24話:悪夢

 ものすごい勢いで男が叫んでいた。


 運転席から顔を出して大きく手招きをしている。

 何がそんなに大変なの? と聞いてみると、男はまた叫んだ。


「ライオンが人間を襲いにくるんだ! 奈々も早く逃げなければ食われるぞ! いいから早く乗れ!」


 男はトレーラーのエンジンを数回空吹かした。

 爆音で窓ガラスが割れて部屋が散らかったので、今着替えるからちょっと待ってて、もうエンジンを吹かさないで、と叫ぶ。

 

 急いでクローゼットを開けて、逃げるのに最適な服を考えたけど、もしかしたら人生最後の服になるかもしれないと思って、持っている中で一番値段の高いジーンズにTシャツを選んだ。ウエストを気にしていると、今度はクラクションが鳴り響いたので、化粧ポーチを片手にトレーラーの助手席に飛び乗った。


「10分もかかったぞ、こうしている間にも、100人がライオンに食われたんだぞ」


 男は私の顔を見ることなく、トレーラーを急発進させた。

 

 手鏡を出して化粧を始めると、あまりに荒い運転だったので、眉毛と口紅だけを塗って他は後からすることにした。


 前を見ると大きな風呂敷を背負っている人が5割、リヤカーに山盛りの家具を積んで、引くお父さんと押すお母さんと子供が3割、子供の手を取りながら防空頭巾を被っている親子が2割、道路を埋め尽くしていた。


 男は少し強張った表情だ。

 ハンドルを握る両手を棒のように伸ばし、肩から手首までが震えている。


 トレーラーを停めないと人をひいちゃうよ、と男に忠告したけど無言のまま表情も変わらなかった。

 もしかしたら耳に障害があるのかなと思い、男の顔を覗き込むように目を合わせると、男の目が私と合った。人をひいちゃうよ、ともう一度忠告した。


「しょうがないんだよ! ライオンに食われるのと、人をひくの、どっちがいいと思ってるんだ!」


 男は狭い車内で怒鳴った。

 

 その声にビックリしたけど考えた。ライオンに食われるのは私が痛いけど、車にひかれるのは他人が痛いだけだから、別に気にする程でもないと思った。

 

 返事をしようと男の方に顔を向けると、ポコッと鳥が当たったような音がしたので前を見た。大きな風呂敷を背負っている人がゴムマリのように跳ね飛ばされて、立派なお屋敷の塀にダーツの矢のように刺さった。


「ちぇ、20点だ」


 男はひとり言のように呟き、悔しがっていた。

 すぐに今度はゴボゴボゴボという、おもちゃ箱をひっくり返したような音が聞こえた。

 暴れ馬のようにトレーラーが大きく右にも左にも傾いた。リヤカーを引いていた親子3人が、トレーラーの下敷きになって消えた。


「やった! 親子3人プラス家具一式は、70の高得点だよ」


 男は満足げな表情を浮かべ、胸ポケットから煙草を取り出し、気取って火を点けた。その様子を見ていたけど、どうやって点数が決まるのかが判らない、それどころか何をやっているのかすら判らなかったので尋ねてみた。


「100点取ったら、ライオンが味方になるんだよ、でも心配ない、あと10点だから楽勝だ!」


 始めに見せていた強張こわばった表情はもうなく、ご機嫌な様子だ。

 私もその様子や言葉を聞くと、奇跡の生還という文字が脳みそ一杯に入ってきて胸を撫で下ろした。

 アパートに帰ったら美容室にでも行こうと、予約の電話を入れた。


‐奈々ですけど、午後6時頃に予約したいんですけど……‐

‐奈々ちゃんかい? ライオンはどうだったの?‐

‐今現在90点取ったから、あと10点って感じです‐

‐予約は入れておくけど、最後まで気を抜くんじゃないよ‐

 電話が終わると男は待っていたかのように聞いてきた。


「どっちを狙う?」


 血糊の付いたフロントガラス越しには、防空頭巾を被った親子が2組いた。右側には健康そうな、やや小太りのお父さんと息子がいて、左側には腰を曲げた老婆と栄養失調気味の娘がいた。あと10点取ればいいだけだから、確実にひき殺せる左側の老婆と娘にしようと思ったけど、


