1話:松原真治

 案内された右奥の区画に顔を出すと、20代後半の客2人がビールを飲んでいた。


 里美さとみはいち早くテーブルにうずくまり、名刺の裏に携帯番号とメールアドレスを書いていた。奈々ななは空いている方の席に着くと、お客が笑顔を振りまくので、同じ笑顔を返えす。

 

 里美が名刺を2人に渡し終えるのを待って、同じく名刺を2人に渡す。

 奈々の隣に座っている客が、名刺の表に記載されている名前を確認して、裏返し、じっくりと見た。


「電話番号書いてないと同伴できないよ」


 真顔で言いながら、名刺をそのまま返してきた。

 奈々は愛想笑いを浮かべながら、里美からペンを借り、携帯電話の番号を書き込み、再度渡した。


「みんなにそうやって、すぐに番号教えているんだ、最低だね」


 お客は小馬鹿にした笑いで目を三日月にし、自分の携帯電話に登録を始めた。

 こんな彫りの深い寝癖頭のサル顔がよく言ったものだ、と思いながらも営業スマイルを浮かべ、客の頭のてっぺんからつま先まで舐めるように観察し、値踏みをする。


 服装はシワが目立つTシャツに一般的なジーンズ、足元はくたびれたナイキのスニーカーを履き、ソファーの上に置いてある黒革のカバンは無名のブランド物。腕時計はロレックスのコンビがわざとらしく光っている。


 里美の隣の馬ヅラでアゴが出ている客は、クリーニング出したての匂いを漂わせている、2着セールで売っていそうな安物の黄緑色のスーツ、眼に焼きつくような目映い紫のネクタイ。カバンはルイ・ヴィトンで腕時計はしていなけど、通信販売で買ったようなメッキのブレスレットを恥ずかしげもなく着けている。


 ロレックスやルイ・ヴィトンも本物かどうかも怪しい。年収は300万円以下で、給料日の後に1回店に来られたらいい方だ、ナンバーワンの私の客ではない、と眉をひそめた。


「ねえ何歳なの?」


 黙って2人のお客を見ながら話題を探していると、おサルさんの方が聞いてきた。

23歳と奈々が答えると、俺の2つ下だ、と勝ち誇りながらビールを一気に飲み干した。

 次の飲み物はセット料金で飲めるハウスボトルのウイスキーだった。


「お仕事一緒なんですか?」


 里美が水割りを作りながら、お客2人を交互に見ながら聞いた。

 2人は、ひと言、ふた言、冗談を言いながら、運送会社で働く同僚だと頷き合う。

 里美の隣に座っているスーツの馬ヅラは、早坂純一はやさかじゅんいちという名前で営業担当、奈々の隣に座っているTシャツのサル顔は、松原真治まつばらしんじという名前で運転手だと語気を強めた。


 やはりそんなものか、今回のフリー客はハズレだ、と奈々は見切りをつけると笑顔にも疲れが出て来た。


 里美の方は一生懸命になって場を盛り上げていた。

 どんな雑魚ざこのお客であったとしても、1匹も残らずに引きさらっていこうとする里見の振る舞いをまのあたりにして、まるで底引そこびき漁法のようだとふと思った。

 所詮ナンバー2の里美にはお似合いの客だと、奈々は心に思う。


「奈々ちゃん、わりと可愛いよね」


 松原真治が笑いながら、奈々の顔を覗き込むように言った。

 奈々は、わりと? の言い回しに眉がつりあがった。


「わりとでごめんなさいね。嫌なら他の子と変わりますか?」


 奈々は謙虚とも、なげやりとも思える言い方で見返した。

 松原真治は奈々を見ていた目を逸らし、新しく作られた水割りに口を付け、数秒の沈黙の後に、また奈々を虚ろな瞳で見て語る。


「そんなつもりで言った訳ではないよ、いきなりフリーで来た俺達に、雑誌に載ってるナンバーワンが付いたから、嬉しくて何を話していいか分からなかったんだ……」


 松原真治は哀願するかのような表情で、今にも泣きそうな顔になった。

その言葉を聞いた奈々は、少しはこの世界の知識があるのね、と思い、多少心のわだかまりが晴れた。

 同僚の早坂純一は、真治はまたいつもの調子が始まった、と笑い出す。


「この店に来る前に行ったキャバクラなんて、フリーで入ったら、ブスを厳選して席に着けているような感じだったから、黒服に説教して帰ってきたところなんだ。2人で3万円ドブに捨てたよ」


 早坂純一は怒りながらもどこか自慢しているような口ぶりで、テーブル中央に置かれていた、有田焼まがいの皿に盛られているピスタチオを口に何個も頬張っていた。

さっきまで無理に涙を浮かべようとしていた松原真治は表情を一変させ、瞬く間に元気になって笑い始める。


「昨日のサユリちゃんの誕生日、お願いだから店に来て、って言うから1万5千円のバルーンを送って、時間をおいて店に行ったら、オリジナルのシャンパン入れられて、サユリちゃん10分くらい席に着いて、トータル10万円かかったよ」


