4話:常連客

 次の日奈々は、麻生公彦あそうきみひこと食事をして店に同伴した。


 昨日店に来たときに、一見いちげんでは入りづらい料亭に連れて行ってもらう約束をしたのだ。名前を聞いてもよく分からない高級食材のフルコースを食べ、セレブ気分に浸っていた。

 

 そのとき思いがけないプレゼントを貰う。

 ダイヤの指輪だった。

 

 箱を空けた瞬間に、

 

 0・5カラット

 カット多数

 不純物なし


 40万円前後、と値踏みをした。


 この指輪の意味を考えると怖くなり、私、指輪とかしない人だから……、と一度は返したが、誰にでもあげているただのプレゼントです、意外と純情なのですね、と微笑むので素直に、ありがとう、と受け取った。



 店に着くと奈々は急いで衣装に着替え、麻生公彦の席に向おうとしていると、指名入っているから、先に3番テーブルにご挨拶に行って、と黒服に言われた。



 運送屋の松原真治まつばらしんじがヘルプの美鈴みすずと酒を飲んでいた。


「いらっしゃい、今日も来たんだ?」


 席の前に立ち挨拶をすると、松原真治は顔を上げた。


「奈々ちゃんに会いたくて来てみたよ」


 なぜか笑顔だ。

 昨日の40分くらいの会話で奈々の何を気に入ったのかは分からないが、指名をもらい得をした気分になった。


「今、他のお客さんに着いているから、もう少し待ってね」


 そう言い残し、その場を去った。


 

 麻生公彦の席に行くと、携帯電話を無闇に操作して時間を潰していた。遅くなってごめんなさい、と隣に座わると、今日も乾杯しよう、とドンペリを注文した。

 

 奈々は指輪を貰ってドンペリで乾杯をすることが、さらに怖くなった。


「何に乾杯をするの?」


 奈々は、運ばれてきたドンペリを注ぎながら、無邪気な顔を装い、それとなく聞いた。


「昨日奈々さんが述べられた通り、理屈抜きで楽しいから乾杯をするのです」


 表情に変化を作ることなく話すと、お互いのグラスを昨日と同じように静かに合わせた。そして麻生公彦はいつになく、積極的に旅行に誘ってきた。


「奈々さんが住みたがっているバリ島に別荘を建てようと思っているのです。市役所では今、早期退職者を募集していまして、退職金が大幅に増額されているのです。この機会をチャンスと捉えて、市役所を辞めて、バリ島で日本人相手のレストランでも始めようと考えているのです。もし商売が上手く行かなくても、孫の代まで悠々自適に暮らせるお金はあります。その下見に行きませんか?」


 麻生公彦は自信に満ち溢れた顔で、ドンペリを飲み干した。グラスをゆっくりとテーブルに戻す。その視線の先は、奈々の顔を見詰め表情を伺っている。

 

 奈々は新しいグラスにシーバスの水割りを作りながら、返事を考えた。

 

 お客を3つのランクに分類している。

 

 年に1~2回程度来店する指名客を「Cランク」

 月に1~2回程度来店する指名客を「Bランク」

 週に1~2回程度来店する指名客を「Aランク」

 

 としていた。


 休日に遊びに誘われた場合、

 Cランクのお客なら、休みの日は寝てるから無理、と冷たく断る。

 Bランクの指名客なら、その日予定入っているから、また今度にしようね、と社交辞令程度に断る。

 Aランクの指名客なら2つ返事で、良いよ、と言い、時期を見てから、どうしても行けなくなっちゃった、と完璧な理由を考えて言い訳をする。

 

 しかし、麻生公彦はAランクを通り越したお客である。いや、若林健二と並んで、特Aのお客様、極太客なのだ。


「バリ島に下見って、泊まりでしょ、付き合っているわけでもないのに、無理だよ」


 奈々は自分のシャンパングラスに目を移し、ドンペリの気泡をじっと見詰めた。

 うやむやの言い回しの中にも、付き合っているわけではない、と一歩踏み込んだ言葉を入れ、麻生公彦の反応を伺う。

 

