27話:美鈴の葛藤
奈々は店に復帰した。
店の前はスタンド花で溢れかえり、ビルの外にも花が並んだ。
ふんどしには《奈々ちゃん、快気祝》とすべてに書かれている。
献花リストを黒服から貰う。
誕生日よりも多い、と奈々は思った。
接客は普段どおりを意識したけど、どこの席についても真っ先に顔面を舐めるように見てくる。
誰もが口を揃えて、
パッと見た感じだと全然分かんないけど、本当に入院するほどの火傷をしたの?
長期休暇取るために嘘を付いたんじゃないの?
まさかとは思うけど、彼氏がいて一緒に海外旅行に行ってたんじゃないの?
と冷やかされる。
もちろんファンデーションは色が濃い。
ほとんどのテーブルが奈々指名だ。
席に着くと頼んでもいないのにシャンパンを抜く。
この誕生日状態の理由が分かった。
店側は入院中に使った経費を一気に回収するかのように、すべての情報誌に『当店ナンバーワン、奈々遂に奇跡の復活!』と見開き広告を打ったのだ。
顧客名簿に載っているお客全員には、割引券付のダイレクトメールも送った。店のホームページに至っては『奈々の闘病日記、応援してね❤』というタイトルのブログを勝手に立ち上げ、店長の手によって書かれていた。
現在までに20回も更新していると、お客が教えてくれた。
どんなことが書かれていたのかと、奈々は不安になる。
数日経っても指名が切れることは無かった。
今まで奈々に会えなかったせいか、Cランクのお客がBランク並みに通い、Bランクのお客がAランク並みに通ってくるのだ。
地獄からの生還者、との噂が噂を呼び、新規で指名してくるお客も多い。
麻生公彦もその噂を聞いてやってきた。
奈々が席に着くなり突然話し出した。
「奈々さんの顔の怪我が治った以上、お付き合いをする上での契約条件が再度充たされましたので、お付き合いを申し込みに来ました。これは契約という概念からは当然の行為であります」
麻生公彦はハンカチで額の汗を拭いた。
顔面を引きつらせながら、しどろもどろに理屈を並べ始めた。
奈々は軽く話を聞き流しながらカクテルを飲んだ。
麻生公彦の話は、奈々に直接話した事と、美鈴にメールで伝えた事がごちゃ混ぜになっていたのだ。
20分くらい1人で話し続けた後に、付き合うのか、付き合わないのか、選択を求めてきた。
「キミちゃんは、私が火傷をしたから別れたわけじゃないんでしょ? たしかホステスと付き合うのはよくないと親が反対していたんでしょ? このまま付き合っても、結婚する事は出来ないので私をだます結果になるんでしょ? だからキミちゃんとは、もう付き合えないわ。私、指名たくさん入っているから、もう行かなきゃ」
嫌味たっぷりに爽やかな表情で言葉を吐き捨てて、席を立った。
麻生公彦は口を半開きのまま、立ち去る奈々の後姿を見ていた。
その日以来麻生公彦は店に来なかった。
これで麻生公彦とのケジメはついたが、松原真治との問題をいつも美鈴が心配し、奈々に苦言を呈していた。
奈々と美鈴は仕事帰りに、いつものメンズバーの長いカウンターの右隅に椅子を並べた。
奈々が復帰して以来店は大盛況で、奈々はもとよりヘルプで奈々指名の席を回っている美鈴も、連日連夜、相当量のシャンパンやワインの一気飲みをしている。
今日も例外なく大量のアルコールが体内に入っている。
「はっきり言って可愛そうですよ、この間あたしがお見舞いに行ったときも、すごく寂しそうだったし」
美鈴はブラウスの胸元をはだけさせ、ワイルドターキーの入ったロックグラスを片手に、松原真治のお見舞いに一度しか行っていない奈々を責めていた。
「会わないのは真ちゃんとの約束なの、会いたくなったら電話くれる約束だし……」
奈々は遠い過去を思い出すかのように、遠くを見詰めていた。
「真ちゃん優しいから、奈々さんの事を考えて、別れようと言ったんですよ、それくらい分かってるはずですよね!」
美鈴の怒号といってもいいくらいの声が店内のBGMをかき消した。左隅に座っている若いカップルが、示し合わせたように美鈴のほうに首を曲げた。
「店の女の子も真ちゃんの会社の人も、奈々さんは、真ちゃんが障害者になったから振ったんだ、なんて恩知らずの女だ、って噂してるんですよ!」
美鈴は酒の勢いもあり、カウンターを握りこぶしで一回叩いた。
その時、大音量で、デュエット曲のロンリーチャップリンが流れた。
美鈴は続けて話すことが出来なくなり、マイクを握っている左隅の若いカップルをチラッと睨んだ。
ここがメンズバーであることを思い出し、ワイルドターキーの入ったロックグラスに口をつけた。
奈々は両肘をカウンターにつき、両手で顔を押さえ、物思いに耽っている。
「里美さんもこの前なんか、奈々さんは金にしか興味のない冷血な女だ、って、ビップルームCで待機していた、奈々さんに憧れて一日入店体験で来ていた女の子に向かって、そう言ったんですよ!」
美鈴は奈々の耳元に顔を近づけて、カラオケにも負けない声で唾を飛ばしながら話した。
カラオケを歌っている男は、がなり声を上げながら椅子から立ち上がり、連れの女性を見詰めている。演技がかったアクションを取り、自分のパートを歌い上げていた。
奈々はまだ初々しい二人の歌声を聴きながら、カラオケのモニターを見ている。歌詞を目で追いながら、一句一句をかみ締めた。
美鈴の話には何の反応もない。
「あたしは、奈々さんがお見舞いに行けないのは理由があるの、って言い返したんだけど、どんな理由でも、好きだったら普通、お見舞いには絶対行くよね、って里美さんが言ってきて、あたし何も言い返せなくて悔しかったんだから!」
美鈴は氷のように興奮した表情で言った。その表情は徐々に寂しさの色に塗りつぶされていった。
奈々は美鈴のほうに振返る。
美鈴の瞳には零れそうな涙が溜まっていた。
かける言葉を捜していると、涙を拭く事もなく、奈々の右腕を両手で、確認するかのように強く握り締めた。
カラオケの演奏も終わり、うるさかった店内には静粛で冷たい風が吹いた。やがてBGMが、奈々と美鈴の2人を気にしているかのように静かに流れた。
尾崎豊のアイラブユーだった。
「美鈴の言っていることは……、恋であって愛じゃないと思うの……、お互いが同じ本当の愛を持っていたら、今はすべての感情を抑えなければいけないと私は思うの……」
「そんなこと全然分かんないけど、奈々さんがもう会わないんだったら、あたしが付き合うからね!」
すぐに美鈴が口を返すと奈々の肩に泣き崩れた。
奈々はそっと美鈴の頭を両手で包んだ。
「美鈴にはまた迷惑かけたね……、里美相手に私をかばったことで悔しい思いをさせて、そもそもそんな私がいるから、真ちゃんと付き合えずに、最大の悔しさを我慢し続けて……、ごめんで済まないよね……」
奈々の瞳からも大粒の涙が流れた。
「それは違うよ……、あたしや真ちゃんというより……、奈々さんが幸せになってさえくれれば……、あたしは、なんとなく幸せな気持ちになれるの……」
奈々の腕に抱かれながら、美鈴は眠るように呟いた。
美鈴のこの気持ちこそが、本当の愛だと奈々は感じ、美鈴を強く抱きしめた。
静寂が溢れる空間に黄昏ながら、明け方まで薄いバーボンを飲み、2人は寄り添いながら店をあとにした。
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