5話:師弟愛

 店は通常通り午前1時に終る。


 奈々ななは更衣室で私服に着替えていると、先に着替え終った美鈴みすずが隣にやってきた。


「奈々さん、この後2人で飲みに行きませんか?」


 その声に振り返ると笑顔の美鈴が、着替えの入った紙袋を両手に持って奈々の後ろに立っていた。

 美鈴から誘われる事は今までなかったので不思議に思ったが、新人から本職になる過程での仕事上の悩み事があるのだと察した。


「そうね、美鈴ちゃんと飲むのも初めてだしね」


 着替え終えロッカーに鍵をかけながら、どこの店に行こうかしら? と聞くと、美鈴は飛んで喜び、よく行くメンズバーに電話をかけた。


 美鈴が予約を入れたメンズバーは、長いカウンターとそれに平行して長いボックス席がある、木目を基調としたサウナの中を思わせる作りの店だった。

 夏だというのにスノーボードグッツが壁から天井まで無数に飾られており、裸電球の薄明かりの中、煙草の煙が空気を支配している空間だ。奈々は美鈴とカウンターに座る。


「何飲みます? あたしはワイルドターキーをボトルで入れているんですけど」


 奈々はマスターがカウンターに置いた、ワイルドターキーのボトルを見てビックリした。

 今まで散々店でお酒を飲んで、今、お客に勧められている訳でもないのに、癖のあるバーボンを飲むということは、無類の酒好きではないかと思った。

 美鈴の表情に目を移すと、首を傾げている。


「同じでいいよ」


 お客とアフターをしていると思えばなんてことは無い、と奈々は考えた。

 水割りにしたバーボンで乾杯を済ませ飲んでいると、美鈴が奈々に話を切り出した。


「真ちゃんのことが好きになったら、どうしたらいいんですか?」


「真ちゃん?」


 奈々は水割りグラスの一点を見詰めている美鈴を見ながら、聞き返す。


「松原真冶さん、運送屋の。奈々さんがいるからデートは出来ないと言われたの」


 奈々にはよくあることだった。数回席に着いただけで自分の彼女だとお客が錯覚する事は、ナンバーワンの名誉であり、誇りでもある。

 里美との違いはここにあると自分で自分を分析し、営業に磨きをかけていた。しかし、松原真治に対してはまともに席に着いた事などは無く、会うのも昨日と今日の2回だけで、恋人と勘違いされるような接客もした覚えはない。

 これは私を理由に美鈴のことが嫌いだ、と言っているのだと奈々は考えた。


「私は全然そんな話はしてないし、はっきり言って貧乏人には興味が無いの」

「貧乏でもすごく面白くて優しいし、一緒にいて楽しいんです」


 語頭を強めて何かを訴えるように話した。

 手で握り締めていた水割りグラスにバーボンを足した。


「じゃあ、交際を申し込めばいいんじゃないの? 美鈴は何をどうしたいわけ?」


 奈々は少し強い口調で話し、ハンドバックから煙草を取り出し一服した。

 何も話さずにバーボンを沈んだ表情で飲んでいる美鈴を見て、続けて話し出す。


「美鈴は真ちゃんから告白されたいんでしょ?」


 身体がピクッと動いたのを見て、奈々はさらに話を続けた。


「美鈴は色気と話術が足りないと思うな、あなたの営業は若いってだけなの、20~30分話せばもういいって感じ、この世界でやっていこうと考えているんだったら、この2つがないのは致命的だよ。ましてや毎日のようにキャバクラで飲み歩いているような人間に告白されたいって考えていても、真ちゃんに限らず、海千山千うみせんやません曲者くせものばっかりだよ、ドラマのような恋愛なんてありえないの」


