一話 竹ちゃんの、子守(1)

 家は父親の代で没落したので、金森可近ありちかは給金目的で就活した。

 武士が就職し易くて、金払いの良さで評判の職場といったら、可近ありちかの近辺では尾張(愛知県西部)の織田家がダントツ。


 氏名 金森可近ありちか

 通称 五郎八ごろはち

 年齢 十八歳

 美濃出身で近江在住

 特技 蹴鞠けまり(和風球技) 

    茶の湯(茶道) 

 志望動機 お給金


 という履歴書を出したら、即採用された。

 特に蹴鞠と茶の湯の腕前がプロ級だったので、いきなり織田家のリーダー・織田信秀の直属に配属された。

 まだ若造なので、馬廻(親衛隊)補佐見習いだったけど。

 緩さに感動していたら、美濃へ大侵攻をする為に、金で雇える者を片っ端から雇っている状況だった。

 儲かる商業都市から得た豊富な軍資金で大量の兵士を集め、美濃を仕切る斎藤道三に不満を持つ内外の勢力を集結し、二万六千人の大軍勢で攻め込んだ。

 斎藤道三の手勢四千人は、本拠地の稲葉山城に籠城し、周囲を取り囲んだ織田の大将・織田信秀はドヤ顔だった。

「良い時に就職したなあ」

 従軍した可近ありちかの感動は、夕方には懸念に変わった。

 野営をしようと、織田の大軍勢が稲葉山城の周辺から引き上げ始める。

 稲葉山城から夜襲されない為の措置だとは分かるのだが、距離の取り方が、ヤバい。

 土岐軍は地元なので、整然と移動している。

 朝倉軍は他国からの遠征だが、統率は取れている。

 肝心の織田の軍勢が、ぎこちない。

 無節操に集めた軍勢なので、指揮を取る武将の手際の差が、移動速度の差になって現れている。

 大軍勢が、ミカンの房を摘むように、小粒の形にバラけていく。

(…このタイミングで攻められたら、ヤバいのでは?)