 松原真治は饒舌じょうぜつになり、手で頭をきながら照れていた。


「1分1万円でしょ!」


 口からピスタチオのカスを飛ばしながら、早坂純一が準備していたような驚きの表情を見せた。


 松原真治と二人で大爆笑した。



 20分程度が経ち、水割りも3杯目を飲み終わる。

 2人の客は緊張がとれて慣れてきたのか、昔からの友人のような口調で語りかけてくる。奈々と里美もそれに合わせた。


「真治さんはよく飲みに出られるの?」


 奈々は20分間の接客の中で、もしかしたら高額な給料を貰っているのではないかという気持ちが湧き、このお客の素姓が気になった。

 里美も早坂純一と身を寄せ合いながら会話をしていたが、奈々の核心に迫る質問に、耳を澄ましているのが見て取れる。


「最近仕事が忙しくて週に2~3回しか出歩けないけど、一度飲みに出たらキャバクラ3~4軒は廻るかな」


 松原真治は涼しい顔でテーブルに置いていた煙草の箱を手に取り、1本口に咥えた。


「週に2~3回?」


 奈々は驚いて聞き返しながらマッチを摺り、松原真治の口元に運び火を点けた。

向いに座わりながらもこちらの話に耳を傾けていた、里美の瞳孔が大きく反応した。


 チーターが獲物を狙う目に切り替わっている。


「飲みに出るの趣味だから、この店も2~3回は来てるんだよ」

 松原真治はあっけらかんと煙草を吹かす。


「いくら給料貰っているの?」


 奈々は笑いながら冗談を装い不躾に聞いた。

 松原真治の空いていたグラスに水割りを作り、マドラーでかき混ぜた。

 松原真治は一瞬ニタッとした表情をし、安いから教えたくない、と突然の、予想外の質問に動揺を見せた。


「私、お金ある人は女遊びとか激しいから、普通に生活できるくらいの収入の人が一番好きで、もうそろそろ結婚したいと思っているの……」


 奈々は低所得者向けの会話をしながら松原真治の目を、言い逃れられないように虚ろな瞳で見詰め、返事を促した。


「月25万……、嫌いになった?」


 松原真治は聞き取りにくい声で自虐的に答える。


 25歳で25万円、総支給額ならそんなものだろうと、奈々は納得した。

 しかし、キャバクラでどんなに安く飲んだとしても1軒に1万円前後のお金はかかる。一晩に4軒はしごをして4万円くらいになり、週3回出歩いて12万円、月4週と考えると48万円にもなる。


 やはり話は全部出鱈目で、今日店に来ているのも競馬かパチンコで勝った程度の単発のお客だと奈々は断定した。


「その若さで25万円も貰ってるのはすごいよね」


 奈々は心にもない会話と営業スマイルで軽くこの話題を流した。


「じゃあ、俺と結婚しよう!」


 松原真治は堰を切ったように唾を飛ばしながら言った。声の大きさは、向いに座っている里美と早坂純一の耳にも届き、ゲラゲラ笑っている。


「月25万じゃ、毎日美容室に行ったり、週2でエステに行ったり、スポーツジムに通ったり、化粧品や服、アクセサリーを買ったりすることも出来ないの、最近ヨガ教室にも通いたいし。私の普通の生活って、せめて年収1千万くらいないと無理なの」


 奈々は松原真治のグラスにアイスを足し、高貴さを漂わせながら表情を変えずに、自分の値打ちを固持した。

 里美は耳を疑いたくなる奈々の発言に、いきどおりを感じた。

 大切なお客に対して何てことを言っているの、との思いでしばらく奈々を見ていた。

 松原真治の表情は怒るどころか、なぜか明るくなった。


「ビックリするくらい正直者だね、ホステスじゃないみたいだ。そうゆう会話、すごく好きなんだ。思わせぶりの態度をとって客を店に引張らないから、きっと奈々ちゃんは、人を騙せない優しい心の持ち主なんだよ」


 松原真治は本気とも、冗談とも取れない表情で感極まっていた。


「真治はこの間まで1回エッチをした、ラブラブのキャバ嬢がいたんだけど、その女が店を辞めた途端、音信不通になって、貢いだもの返せと泣いていたんだ」


 早坂純一は馬鹿笑いをしながら恥ずかしい事を暴露した。松原真治はその言葉を無視し、新しい人種を発見したかのように興奮しながら、奈々の手を両手で握った。

 

 この前向きな姿勢に、奈々は微笑むしかない。

 その後ひたすら、松原真治に口説かれた。



 同じ口説き文句を何度も聞かされていた時に、黒服が奈々を呼びに来る。

 指名が入ったのでテーブルの移動だった。

 奈々は席から立ち上がり一礼をした。


「ご馳走さま、1千万円稼いだら結婚して下さいね」

 

 

 奈々は笑顔で言葉の足音を残した。


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