19話:松原真治始動

 奈々の病室を訪れてから1週間が過ぎた。その後、一度もお見舞いに行っていない美鈴は、今後どのように接するのが正解なのか悩んでいた。


 若林健二や麻生公彦もあれから一度も店に来ることはなかった。

 

 若林健二は以前の話から察するに、おそらく会社がダメになって、今頃はどこか遠くに逃げているのだと考えていた。この際、若林健二には止められていたけど、その事実を奈々に伝えたかった。けど美鈴も奈々との関係がギクシャクしているのでそれどころではなくなっていた。  


 麻生公彦には6日前にメールを送ると、2日後に返信が着た。


《奈々さんと別れた原因の一端は美鈴さんにもあるのです。火傷の程度は軽易だと断言されていたので、何の心構えも無く、無防備に見舞いに行きました。何気に奈々さんの顔を拝見した時、私は状況判断をする事が不可能という状態になりました。それからというもの動揺した精神状態ではありましたが、我々の関係を必死に思案し検討しました。そして別れることが最善であると結論付けたのです。そもそも社会的地位が未だハッキリと確立されていない、ホステスという職業に従事する人に好意を寄せるという事は、すなわち外見的な評価のみを対照にしてお付き合いをしているに過ぎません。その外見が著しく低下した場合は、合意した契約に不履行が生じたのと同じなのです。したがって再度評価を見直すのは当然の行為であり、非難されるものではありません。判例でも相手の落ち度で契約が履行できないとなった場合は、ほぼ無条件に契約解除ができるのです。不幸に見舞われた奈々さんの心中をお察しすると、大変胸が痛く、心苦しいのでありますが、火傷をしてしまった今では、すでにどうなるものでもありません。不幸は確定したのです。そんな奈々さんに情を移し、自分も自ら進んで不幸の道を歩むというのは、後追い自殺をするのと同じことなのです。世間では判断力が欠如した馬鹿というレッテルを貼られます。1人で済む不幸をわざわざ2人で背負い込むというのは合理性にかけるからです。情においては大変忍びないのですが、人生で一番大切な瞬間、それは決断の時なのです。私は断腸の思いで、合理性に基づき別れるという決断をしたのであります。心中お察しいただけたら幸いです。麻生公彦》

 

 美鈴はメールを読んでいる最中からムカムカしていたが、読み終えた後は、携帯電話を持っていた右手が激しく痙攣しているように震えが止まらなかった。

 麻生公彦の静かな仮面の奥深くにある、冷酷残忍性に不気味さを覚えた。時間が経てば経つほど苛立ちが激しくなり、腹が立って収まらなくなった。


《理屈こねてるんじゃねえゾ! このエロジジィ! 役所に乗り込むぞ! 謝れ!! ろくでなし!!!》


 メールを送った美鈴は少しだけイラつきが収まった。しばらくしても当然のように返信は返ってこなかった。


《人間のクズ! 社会のゴミ! 産業廃棄物! 空気吸うなサイコパス!!》


 粘着体質のように謝るまで何度でもメールを送ってやろうと意気込んだが、メールは宛先間違いで戻ってきた。メールアドレスを変えたことに腹が立ったので、直接電話をして怒鳴り散らそうと思った。


《お掛けになった電話番号は現在使われておりません。もう一度番号をお確かめになってからお掛け直しください》


 電話口から聞こえてくるガイダンスは『電波が届かない場所にあるか、電源が入っておりません』ではなかった。

 麻生公彦はメールアドレスを変更したどころか、携帯電話自体を解約したのだ。美鈴はもう連絡の手段を完全に無くしたのだった。





 美鈴はフリーのお客の席で談笑していると、美鈴さん、お願いします、と黒服が呼びに来てた。6番テーブルで指名です。と言われた。


 そこには松原真治が珍しくスーツ姿で1人酒を飲んでいた。


「スーツ姿、初めてじゃない?」


 美鈴はスーツ姿の松原真治を興味深そうにジロジロ見ながら、隣の席に座り、緑茶を頼んだ。

 今日、奈々ちゃんのお見舞いに行って来たんだ、作業服だと気が引けるからスーツなんだ、と言いながら、松原真治はネクタイの結び目を緩め、シャツの第一ボタンを外した。


「あたし、ここ1週間行ってないけど、元気でした?」


 美鈴も、もうそろそろお見舞いに行かないと、益々行きにくくなると考えていた。松原真治は、奈々は性格がおかしくなったんじゃないか? と前置きをして、思い出すかのように語りだした。


「俺が病室に行くと、奈々ちゃんはベッドに寝ながら雑誌を読んでいた。元気でしたか? と声をかけて、美味しいと評判のケーキ屋さんで買ったジャンボ生シュークリームを、これ良かったら食べて、とテーブルに置いて、丸椅子に座った。奈々ちゃんはすごく無愛想だったけど、それなりに世間話をしてたんだ。で、話の中で2人彼氏がいたらしいんだけど、その両方に振られたと言っていたんだ。そこで、じゃあ、俺と付き合ってよ、と冗談ぽく言ったんだ。そうするとそこから性格が豹変したんだよ。私の哀れな姿を見て、俺でも楽勝に付き合える、とでも思ってるの? 醜い女と付き合ってやっている俺は、何て優しい人間だ、とみんなにPRする為だけの売名行為でしょう! 顔以外の肉体は一緒だから、顔を隠して1回セックスをやって、私を弄んで捨てる気でしょう! もしかして、今まで貴方に取ってきた私の態度を考えて、何か想像も出来ないような新しい復讐でも考えているのね……。と興奮して次々に被害妄想的な発言をするんだ。同じ病室の人も、また始まった、というような顔で見てるんだ。俺も急に病室に居づらくなったから、最後に、顔じゃないんだ、奈々といると落ち着くんだ、と言葉を吐き捨てて、帰ってきたんだよ」


 松原真治はゆっくりと話し、水割りを飲んだ。

 美鈴は緑茶のターキー割を作って乾杯をした。


「1週間前と余り変わっていないかもしれない……」


 美鈴がそう呟くと、重症だな、と松原真治も呟いた。


「俺、いま内勤だから毎日お見舞いに行って、奈々の心のわだかまりのはけ口になろうと思ってるんだ」


 美鈴の目を見ながら笑顔で語り、煙草をポケットから取り出した。上着の内ポケットに手を入れライターを探しながら、さらに語る。


「こうなれば半分意地? 何が何でも俺のことを分かってもらいたい、ゲーム感覚なのかもしれないけど……」


 自分を誤魔化すように照れた。


「真ちゃん、やっぱり一番いい人だよ……。あたし真ちゃんのこと応援するし、なんでも相談して。あと、ちょっとした奈々さん情報でも、メールくれたらうれしいかな……」


 美鈴は楽しかった日々が綴られているアルバムを、今一度見て感動したような表情で話し、マッチを取り出して、松原真治の煙草に火を点けた。



「明日から毎日、メール送るよ」


 自分で意気込みを確認するかのように、テーブルに置かれたグラスを見ながら一人頷いた。


     

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