二十一話 黒と赤(2)

 永禄えいろく元年(1558年)十一月二日。

 織田信行&土田御前は、織田信長が病床に伏せる、清洲城を訪問する。

 訪問した方も、歓迎する方も、和やかである。

 何せ、信長が自室に引き篭もって、寝ている。

 煩くて小煩くてキレ易い上司が、寝込んで顔を出さないのである。

 平和。

 圧倒的、平和。

 その開放的な空気感は、織田信行の緊張感を、著しく削いだ。

 信行が対面した瞬間に、瀕死の信長が辞世の句とか詠み始めるのではとか、ちょびっとだけ期待した。

 織田信行&土田御前が応接間に入ると、信長は寝巻き姿で待っていた。

 暇を紛らわせる為に、帰蝶と将棋をしている。

「はい、ノブの十三連敗」

「…」

 本当に病気になりそうな顔をした信長が、将棋盤を小姓に片付けさせて、弟&母に向き合う。

「見舞い、有り難し」

「仮病が似合いませんね、兄上」

「二度と、やらん」

 寝巻きを着ている以外、普段通りの信長が、上座で座り直す。

 下座に座った信行が、観念する。

「僕を殺す理由は、どれでしょうか? 心当たりが有り過ぎて、困ります」

「表向きは、二度目の叛逆だぎゃあ」

 土田御前が、赦免を願おうと口を開きかけるが、信行が片手で制する。

「今川が、攻めて来るからですね?」

「今川が大軍で攻めて来たら、如何致す?」

「降伏します。大勢を誘って」

「それをやられたら、信長の手元には、一千未満の兵しか集まらぬ」

 悲しい事に尾張のピープルは、「信長か信行か」の選択肢で、過半数が信行を選ぶ。

 魔王っぽい天才より、イケメンの秀才くんの方が、選んで安心。

「降伏しましょうよ、兄上」

「信長は、戦うでのう」

「三河の松平みたいに、今川傘下の地方領主で、充分ですよ」

「今川のやり口は、存じている。信長と兄弟たちは、戦で使い潰される。子供たちは人質に取られ、今川に都合の良い婚姻で、飼い慣らされる」

 信行は、もう黙った。

 詰んでいる。

 詰み過ぎている。

 この戦の天才は、既に今川との戦を「買っている」

 この先、母が懇願しても、信長は決定を変えない。

 信長が母を同席させるように仕組んだのは、母の前であろうとも「助からない」事を分からせる為だ。

「兄上。さらばです」

「うむ、死ね」

 後ろの襖が開いて、二人の武士が姿を表す。


 一人は、赤母衣衆に入れられて、最近「やだなー」が口癖になっている主人公・金森可近ありちか

 もう一人は、黒母衣衆に筆頭として加入してから、日々ドヤ顔の、河尻秀隆。

「死に方を選べ」

 信長は、趣向を開示する。

「与四郎(河尻秀隆の通称)に頼めば、平気でホイホイ、サクッと斬り殺してくれる」

 河尻秀隆が、ドヤ顔でサムズアップする。

 主君の弟を斬るという『とっても嫌な仕事』に対し、罪悪感に苛まれる様子がない。

 むしろ、ウキウキしている。

「兄上。言い方、言い方、言い方。あと、こういう任務を大喜びする人には、任せないでください!」

 信長は弟からのツッコミをスルーして、やる気のない主人公による処刑方法を開示する。

「五郎八(可近の通称)に頼めば、織田信行の息子・津田信澄のぶすみとして、生き直せ。織田の親戚衆として、権六(柴田勝家の通称)の組下で、第二の人生を送れ」

 予想以上に甘い逃げ道に、信行と土田御前が、唖然とする。

 名前まで勝手に決められても、ツッコミは返さなかった。

「津田信澄のぶすみとして生きていく上での辻褄合わせは、母上にも協力してもらう。

 五郎八が、親戚衆としての振る舞いや権限について教育するで、母上も信行と一緒に学んでくだされ」

「三郎。ありがとう」

 土田御前が、手をついて、頭を下げる。

 信行も、頭を深々と畳に着けて、礼を言う。

「兄…叔父上、ありがとうございます」