 若造の可近ありちかが気付くぐらいであるから、稲葉山城から見ていた斎藤道三も気付いていた。

 織田の軍勢、特に織田信秀の本陣を目掛けて、稲葉山城から四千人が一斉に攻めて来た。

 織田の大軍は、一気に崩れた。

 織田信秀は不利を悟ると、崩れた軍勢を見捨てて、ほぼ単独で真っ先に逃げた。

「劣勢の味方を助ける」

 という行為は一切せずに、

「劣勢の味方は、建て直せない。なら逃げる」

 という発想である。

 途轍もなく恥ずかしい気もするが、この場合は織田信秀が正しい。

 誰も信秀を守ろうとせず、各自勝手に逃げ散っていく。

 お互い様。

 そして、崩れて逃げる軍勢ほど、刈り取り易いものはない。

 織田の戦死者は、五千人。

 嘘みたいなボロ負けである。

 可近ありちかは、信秀の後ろを付いて逃げたので、国境沿いの川まで最短ルートで逃げ延びた。

 川を渡ると、織田信秀は鎧に刺さった矢を引き抜きながら、全身の傷を点検する。

「よし、擦り傷だけ!」

 可近ありちかも自分の鎧に矢が刺さっていないかと見回すが、無傷。

 気付くと、信秀も可近ありちかを観察している。

五郎八ごろはち(可近の通称)。ひょっとして、俺の事を盾にした?」

 酷い言われようだった。

「殿と自分のような若造を比べたら、殿を射ますよ」

「そうかあ?」

「大金星を挙げられる好機に、若造を射つ間抜けなんて、いませんよ」

「そうだな」

 納得すると、信秀は笑顔で可近ありちかの肩を叩きながら命令する。

「次に逃げる時は、鎧を交換しろや」

「…承知しました」

「今、『次は、このおっさんと違う方向に逃げればいいや』とか考えただろ?!」

「はい、考えました、すみません」

「いいよ、みんな、そうだから」

 サバサバと、織田信秀は帰宅した。

 帰宅次第、次の戦争の手配を始める。

 軍資金が膨大なので、兵数の再集結が、速やかに可能なのだ。

 こんな大敗をしたのに、全然、懲りたようには見えない。


 実際、翌月には、三河(愛知県東部)に侵攻している。

 北の美濃で負けたので、東の三河に攻め込もうという、酷い発想である。


 この酷い発想の連鎖で、歴史が回る。


 織田信秀に攻められた三河の松平家は、困り切って今川家に保護を求める。

 その代償として、嫡男の竹千代(六歳)を、今川家に人質として差し出す決断をする。

 これで織田信秀は、三河に手出しをし辛くなる…はずだった。


 ある日。

 織田信秀が、超上機嫌で、るんるんとステップ踏みながら、金森可近ありちかに特命を与える。

五郎八ごろはち(可近の通称)。熱田の加藤屋敷に行って、客人の接待係に加わってくれ」

 可近は、信秀の茶道具の掃除をしながら、不気味に上機嫌な上司に説明を求める。

「客人の名前と素性を、何故に先に言わないのでしょうか?」

「恥ずかしいから!」

 恥ずかしいというのは、本当だろう。

 三河・松平家が今川家に送る途中の竹千代を、金で松平から裏切らせた武将に、横取りさせた。

 前代未聞の、反則技である。

 恥ずかしがりつつも、竹千代を人質にして三河を傘下にして、今川との戦いを有利に進めようという未来地図を描いちゃった織田信秀は、マックス上機嫌。

「裏切らせたのは、竹ちゃん(竹千代)の義母の父親、つまり義理の祖父だからさあ、あっさりと手に入っちゃった(うぷぷ)」

「幾らで売らせたのですか、祖父に孫を」

「五百貫(約五千万円)」

 織田信秀は、超いい顔で、買収金額を開示した。

「…少し考えると、酷い話だな」

 金の話で素に戻った信秀が、客観的に自省しちゃう。

 もう取り返しが付かないけど。

 ちなみに、裏切った義理の祖父の一族は、ブチ切れた今川が出兵し、フルボッコにされた。

 何もかも、酷い。

「もう遅いですよ、関係者一同、ドン引きですよ」

 上司をジト目で睨んでしまうのを抑えられない、可近だった。

「で、あるな。でも成功しちまったものは、仕方がない。竹千代と、竹千代の家臣たちを、接待して過ごし易くなるよう、計らえ。

 織田での人質時代は、楽しかったって、竹ちゃんの思い出に残して欲しい」

「祖父を買収して強奪させといて、今更いい人に思われようとか、無理ゲーですね」

「だから五郎八ごろはち(可近)に頼む。

 俺の配下で、『飛び抜けて』真心のある接待が出来るのは、お前だ。

 俺を悪者にして構わないから、優しく守ってやってくれ」

「臨時ボーナスで、二百貫(約二千万円)ください。接待費用に使います」

「お前も慣れてきたねえ、織田に」

「それと…今川に返却されるまで、竹千代殿の子守に専念させてください」

「ほう…五郎八の考えた落とし所は、再買収か。って、専念? ここ(那古野城)から熱田まで、馬なら四半刻(三十分)かからないであろうが」

「寝食も共にします。その方が、向こうも安心するでしょう」

「うっわあ、真心が違うね。と、見せかけて、楽な仕事に専念したいだけだな、五郎八?」

「左様です」

 信秀は大笑いしながら、可近のしたいように任せた。

 目的が達せられるのであれば、やり口には文句を付けない親子だった。

 


 お土産を買ってから、金森可近は熱田の加藤屋敷(熱田羽城)を訪れた。

 館の主人に話を通してから、金森可近は幽閉のルールを教えてもらう。

 幽閉といっても、熱田から出ようとしない限りは、寺に参拝とか、店で買い物するとかを許される。

 許されないのは、無許可で、監視役抜きで、竹千代を連れて外出する事。

 それだけは、細心の注意を払って、許さない。

 その程度のルールだった。

(やや緩いというか、甘いな。強行突破されたら、ワンチャンスで逃げられるぞ)

 竹千代に目通りする段階で、その疑問は解けた。

 竹千代を上座にして、まだ未成年者ばかりの家臣たちが、両脇に控える。

 竹千代の小姓として、人質生活の期間も仕える為に同行した少年たちだ。

 大人が、一人もいない。

 敵地の首都で、強行突破が出来るような人材が、いない。

 帯刀した近侍きんじが一人、辛うじているが、歳は十四歳程度の若さだ。

(強奪された時に、抵抗して斬られたか)

 侍女も、竹千代の側に一人しか見えない。

 まだ十五歳くらいの娘一人に、松平家の嫡男の世話をさせる筈もない。

(聞きたくない事を、聞かされそうだ)

「顔を上げてください」

 松平竹千代(六歳)が、固まってしまった可近に声をかける。

 顔をあげると、竹千代の左右に、可近と同年代の三河武士が二人、控えていた。

 明らかに、密かに可近を値踏みしてから、姿を見せた。

 肝の太そうな武士二人が、左右で竹千代を守りながら、澄ました顔で控えている。

(訂正。逃げないから、手出しをするなという、取引済みか)

