心が震える感動キャバクラ物語。想われ紫苑は咲き乱れ(おもわれしおんはさきみだれ)。

綾瀬摩耶

第1章 奈々

プロローグ

 

 私は美しい……。

 

 私に落とせない男はいない……。

 

 私は自分のタイミングで誰とでも結婚できる……。

 


 すべての男は私に逢うために

 毎日汗を流して働く。

 

 そして私を口説く。

 

 私を口説かない男は、

 振られる屈辱を味わいたくないだけの、小心者……。

 

 小心者も色目を使えば有頂天となり、

 そして、

 また私に逢うために

 毎日汗を流して働く。

 

 


 私は未来永劫、

 この街に君臨するのだ。


 



 化粧台の前に座る奈々ななは、久しぶりにドライヤーを手に取り、自分で髪型をセットしている。慣れないヘアーアイロンに苦戦していると、ベッドの枕元で携帯電話の着信音が鳴る。これで2件目だが、気にすることもなくセットを続ける。


 唇にグロスをあてていると、今度はメールの受信音がなった。化粧台に置かれた、エルメスの置き時計を見ながら立ち上がり、枕元まで歩く。



《今事故った。軽い接触、今日ムリ》


 奈々は舌打ちをしながらメールを短く返信した。



《なにそれ?》






 言葉の魔術師たちが、ネオンともる繁華街に吸い寄せられる。


 白いソファーに

 白いテーブルに

 白いクロス。


 団体客収容の色のない部屋、ビップルームCで20人のホステスと一緒に奈々は待機していた。壁に掛けられているカラオケの薄型液晶テレビは、テンポよく日本各地の景勝地を映し出しており、映像が変わるたびに、薄暗い部屋は赤にも青にも色が変わる。



紫苑畑しおんばたけだ!」


 すし詰めにされたホステスの中から甲高い声が上がった。

 彼氏に可愛さでもアピールしているかのように、新人の美鈴みすずが喜色満面の笑みを浮かべる。


 奈々ななをはじめ多くのホステスが液晶テレビに目を移す。画面にはCG画像のような青い空の下、広大な牧草地と思われる場所に、白や赤や薄紫色をした紫苑しおんの花が十二単のように、一面に咲き乱れていた。

 

 美鈴は画面に釘付けになっていたが、他のホステスはチラッと見ただけで、すぐに手に持っていた携帯電話で営業メールの続きを始める。



 本来なら今日、奈々は一流ホテルのレストランで食事をし、いつものように午後9時に同伴出勤するはずだった。

 約束していたお客は今日、乗用車で軽い接触事故を起こした。同伴は中止になる。

すぐに別のお客を探したが、時間的に無理があった。



 午後7時30分に定時出勤した。


 この時間に出勤したのは実に1ヵ月ぶりだった。

 ビップルームCには、一日入店体験で今日初めて来たホステスなのか、売れていないだけのホステスなのか、そんなよく分からない人たちと同じように待機していることが耐えられずにいる。


 不愉快な表情をあからさまに浮かべながら、他のホステスと同様、めぼしい客十数人に営業メールを送る。戻ってきた返事一件一件に、へりくだった丁寧な文章を考えて送り返す。


 メールの送受信を数回繰り返すお客が数人現れた頃、重くずっしりとしたビップルームCのドアが半分開いた。

 室内の様子を確かめるように、付け回し担当の黒服が顔をのぞかせる。

 20人待機しているホステスの顔を一人ひとり見渡した。


奈々ななさん、里美さとみさん、フリーのお客様、お願いします」


 いつものようにどこか遠慮がちに黒服は指示を出す。

 里美は澄ました顔でスッと立ち上がり、他のホステスの足を上手く避けながらビップルームCの出口に向かった。


 奈々は久しぶりの、指名の無いフリー客に対しての接客に新規開拓の喜びを感じた。ハンドバッグから手鏡を取り出し、今一度化粧のチェックをしてからビップルームCを後にする。


 大人の肩くらいまである曇りガラスの仕切り壁で大きく三区画に分けられた店内を見渡した。黒服と目が合い、フリー客の席まで案内してもらう。

 

 乳白色のデザイン家具で統一された白茶色のスポットライトが薄っすら輝く店内を貴婦人のようにゆっくり歩く。

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