなんて、真治が好きになるのも分かるなぁ……」
遠藤専務は感心したかのように奈々の顔をじっと見詰めていると、遠藤専務の隣に座っている名も無いホステスが、対抗心を燃やしたのか、
「奈々さんウチのナンバーワンですから、口説いても無駄よ」
と優しい口調の中にも、心の中の不満が感じ取れる言い方をした。
奈々は首を少し右に傾けて遠藤専務に無言で微笑ながら、この女邪魔くさい、と腹を立てた。
「そう言えば美鈴ちゃんが、真ちゃん、真ちゃん、って言ってたよ。すごい好きなんだってさ。呼んであげていい?」
奈々は松原真治の顔を見ながら話すと戸惑っている様子だったので、今度は遠山専務の顔を笑顔で見詰めて、すごく可愛いんですよ、と説明した。
「真治はこの店ですごくモテるんだな、そんなに可愛いんなら顔見てみたいな」
遠山専務は興味を示し、かつ松原真治の動揺した態度を見て、その子ちょっと呼んで、と面白がって言った。
奈々は黒服を呼び、美鈴ちゃん場内指名入ったから、と向かいに座っているホステスの顔と黒服の顔を交互に見た。
チェンジするホステスは向いに座っている女だ、私をこの席から抜くな、といわんばかりに目で合図を送る。
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