18話:奈々錯乱

 2週間が過ぎた頃になると、奈々の復帰はないと判断したのか、里美はもはや自分がナンバーワンとばかりに店で振舞い、得意絶頂であった。

 そして奈々の悪口を言ってお客を奪っていく行動も誰に遠慮することもなく、いよいよ露骨になった。


 美鈴は我慢することが出来なくなり、Bランク、Cランクの奈々の指名客にも積極的に営業メールを送り、毎日同伴出勤をした。


 店が終ればアフターにも誘った。

 アフターを掛け持ちする事も多々あり、その度に奈々のことを弁護し、賛美した。

 

 そんな生活を続けていたので慢性的な胃のもたれや、睡眠不足に襲われた。

 その間一度も、奈々の病院にお見舞いに行く事は出来なかった。しかし今日は具合が悪くても絶対にお見舞いに行くと決めていた。

 

 数週間前にたまたま来店したお客に皮膚科で働く経理部長がいた。

 火傷の痕を綺麗に消す【Cローション】という塗り薬があり、火傷患者の間で爆発的に流行っているとのことだ。

 病院でも入荷待ちということなので、美鈴も試しに1本取り寄せてもらったのだ。それが昨日入荷になり、店に持ってきてくれたのだ。


 

 久しぶりに早起きした美鈴は、冴えない体調に鞭を入れ、自宅アパートを後にした。


 路地を歩いていると、公園の小さな花壇に不規則に咲いている、薄ピンク色の紫苑の花を見つけた。

 歩く速度を落として見入っていると、体調が良くなった気がした。改めて紫苑の花の言い伝えを思い出す。

 

 奈々にも教えてあげたくなり、辺りを気にしながら数本摘んだ。匂いを嗅ぎながらコンビニに寄ってお見舞いの品を買う。

 道中すぐに見つけたタクシーを拾い病院に向う。



「奈々さん元気ですか?」


 久しぶりに病室に行くと、奈々は布団を頭まで被っていた。ベッドの周りは、まるでアクセサリーショップが新規開店したかのように、用途の分からない小物や大小のぬいぐるみで溢れていた。

 綺麗に飾られた薔薇の花は、病院の消毒剤の匂いを消している。

 

 美鈴は薔薇の花が活けてある花瓶に、手に持っていた数本の紫苑の花を挿した。


「紫苑の花、あたし大好きなんですよ。台風に倒れてもいち早く立ち直る花なんです。昔、親をなくした兄弟がいて、兄が萱草の花を、弟が紫苑の花を墓に植えたんです。いつしか兄は親のことをすっかり忘れちゃったんだけど、弟はいつまでも覚えていたんです。それでいつまでも想いを忘れない、想紫苑と呼ばれているんです。か弱く見えるけど、どんなに逆風が吹いても、心には決して忘れない思いを秘め、倒れても直ぐに起き上がるんです。あたしもそれにあやかりたくて……、それに世間では雑草扱いされているところも、なんかあたしっぽいし……」


 美鈴は薔薇と紫苑のバランスを取りながら、照れくさそうに話した。


 ベッドに寝ていた奈々は、頭から被っていた布団を胸までずらし、何か用? と感情のない声を出し、美鈴を見る。

 