『最後まで気を抜くんじゃないよ』と、

さっき美容室の店員に言われた事を思い出して、右側にしよう、と車内に響くような声で答えた。


「右側? 100点以上取っても、何の商品も当たらないんだぞ」


 男は予想と違う答えに不思議がっていたけど、勝ち戦でも全力を尽くすことが、相手に対する礼儀だよな、と自分で自分に言い聞かせていた。

 

 男は吸っていた煙草を乱暴に灰皿に押し潰すと、アクセルを踏み込みハンドルを右に切った。

 

 ボンッ! と飛び出してきた馬をひいたような鈍い音が聞こえた。


 相当の衝撃があったけど、無事にひき殺すことが出来た。


 顔を見合わせて喜んでいると、バタバタバタという音が聞こえ始め、右側の前輪のタイヤがロックし、ブレーキのかかった状態になった。

 男は慌てて車を停めて降りた。私も降りてみると、タイヤの内側には胴体の無い、防空頭巾を被ったお父さんの頭が挟まっていた。


「奈々のせいだからな! どうしてくれるんだ!」


 男は火山の噴火のような真っ赤な顔をして、頭から湯気を出していた。

 すぐに今履いているスニーカーの紐を結び直したので、どうなったの? 何点なの? と聞いてみた。


「どうもこうもないよ! こんなの0点だ、走って逃げるぞ」


 慌てて車内に戻り携帯電話を取って、美容室にキャンセルの電話を入れた。


「今の電話で5分もロスしたぞ、ライオンはそこまで来てるぞ!」


 男は私の横に立ち、後ろを指差したので見てみると、1頭のライオンが目の前3メートルの距離で、ガオォーと吠えていた。

 驚いたので男を両手でライオンの居る方に突き飛ばし、一目散に走って逃げた。10秒位全力で走ると、悲鳴のような叫び声が聞こえたので、少し気になり振り返ってみた。

 男は左腕を噛まれながら右手でライオンの顔を殴っている。頑張れ、と声援を送りながらその場で観戦していたら、さらにその後ろから100頭くらいのライオンの群れが、勢いよく走ってこっちに向かって来ていたので、猛ダッシュでまた走って逃げた。


 ゆがんだ街を走りながら通行人に、ライオンに追われているから助けて、と頼んでも誰にも信じてもらえなかったので、助けを求めるのを止めた。

 屋台でシュークリームを買って食べながら歩いていると、公園があったので水をたくさん飲んだ。


「マダ? ハヤクシテヨ」


 背後から聞き取りにくい日本語が聞こえ、肩を叩かれたので振り向くと、ライオンの群れに囲まれていた。何百頭という数を見た瞬間に腰が抜け、その場に座り込んだ。


 連続する乾いた機械音が聞こえた。

 ライオンを次々に殺しながら、男がこちらに向かって歩いてきた。右手にマシンガンを持っていたけど、左手は肩のつけ根から無い。


「奈々、今助けるから頑張れよ!」


 応援団長のような声を上げた。

 ライオンは全頭男に向かって突進していった。男の周囲は見る見るライオンの死骸が折り重なって、小山が出来た。面白いので近くに設置されていたベンチに腰を下ろして様子を見ていると、小山の頂上に男がガッツポーズをして屹立きつりつと立った。


「奈々! 勝ったぞ!」


 戦いに勝った男は小山から勢いよく飛び降りた。

 同じベンチに座ってきた。

 一応、ありがとう、とお礼を言って頭を下げると、右手に持っていたマシンガンを遠くに投げ捨てて、ベンチの背もたれに仰け反りかえり、息を切らした。


「ターキー水割りでちょうだい、奈々ちゃんもなんかカクテル飲んでいいよ」


 発言を聞いて思い出した。この男は真ちゃんだ。


「そんなことより真ちゃん、どうして私を助けてくれたの?」


 真ちゃんはベンチに仰け反っていた身体を起こし、一呼吸おいてから立ち上がると、氷のような顔に一変した。鋭い目付きで睨らまれていると感じ取った瞬間、髪を右手で鷲摑みにされて、高々と持ち上げられた。

 足は地面から離れて、髪がむしれるほど痛かった。


「それはね、面白いストーリーで料理をして、奈々を食べたかったからだよ、苦労して手に入れた食材だから、手間暇かけてじっくり煮込んだ方が、同じものでも、より一層、美味しくなるんだよ」


 そういい終わると、涎を垂らし大きな口を開け、鋭い牙を2本輝かせながら首に噛み付いてきた。

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