二話 竹ちゃんの、子守(2)

 加藤屋敷(熱田羽城)での翌朝。


 金森可近ありちかは竹千代人質ツアーの皆さんと一緒に起床し、朝食を摂り、お福が食器を洗うのを手伝い、お福が竹千代の洗濯物を干すのを手伝い、お福が他所行きの衣服に着替えようとするのを手伝おうとして、縁側に追い出された。

「自分が手伝った方が、着替えも早いかなと」

ノコギリ挽きの刑に処されたら、二十回は挽いてあげます」

 襖越しに、言い訳と罵倒の応酬が始まった。

ノコギリ挽きは、一人一回がルールです。ルールは守りましょう」

「正確には『通りかかった人が一回挽く』ですから、処す場所を二十回往復すれば、二十回挽ける!!」

「お福さん、天才?」

「今、極悪な意味合いで天才と言うたね?」

「だってだって、自分とお福さんの会話の八割が、ノコギリ挽きの刑についてですよ? オブラートに包んで、天才という表現を使いました」

「あんたが慇懃無礼の上級者だというのは、よ〜く分かったわっ」

 お福が、襖を開ける。

 赤い花弁の着物を着た十五歳の美少女が、射干玉色の長髪を綺麗におろして、金森可近ありちかの前に仁王立ちする。

 見惚れた可近ありちかの脳内から、一時的に仕事の事とか、余計な思考が止まる。

「…動きなさいよ」

 大真面目に見惚れられて、お福が照れながら急かす。

「あ〜、はい。行きましょう」

「ちょっ」

 可近ありちかは、お福を抱き抱えると、そのまま馬子に世話させている馬に乗ろうとする。

「実は自分、手綱なしでも、乗馬が可能でして」

「乗れます! 鞍の後ろに普通に乗せて!」

「馬廻は、伊達じゃないです」

「怖いから、普通に乗馬して!」

「仕方がないなあ」

 可近は馬に普通に乗り直すと、鞍の後ろに福を腰掛けさせる。

 福は両腕を可近の腰に回して、落とされないように固定する。

 そこまで密着してから、お福はこの体勢が「エロい」と気付く。

 衣服越しとはいえ、互いの身体が半分、密着している。

「馬には、私だけが乗るから、金森殿は歩きなさいよ」

「移動時間が、三倍違う。却下」

 お福の文句を断固として却下して馬を出そうとする可近に、酒井忠次(二十歳)が見送りついでに用事を頼む。

「金森殿、土産に酒を頼む。旨いのを」

「承知しました」

「お福、可愛がってもらえ」

「私を売る気ですか、左衛門尉さえもんのじょう!?」

「敵地で敵の幹部に攫われるのだ。あとは流れに任せろ」

「短刀を新調次第、その面の皮を試し斬りに使ってやるから、覚悟しなさい!」

「お帰りは、明日で構いませんぞ、金森殿」

「夕刻前には、帰ってきます」

 ギャースカと酒井忠次を罵倒するお福を連れて、金森可近は馬の速度を軽やかに速める。

 手綱をたいして動かさずに、静かに馬を操る手際を見届けて、酒井忠次(二十歳)は感想を口にも顔にも出さなかった。

 もう一人、見送りながら可近の馬術の腕前を視認した近侍の少年が、酒井忠次に感想を漏らす。

「あの腕前なら、人質の子守以上の仕事をするべきでは?」

 石川数正かずまさ(十四歳)の意見に、酒井忠次は首を横に振った。



 馬があまりにも静かに加速しているので、お福は可近ありちかに質問する。

「この馬、名馬なの? お尻が全然痛くならない」

「馬廻用の馬だから、一流の馬です。鞍も、最高級品」

「金の力?」

「そうです」

「金かあ」

「そうそう」

「金森という姓だからかな? 実家が太い?」

「それは関係ないです。父は左遷されて貧乏になり、今でも近江でバイト生活ですし」

「じゃあ、あんただけが、一族で金に困っていないの?」

「たぶん、そうです。ここに就職した金森は、自分だけですし」

「ふうん」

 お福が、可近ありちかの腰に回した腕を締め直しながら、本題に入る。

「金森殿の、呼び方。どうした方が、いい?」

「好きにしていいですよ」

「あんただと品が無いし、金森殿だと、堅苦しい」