 信長は、肝心の部分に気付いていない元・弟に、失笑した。


 話が良い方向で終わりそうな段階で、可近ありちかが仕上げに入る。

「では、これから二度も叛逆した世紀の大愚弟・織田信行の処刑を偽装します。

 与四郎(河尻秀隆の通称)が身代わりの死体を斬った後で、土田御前は、泣き叫んでください。まるで我が子が、目の前で殺されたかのように」

「お芝居? 難しいわねえ」

「出来ないようでしたら、気絶したという事で、別室に移動しましょう」

「承知しました」

 土田御前は、わくわくと息子の偽装処刑を待ち侘びる。

 お待たせせずに縁側から、身代わりの死体を部下に運ばせて来た藤吉郎が、声をかける。

「金森様、見てくだせえ、藤吉郎が、そんじょそこいらで仕入れて来た、品を」

 可近は、口元を手拭いで覆ってから、丸い棺桶の中に入った死体を確認する。

 年齢・体格・身長が合致しているし、顔もややイケメン。

 おまけに顔が、いきなり斬られて驚いたまま、凝固している。

 着物も、今の信行が着ている服装と同じ。

 既に背中と腹部に刀傷が入っており、誰が検死しても『斬られて死んだ』と判断する死体だ。

「身元は?」

「柴田様を暗殺してしまえと主張していた、故・信行様の家臣です」

「家族は?」

「美濃からの出稼ぎだで、尾張にはおりません」

「完璧です、藤吉郎」

「感謝の極み」

 可近は棺桶から死体を出すと、河尻秀隆を呼ぶ。

「与四郎(河尻秀隆の通称)、始めるよ」

「おう。うわっ、微妙にそっくりで、引っく」

「もう刀傷は付いているから、抜刀して…」

 河尻秀隆は抜刀すると、用意された死体の首を斬り飛ばす。

「討ち取ったと宣言するだけで、よかったのに」

「これが足りないであろうが」

 河尻秀隆は刀に付着した血糊を見せながら、藤吉郎が用意した猪の血入り徳利を見て、渋い顔をする。

「先に言えや、藤吉郎ぉ〜〜」

「金森様の説明途中で始めなさった、河尻様のせいだぎゃあ、とは言わずに平謝りします」

 藤吉郎は土下座して、心を込めて、

「生意気言って、申し訳ありませんでした〜〜〜〜〜(嘘号泣) 身分の低い成り上がり者が、黒母衣衆筆頭に舐めた口をきいて、ごめんなさい〜〜〜(嘘号泣)」

 理不尽なパワハラをされて泣いている、かわいそうな藤吉郎を演じ始めた。

「怒るのと下手に出るのを同時にやられて、なんだか複雑」

 リアクションに困る河尻秀隆を放って、可近は土田御前にゴーサインを出す。

「土田御前様。どうぞ、始めてください」

 藤吉郎は空気を読んで、さっさと移動した。


「いいいいいいいいやあああああああああああ〜〜〜〜!!!!

 勘十郎(信行の通称)〜〜〜〜!!!!

 勘十郎、死なないで〜〜〜〜!!!!

 死なないで、私の勘十郎〜〜!!

 勘っ十っ郎ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ」


 めっちゃ熱演だった。

 信行(偽)の遺体に縋り付き、本当の自分の子供のように、抱き締めて泣き叫ぶ。

 本人は顔に能面を被り、服も信長のお下がりを貰って、先に茶室に避難する。

 信長と帰蝶は、縁側で母君の熱演を見守る。

「親子の名乗りが出来なくなったで、母上にとっては、死なれたも同然だぎゃあ」


 信行が死ぬ以上、母親は信長が引き取る。

 以後は帰蝶と共に孫達の養育に努め、余計な知恵を吹き込む変な客と接する機会が無くなる。

 信長とその孫たちは、土田御前を守りきった。


「甘くていいよな、ノブは。帰蝶の実家なんか、邪魔な弟は皆殺しにしやがったからね、事前に」

「アレと比較されても…」

 土田御前の号泣で城内が騒然とし、信行の誅殺が知れ渡ってから、可近が土田御前を茶室に誘導した。

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