(そんな取引が出来るなら、相当に手強いな)

 この二人から、どう観られたかを意識せずに、目通りを続ける。


「織田の馬廻うままわり(親衛隊)をしております、金森可近ありちかと申します。

 通称は、五郎八ごろはち

 器用の仁(信秀の綽名)より、竹千代様の子守に加われとの、命をいただきました。今日から、寝食を共にします」


「ちっ」

 酒井忠次(二十歳)が、聞こえるように舌打ちをした。

左衛門尉さえもんのじょう!」

 竹千代人質ツアーの最年長・酒井正親まさちか(二十六歳)が、度胸の良過ぎる同僚を嗜める。

「すまぬ。心の底から、邪魔に思えたので」

「思っても、言うな!」

「聞かせたいから、言ったのだ。ほら見ろ、金森殿は、涼しい顔だ。大人だよ。つまり、問題は起きていない」

 この人物は、上司と同じくらいアレだと、可近ありちかは判断する。

「お前という奴は、お前という奴は、お前という奴は」

 年長組の無礼をスルーして、竹千代(六歳)は目通りを進める。

「沢山の土産を、ありがとう。食べきれないので、皆で分けます」

 竹千代は、可近が土産に持って来た、『饅頭六個入りの箱』十箱を、侍女に受け取らせる。

「家来に三箱、屋敷の方々に六箱。残る一箱は、お福と竹千代で食べます」

 利口な分け方だったので、可近は仕事がし易いなと、安堵する。

 子守の対象者が利発かどうかで、この仕事の難易度は、違ってしまう。

(よかった。楽な仕事になる)

 と、思ったのは早計で、饅頭を実食する際に問題が浮き彫りになった。


 侍女が饅頭の箱を開けると、六つの饅頭を四つ切りにし、一片ずつ食べて『毒味』をしようとする。

「お福さん、お待ちを。それは、自分の役目です」

 九歳くらいの小姓が、侍女より先に毒味をしようとする。

 年長の三河武士二人は、小姓たちの成長を嬉しそうに見守っている。

「ずるいぞ、鶴之助。おれも食う」

 竹千代と同年代の小姓が、食い意地で毒味役に加わろうとするが、鶴之助と呼ばれた少年は問答無用で蹴り飛ばした。

「たわけ! 毒味役で死ぬのは、この鶴之助一人で十分! 七之助は、拙者が死んだ後で毒味役をしろ。若様の盾となって死ぬのは、この鳥居鶴之助が先なのだ!」

 鳥居鶴之助は、食い意地ではなく、本気でこの場で死ぬ気で言っている。

 忠誠心が厚過ぎる、頼もしい小姓だ。

 蹴り倒された七之助は、抱き起こしてくれた可近の腕の中で、号泣し始める。

「鶴之助が、おでの饅頭を、盗った〜〜」

 年長の三河武士二人が、笑いを堪える。

 だが、手出しはしない。

 可近への警戒を、やめない。

 可近への観察を、やめない。

 未だ、可近への信用など、持ち得ない。

 鳥居鶴之助は、竹千代が口にする可能性のある饅頭の全ての一片を食すと、異常の有無を確認する。

「呼吸、脈拍、視界、腹の調子、喉ごし、指の動きの滑らかさ。腰の動き。全てに異常なし」

 自分の命で安全を確認すると、竹千代に報告する。

「この饅頭は、安全です。今回は(強調)」

 嫌なガキだが、可近はツッコミを入れなかった。

 将来の三河の領主候補の食事である。

 これが通常の用心だ。

 たぶん。

「ご苦労であった」

 竹千代は慣れているので、笑いながら饅頭を摘むと、泣いている平岩七之助に手渡す。

「七之助にも、毒味役を任せる。食え」

「はい」

 平岩七之助は、正座し直してから、追加の饅頭をニコニコと食べ始める。

 ナチュラルに家来想いなので、可近は感心した。

(うん、楽な仕事になる。確実に)

 竹千代を中心に、この少年少女たちは団結している。

(楽だ)

 なんだか安心していると、可近は侍女・お福から、キツく睨まれている現状に気付く。

 饅頭を食べながら、可近に何か言いたげな顔である。

(食べ終えてから、恨み言を吐き出す気かな?)