 目が合った瞬間に美鈴は、あっ! と反射的に声を出した。顔の包帯が取れていて、所々ガーゼを当てていたのだ。

 ガーゼの隙間から皮膚が少し見えた。赤くただれ、吹き出物のようなケロイドが、お湯を沸騰させた時の気泡のように無数にあった。


 入院した直後の状態に比べると血色はいいが、皮膚は若干良くなっている程度だった。思ったほどは良くなっていなかった。

 美鈴はすぐに平常心を装い、表情も自然体の笑顔を意識した。


「聞いてくださいよ、里美さん酷いんですよ!」


 美鈴は手に持っていた沢山お菓子が入ったコンビニのレジ袋を、近くのテーブルの上に置いた。足元にあった丸椅子に腰を下ろして店の話題を話す。


 奈々は、ひたすら話し続ける美鈴の顔をベッドに横になりながら黙って見ていた。


「他の子から聞いたわ、美鈴頑張ってるんだってね、でも、貴方と里美……、何が違うっていうの?」


 奈々は眉一つ動かさずに、空気を切るような言い方をした。


「ケンちゃんやキミちゃん、松原真治にまで教えたでしょ、全然たいした事ないから、お見舞いに行ってあげてって。私の顔知ってるくせに……」


「いや、それは……」


 美鈴が説明しようとしたが、その言葉を遮って奈々は徐々に声を大きくして話し出した。


「ケンちゃんに振られたわ、付き合う時の条件が崩れたから、もう終りにしよう、って、理由は聞かなくても分かってるの」


「それは違うの!」


 今度は美鈴が奈々の話を遮った。

 若林健二の会社は倒産するの、と言いそうになったけど、思い留まった。


 奈々は何か言いたそうな美鈴の顔を数秒見詰めて、話し出すのを躊躇ちゅうちょしている表情を悟った。


「何が違うというの、私判ってるんだから……、貴方ケンちゃんと頻繁に遅くまでアフターしてるそうじゃない、上手い事やったもんだわね……、里美の方がまだましよ、私に変わって一番の座を狙っているだけなんだから」


 美鈴は真実を話したかったが、いずれ自分の口から話すから、奈々には言わないでとの約束を守った。黙って下を向き、目に涙雲を浮かべた。


「貴方だって、私の名前を使って、私の客と毎日、同伴、アフターしてるそうじゃない、ナンバーワンになるのは、貴方か里美か見ものだわ」


 奈々は嫌味たっぷりに話すと、少し咳き込んでまた話し出した。


「キミちゃんも昨日来たわ、ホステスと付き合うのはよくないと親が反対している。このまま付き合っても、結婚する事は出来ないので、君をだます結果になるから別れよう、って」


 奈々の眼には大粒の涙が浮かんでいた。

 

 生まれてからただの一度も男に振られたことのない奈々は、今の状況は地獄以外の何物でもなかった。お見舞いで貰った可愛い品々も、綺麗な時の奈々を連想させるのか、今の状態ではどんな物も嫌味に映るのだ。


「美鈴も他の子と同じで、私の顔を確認しに来たんでしょう、そしてお店で、奈々は化け物になったって、お客に言いふらして笑ってるんでしょ、もう気が済んだでしょ、帰って!」


 奈々の興奮状態は頂点に達した。

 美鈴は一言も反論することなく、ハンドバックから丁寧にCローションを取り出した。


「奈々さん、これ火傷の痕にイイってやつです……」


 美鈴は眼に涙を浮かべながら呟く。

 Cローションとその商品のパンフレットを、ベッドの枕元に置いて、深々とお辞儀をして病室を後にした。


 美鈴は病院の廊下を駆け足で出口まで向かう。玄関前に客待ちで待機していたタクシーに勢いよく乗り、声を上げて号泣した。

 

 もしあたしだったらどういう精神状態になるのだろうか、散々当り散らした後に自殺? それとも誰も知らない田舎で細々と暮らす? 綺麗な女性に対して、手当たり次第に無差別殺人? 


 それにしても今日の奈々さんは、人格を疑うくらい酷かった。まるで別人だ。今まで綺麗な容姿を武器にお金をたくさん稼いで、派手な生活をしていた。そんな大前提が崩れて、これからの人生がまるで計算できなくなったからだろう。

 なにより生まれて始めて男性に振られたんだ。しかも2人同時に。その凡人には計り知れない大きなショックを受けて完全にパニックになっているんだ。

 下手に知ったことのように話をすると、私が逆恨みされるのかもしれない。いや、もうされているような気がしないでもない。今は感情のコントロールが出来ないという一時的な症状だから、いずれ収まるだろうけど、今後どういうお付き合いをすればいいのか、何を話せばいいのか、まったく分からない……。

 


 美鈴はこれからのことに不安を感じ、また、奈々の心情を察した。

 

 ハンカチで涙を拭いた。



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