 美鈴はただ黙って聞いていた。

 奈々は笑顔をなくした美鈴を見て話をどの方向に持っていくかを考えながら、カウンター越しにグラスを拭いているマスターにビールをご馳走した。


「私今日、キミちゃんと付き合ったの」


 奈々はハンドバックからダイヤの指輪を取り出し、これ今日貰ったの、と言いながら箱を開けてカウンターテーブルの上に置いた。

 美鈴は指輪を見るなり、50万円ぐらいはするんじゃないですか? と目を大きくダイヤのように輝かせて、見入っていた。


「色気と話術の集大成がこの指輪なの」


 美鈴は指輪の箱を手に取り、輝きを確かめるように眺めた。


「奈々さん、結婚するんですか?」


 指輪の箱の蓋を閉め奈々の前に置くと、キョトンとした顔で聞いてきた。

 奈々は指輪をハンドバックにしまいながら話し出した。


「私も美鈴と同じで、高校を卒業してすぐにこの世界に入ったの、店を転々としながら5年間やってきたんだけど、色んな先輩の身振りや話術を勉強して今の私があるの。でも、どんなに人気があった先輩でも、20代後半になったら通用しなくなってくるの、それを目の当たりに見てきて、私もせいぜいあと3~4年、26~27歳までかなと考えているの」


 呟くように奈々は語り、興味津々な顔で美鈴は頷いていた。


「私には夢があるの、キャバ嬢で通用するうちに六本木に出て、30歳を前に銀座で働いて、40歳で店が持てたらいいなって」


「それ凄い! 六本木、銀座って東京ですよね、あたしそんなこと考えたこともないです、そのときは着いていきます。……でも奈々さんが今辞めたら、店が大変になりますよ」


 美鈴は自分でグラスにバーボンのみを足し、グイッと飲んだ。


「店は、里美がいるから大丈夫、私と同じで野心家なの、虎視眈々こしたんたんと私の座を狙っているから、私が辞めたらすぐに私の客に営業をかけて、全員自分の客にするわ」


 奈々は少し興奮気味に言うと、汗のかいたグラスに入っているバーボンを飲み干し、ロックでもらえる? と自分の空いたグラスをマスターに渡した。


「でも、結婚も考えているの、父に先立たれたお母さんが、孫の顔が見たい、女の幸せは楽しい家庭を作ることだよ、と、私の顔を見るたびに最近うるさくて、私一人っ子だから、将来的にお母さんの面倒も見なきゃいけないし、悩んでるの」


 そういい終わると、目の前に出されていたバーボンのロックを一口、口に含む程度の量を飲み、チェーサーグラスの水を飲んだ。


「結婚するなら誰なんですか?」


 美鈴は奈々の顔を覗き込むように顔を近づけて、唾を飲んだ。


「キミちゃんかケンちゃん」


「公彦さんは分かりますけど、健二さんは遊び人に見えますよ」


 美鈴もよく観ていると奈々は感心した。


「ケンちゃんとはもう半年くらい付き合ってるの、実際ケンちゃんお金あるから色んなところで遊んで、あの豪快な性格だからすごくモテて、私も実際何番目の女か分からないの。でも、子供さえ作ってしまえば結婚してくれるかなと思っているの」


 美鈴もロックに近い水割りを飲み干し、ロックグラスをもらった。


「最初っからそんな状況で、幸せな家庭を作れるんですかね、誠実な真ちゃんみたいな人のほうが、絶対良いとあたしは思っちゃうんだけどな……」


 首を傾げながら、出されたロックグラスの中にバーボンを入れ、指で混ぜながら、悶々とした表情を浮かべた。


「ウチ母子家庭だったから、お金がなければ普通の人が話す、普通の話題にも入っていけないんだと、子供の頃に嫌ってくらい感じたの。そうなると、人の集まる所に私のほうから行かなくなって、気が付いたら1人ぼっちって感じで、それを見かねたお母さんが子犬を飼ってくれた事があったの。そんなことがトラウマになって、私に子供が出来たら、そんな生活をさせたくないの、お母さんにも贅沢させてあげたいし。どんなに遊び人でも、どんなに理屈っぽくてもお金さえあれば、まずはそれでいいの。だから美鈴のいう、性格が優しい真ちゃんは、本当に性格が良くて素晴らしい人間でも、トラウマが蘇ってきて対象外になるの……」



 熱く語る奈々を見ながら、美鈴は目頭を熱くし、あたしはまだまだ子供なのかもしれない、とつぶやいた。

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