 覚悟をしていると、お福は無言で、饅頭の入った箱を差し出す。

「そうですね、自分が毒味をすれば、早かったですね」

 竹千代一行の癖を見る事に夢中で、失念していた。可近は自戒しながら、饅頭を一つ口にする。

 食べ終えると、お福が言いたい事を吐き出し始める。

「あのような卑怯な手段で誘拐しておいて、好感度が上がるとでも、お思いですか? 祖父が孫の一行を、騙し討ちですよ? あなたが毎日、饅頭を差し入れしても、信用なんて生まれません」

 可近は、お福の恨み言を、受け止める。

「侍女は、三人いました」

 可近は、お福の怖い顔と、真正面から向き合う。

「一人は自刃。もう一人は、賊と差し違えました。私は何方も出来ずに、腰を抜かしました」

 お福は、可近の目を睨みながら、賊という単語に力を込めた。

「織田家なんて、賊です。外道な賊です」

 可近は、素直に肯定する。

「確かに、賊です。織田家は、最低最悪の、外道な賊です」

 恨み言を肯定された挙句に水増しされて、お福が呆れる。

 竹千代も、竹千代の家来たちも、呆れて金森可近ありちかという人物に瞠目する。


「だからこそ、立ち振る舞いには気を付けてください。賊は、竹千代様に『織田の人質時代は、楽しかった』と思って欲しがっている。 

 竹千代様が三河の支配者になった後も、友好関係を保ちたいからです。

 竹千代様が、今の人質生活を楽しんでくだされば、賊どもは安心します。

 安心して、生かしておくでしょう。

 しかし、この人質生活を楽しまず、賊に恨みを抱えたまま成長すると判断した場合は」


 金森可近は、お福の帯に隠された短刀を取り上げると、腕力だけで鍔元から圧し折ってから返す。

 この優しそうな青年の尋常ではない膂力に、三河の少年少女が度肝を抜かれる。

 そのパフォーマンスの間も、その瞳が穏やかなままなのを、お福は見届けた。

「申し訳ありませんが、この生活を、本気で楽しんでもらいます。自分は、その為に来ました」

 無表情に話を聞いていた竹千代が、理解に目を光らせ、顔の筋肉を笑顔に固定する。

「あいわかった。竹千代は、熱田で楽しく生きていこう」

 末恐ろしい六歳の反応だった。

(このガキ、相当の狸だな)

 竹千代の理解を得て安堵する金森可近の肩を、お福が壊された短刀の鞘で、ドスドスと突く。

「弁償、するよね?」

「します」

「いつ?」

「明日、ここに武器商人を連れて来ます」

「はあ?」

 お福が首を傾げながら、不機嫌な視線の新記録を出したので、可近は頭脳をフル回転させて、正解に辿り着く。

「明日一緒に、那古野の城下町で、お詫びをさせてください」

 土下座しながら『お詫びデート』を申し出た可近に見えないように、お福が笑う。

「いいでしょう。明日一日、お詫びしてもらいます」

 可近が、顔を上げる。

 お福は笑顔を引っ込めて不機嫌な顔に戻そうとしたが、遅かった。


 金森可近ありちか、二十三歳。

 将来の嫁になる人の笑顔を、初めて見た瞬間。


 竹千代専用侍女・お福、十五歳。

 将来の夫になる人の目に、恋の光が灯るのを見ちゃった瞬間。


 お福の右アッパーが、金森可近の顎に、モロに入って昏倒ノックダウンさせた。


「勘違いしないでよね!

 勘違いしないでよね!

 勘違いしないでよね!

 織田家に飼われている駄犬なんかとデートするのは、短刀を新調させる為ですからね! 手を握って口説いたり、胸を揉みながら押し倒そうとしたら、竹千代様に言い付けて、ノコギリ挽きの刑!」


 オメガ赤面しながら言い捨てると、饅頭を食べている竹千代を肩に担いで、奥の部屋に逃げた。

 バイオレンスなオチに慌てる少年たちに介抱されながら、金森可近ありちかは、この仕事の問題点をしかと把握した。

 ツンデレ美少女を接待するイベントは、ブラックな職場で鍛えられた金森可近ありちかも、初めてなのだ。

「大丈夫。無事です。無傷です。幸せです」

 デレた笑顔でノーダメージをアピールする可近に、恋愛フラグの建立を察した酒井忠次(二十歳)が、ぼやく。

「ダメだ、こりゃあ」



 こうして、竹千代(後の徳川家康)と、金森可近ありちか(後の金森長近ながちか)の、六十年以上も続く、スチャラカな関係が始まった。

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