6話:夏樹海人

 おもむろにマスターが、ワイルドターキーのニューボトルを白い布巾で丁寧に拭きながら2人の目の前のカウンターに置いた。


「隣のお客様からです」

とマスターは少し離れた席に座るお客の方に視線を向けた。


 2人同時に美鈴の3つ空席を挟んで座っているお客を見た。


 黒いTシャツの上から白のジャケットを羽織り、赤らけた表情で愛想よく微笑んでいる中年男性が座っていた。

 奈々は中年男性の顔を注視し、以前に接客した事があるお客かどうかの記憶を辿った。


「一緒していいですか?」


 中年男性は2人の視線が集まっていることを感じ取り、顔を2人に向けて話した。

 奈々は無条件反射的に、どうぞ、と愛嬌を振りまきながら会釈をする。

 店の壁に貼ってある価格表に目をやり、ワイルドターキー8千円と確認した。

 

 

 美鈴は松原真治のことをまだ話したりなかったので、少し不満げな顔になったが、中年男性が席を移動し始めたので、隣の椅子の上に置いていた紙袋を足元に移す。


「お客さんとアフターの待ち合わせをしてるのかと思って、しばらく横で見ていたんだけど違うみたいだから声を掛けました。それに六本木や銀座で働きたいって聞こえてきましてね」


「東京の人なの?」


 美鈴は不満げな顔から、最先端のものを見るような顔になった。


 中年男性は多少饒舌になりながら、簡単な自己紹介を始めた。

 東京在住の夏樹海人なつきかいと、40歳。毎週火曜日にこの街にきて、街の風景を肌で感じながらコラムを書き、地元の民報新聞に掲載している作家とのことだった。


 奈々と美鈴は何かを訪ね合うように目を合わせた。

 夏樹海人、という作家の事を全く知らなかったのだ。作家の世界ではどれだけ知名度のある人物なのか、あるいはそうでもないのか、というような物差しとなる基礎知識がそもそもも持ち合わせていない。


 作家の仕事自体もほとんど知らないこともあり、分かったような分からないような返事をして、乾杯をした。


「私、よく六本木や銀座に行きますけど、なかなか厳しいところですよ、いい人がいるのなら早く結婚することを勧めたくてね」


 夏樹海人は煙草に火を点けて、2人の顔を交互に見ていた。

 奈々と美鈴は、六本木や銀座に進出して、そこで一層自分を磨き成功を収める、という方向の会話をしていたのに、夏樹海人の発言は水を差すようなものだ。


 酔っ払い特有の若い女に説教したい系の人間か、とため息をついたが、ワイルドターキーを貰った手前、多少は愛想よくしなければいけない。


 それに民放新聞にコラムを書いているという、この手の作家の年収が幾らくらいなのか見当もつかない。

 億単位のお金を稼いでいる可能性もあるかもしれないし、今はそうでなくても一発何かで当てると簡単に大金が入ってくる職業なのかもしれない、と奈々は想定した。


「女遊びの激しい面白い人と、一途だけど窮屈きゅうくつな人なら、どっちがいいと思います?」


 近い将来、夏樹海人は常連客になりうると考えた奈々は、滑らかな口調でそれとなく話題を変え会話を続ける。

 今悩んでいるリアルな相談をしてみた。


「あと、貧乏でも誠実で面白くて魅力がある人」


 奈々のあとに美鈴も追加して話を入れた。

 夏樹海人は水割りグラスを手に取り左右に軽く振りながら氷が回るのを見詰めていた。話すことを整理しているようにも見える。

 

 一口飲んでからゆっくりとした口調で話し出す。


「一概には言えないけど、一途な人は、欲しいものを手に入れるまでが楽しくて、手に入れたらすぐに飽きてまた別なものが欲しくなると思うよ。女遊びの激しい人は、ある意味素直だと思う。金持ちは色んなところから色んな誘惑を受けるから、どんなに自制しても抑えきれなくなるんだ。取引先との付き合いということもあるだろうし。でもバブル崩壊で目の当たりにしたんだけど、お金持ちがお金を失ったら、産業廃棄物になるんだ」


 そこまで話し、水割りグラスに口を付けた。


「産業廃棄物?」


 美鈴が聞き返す。


「何の役にも立たないどころか、処理するのも手間がかかる」


 夏樹海人はほほたるませながら微笑ほほえんで語った。

 奈々と美鈴は、的を得た例えだと思いすごく感心し、小刻みに数度頷うなずいたけど、夏樹海人の表情を見る限り、ここは笑うところだと思い、一緒に頬を弛ませた。


「かといって誠実で面白くて魅力があっても、貧乏が長期にわたり続くと、世間に対する妬みや僻みから、心まで貧しくなってきて、どんな些細な事にでも反抗や反発を繰り返し、日常的にイライラして怒るようになるんだ。周りの人はそんな人間と距離を置くようになる。そのことに腹を立ててもっと性格が醜くなるんだ。この悪循環からどんどん孤立していき、やがて犯罪を犯す。この歳になると、人間は金がすべてではない、と、清く美しく言う事は出来なくなったよ……」


 夏樹海人がため息まじりでつぶやく。

 奈々は自分でも上手く言えなかった貧乏の弊害をうまく言い当てたので目を大きくして驚き、そして感動した。



 その後会話は弾み、3人で理想の結婚相手の話で盛り上がる。


 美鈴は松原真治がいいと信者のように言い続け、奈々は若林健二か麻生公彦かで散々悩んでいた。

 夏樹海人はその会話の全部に意見を言ったが、酒に酔ったせいか3人はただ主張するだけであった。


 1時間以上この状態で議論した結果、全員が納得する答えが出る。


「結婚する男の条件、将来確実に金持ちになる、すごく優しい貧乏人をまず見つけ、2人で財産を築いた形に見せかける。そして男と対等の立場を保つ。浮気をしたら、莫大な慰謝料と財産分与を要求して離婚すると恫喝し、家庭内の平和を維持、安定させる。顔、ルックスがよければさらに良い」


 夏樹海人が声高らかに宣言する。

 

 後ろのボックス席に座っていた若いカップルから拍手を浴びた。

 3人は同時に振り返り照れながらも軽くお辞儀をする。

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