 奈々はすでに若林健二とは付き合っていて、身体の関係もあったが、麻生公彦とも付き合ってもいいかなと考えていた。



 そのとき絶妙なタイミングで黒服が呼びに来た。

 この席に着いて30分経っていたので、松原真治の席に行く時間になったのだ。


「呼ばれたから行くね、ちょっと待っててね」


 奈々が立ち上がると、麻生公彦はグラスの氷を眺めながら、黙って考え込んでいた。



 松原真治のテーブルに行くと横に座っている美鈴と2人で幼馴染のように盛り上がっている。向いの椅子に座り2人を見ていると結構酔っ払っているようだ。

 面映おもはゆい顔で美鈴がいつまでも横に座っているので、美鈴ちゃんありがとう、と声をかけた。

 私も指名なの、と嬉しそうに言葉が返ってくる。


「松原さん、随分羽振りのいいこと。私もなにか頂くわ」


 と言うと、飲め飲め! 金はいくらである、と気持ちが大きくなっていたが、普通にカクテルを注文した。


「今日は何かあったの?」


 松原真治と美鈴の会話が途切れたので、話かけた。


「奈々ちゃんと結婚しようと思って、婚約しに来たの。美鈴は愛人一号」


 脂ぎった顔でニタニタしながら奈々を見たあとに、美鈴を見ながら頭をでた。美鈴は、愛人じゃ嫌だ、本妻がいい、と迫真の演技で松原真治に迫った。

 

 奈々はこの席にいる必要がないと思いながらカクテルを飲み干す。


「もう1杯貰っていい?」


 空いたグラスを松原真治の目にかざしながら奈々は聞いた。


「もう飲んだの! 1杯1,500円するのに」


 松原真治は酔いながらも、冷静にビックリしていた。


「お金いくらでもあるんでしょ? シ・ン・ジくん」


 嫌味っぽく言いながら、カクテルを注文した。

 松原真治は指を折りながら、今時点でいくら代金がかかっているかを計算し始め、財布の中身を確認した。


「ねぇ、カード使えるの? この店高いからな……」


 不安そうに奈々を見詰めながら聞いてきた。

 客単価3万円のウチの店は、現金支払いよりカード払いのほうが多い。

 しかし、奈々の概算では2万円もかかっていない。その程度の金も持ち合わせていないのなら、ウチのキャバクラにくる身分ではないと思った。


「カード使えるから安心して。あと高いって言われても、ウチの店はキャバクラの中では、高級店で通っているし、そもそもスナックじゃないからね」


 奈々が笑いながらもキツイ事を言うと、美鈴が口をポカンと開けて奈々を見ていた。奈々の指名客ではあるが、美鈴の指名客でもあるのだ。


「5名様からパーティープランがあるよ、90分8千円だよ」

 美鈴が必死に取り繕うと早口で説明したが、松原真治は奈々の発言を気に止めている様子はなかった。


「奈々ちゃんってはっきり言うね、なんか本音と本音がぶつかってるって感じで、すごく親しみやすくて、ますます好きになっちゃったよ」


 頬を弛ませながら、奈々にしつこく交際を申し込み、ガブガブ水割りを飲んだ。

 美鈴はこういう接客もあるんだと思いながらも、奈々とばかり話しているのを見て少し嫉妬した。





 奈々が麻生公彦の席に戻ると、里美が隣に座り色目を使っていた。


「遅くなっちゃった」

 

 奈々は正面の席に腰を下ろしながら里美を見詰めると、私も指名頂いたの、と微笑む。同じ日に同じ事が続くのかと思いながらも、麻生公彦に目を移した。


「いやぁ、ですね……、奈々さんが他の席に移られた後に、里美さんが前を通り掛かり目が合ったのです。その時にご丁寧にご挨拶を頂きまして、それでお礼かたがた場内指名を入れたのです」


 麻生公彦は額をおしぼりで拭きながら、言い訳をするかのように話した。


「キミちゃん、ハーレム状態が好きなんだ」

 笑いながら奈々は、麻生公彦から目を離さなかった。


「込み入った話があるのなら、私はこれで失礼しますね」

 里美は麻生公彦の顔を覗き込む。


「そうしてもらえますと、助かります」

 ハキハキとした声で麻生公彦は言う。

 里美ちゃんありがとう、と明るく言いながら奈々は席を代わった。


 里美の飲んでいたグラスの中は水のような色をしていた。焼酎の水割りを飲んだのかとテーブルを見るとやはり焼酎のボトルがあった。しかし新品のボトルだ。


「焼酎入れたの?」


「里美さんは昔ひどく貧乏で、ドンペリを美味しい、美味しいと飲んでいました。でもやはり飲みなれていないせいか、私の口には焼酎の水割りが合っているの、と切ない事を言うので、1本入れました」


 麻生公彦はシミジミと語った。


「キミちゃん焼酎キープしてあるんだよ、それを出せばよかったのに」


 奈々は少し興奮気味に話すと、僕よく分からないし、どうせ飲むから……、と何も気にしていなかった。

 ドンペリのビンに目を移すと、ほぼ満杯に入っている。さっき席を立つときには半分くらいしか入っていなかったので、事情は分かった。


「ドンペリ新しいの入れた?」


 奈々はビンを手で持ち中身を確認するかのように見た。


「初めのうちは、里美ちゃんが飲まれてました。でもドンペリに慣れていないようで、2本目を飲み始めた辺りで調子が悪くなったみたいでした。奈々さんも何かどうぞ」


 私のお客相手に、里美自身がドンペリバックを付けた上に、場内指名をいいことにニューボトルを入れ、ボトルバックまで自分に付けるとは、反則すれすれの行為だ。鬼の居ぬ間に火事場泥棒だと腹が立った。


 麻生公彦は自分の意思で里美を指名したので、奈々は苦い表情を浮かべながら、新しいシャンパングラスを黒服に頼んだ。

 

 そして話は自然と先ほどの続きになった。


「付き合うって話だけど、私、日中は携帯の電源切ってて連絡つかないし、色んなお客さんとも食事に頻繁に行くけどいいの?」


「奈々さんがホステスという、一般社会とは若干異なる業界の人間である事を知っていて交際を申し込んでいるのです。例え同伴で毎日他の男性と食事をしようが、アフターで帰りが明け方になろうが、休みの日は1人でまったりしたいと言おうが、その業界で起こりうる全てを想定した上で、僕はお話をしているのです。末永く宜しくお願い致します」


 奈々の発言に対して麻生公彦は間を置かずに力強く答え、口元をハンカチで拭いた。奈々は周りの目を気にしながらもほほ紅潮こうちょうさせ、はい、と答える。

 軽くお辞儀をして乾杯をした。



 2人は透けた白茶色しらちゃいろのスポットライトに照らされながら、店内の奥まった隅の席に無言で座っている。他の席の着飾ったホステスとお客さんが楽しそうに過ごしているひとときを、ぼんやりと眺めていた。

 静かにグラスを傾けながら些細な動作にもお互いが意識し、理由付けを詮索した。




「ラストですけど、フードのご注文は何かありますか?」


 2人の密やかで店内からポツンと取り残された空間の中に、黒服がメニュー表を広げてやってきた。

 麻生公彦は腕時計を見て、もうこんな時間、と驚いてお会計を頼んだ。

 

 オープンからラストまでいてくれた事に気が引けた奈々は、この後、食事に行かない? とアフターに誘う。


「アフターはいつでも行けます。今日は、今日しか体験できない幸せを胸に、このまま自宅でいい夢を観ます」



 詩人のように語り、いつものようにしっかりとした足取りで、店を後にした。

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