 お福が自分の呼び方を真剣に吟味してくれているので、可近ありちかは泣き叫びたくなる程に歓喜する。

五郎八ごろはちは、ありきたり。いみな(真名)呼びは、馴れ馴れしいし」

「いいですよ」

「おい」

「いいから、呼んでください」

「こら」

可近ありちかで、構いません」

「重い!」

「好きにしていいですよ!」

「怒った?」

「怒っていません」

「怒った?」

「怒っていません」

「初めて声を荒げた」

「怒って、いませ〜ん」

可近ありちかが先に、私に惚れたんだからね」

「・・・」

 初めて名前を呼ばれて、可近ありちかは、不整脈に襲われた。

 お福は背後で密着しているので、可近の動揺を直に感じる。

「やっぱり、諱は、重い」

「重くないです、重くないです、重くないです」

「重い重い重い重い重い重い重い」

「重くない重くない重くない重くない重くない重くない」

「金森にしとくね」

「お福さんの、姓は?」

「服部。呼ばなくていいよ。ありきたりだし」

「お福」

「練習?」

「好きです」

 お福は、返事をたっぷりと引き延ばしてから、とうか、軽い口調で返事が出来る余裕を取り戻してから返事をする。

「保留。だから金森殿も、保留にして」

 互いの心音が、シンクロしている。

 心臓の音とは、こんなにも同調するものかと、二人は馬上で感心する。

 だから、可近ありちかは平気で言えた。

「嫌です。保留はしません」

 勝手な物言いをする男の吐息が、風に混ざって、福の黒髪を掬った。

 お福は、この変な男をどう呼ぶべきか、笑いながら困った。

「私の方は、保留だからね。忘れないでね、金森」

「困った、忘れそうだ」

「どうしてそんなに我儘になれるのかな?!」

「人は、忘れたい事は忘れる生き物ですよ」

「じゃあ、私の事も、忘れたくなったら、忘れる?」

「どんな状況ですか、それ」

「私が先に死んだら、忘れていいよ」

「死別するまで、一緒という意味ですね。もう保留は取りやめですね。早っ」

「人の人生を、勝手に進行させないで」

「わかりました。保留ですね」

「そう、保留」

「困るなあ。保留という言葉は」

「困っているのは、私っ!」

「困っているのは、自分の方です。口説いたら重処刑とか、頭が、おかしい」

「責任転嫁を、するな!」

 困りながら笑う二人を、馬は律儀に、目的地へ運んでやった。



 那古野の城下町の門前にある馬場で、馬を別の馬子に預ける(本来の馬子が徒歩で追い付くまで、預かってくれる。馬廻の特典)と、二人は徒歩でのデートに切り替える。繁盛する城下町の賑わいに混じるや、お福は激しい勢いで買い食いを始める。

 支払いは勿論、可近ありちか

 四半刻(約三十分)の馬上移動の間に、お福は激しい空腹を覚える程にカロリーを消費していた。

「何で、こんなに、お腹が空くのよ?」

 お汁粉を二杯、芋粥、天ぷら蕎麦を喰らっても、満腹しない。

「告白されたので、心身共にフル戦闘モードに入ったのでしょう。そりゃあ、疲れます」

「他人事のように抜かしちゃって、まあ」

 可近ありちかも同じくらいに、暴食している。

「この調子で食べ続けて、お金は足りるの?」

「殿から、子守の経費を多めに貰いました。使い切りますから、気にせず食べ続けましょう」

「わー、食欲が失せた。アレの金で飯を食ったかと思うと、萎えるわ〜」

 織田信秀のお膝元なので、アレで済ませる福だった。

「お金に名前は、書いてありませんよ」

「書いてありますよ〜。金森がスチャラカだから、見えないだけです〜」

「うぐう」

 戯れ昼食も終えると、二人は短刀を買いに、武器商人の店を訪れる。

「ここ、馬廻の割引クーポンが、使えるから」

「意外とセコいのね」

「冗談ですよ。品揃えで選びました」

 入るとすぐに、短刀の揃えてある棚の前で、お福が真剣に選定を始める。

 鞘も柄も黒い品ばかり選ぶので、可近ありちかは使用用途を確認する。

「お福さん。短刀は、護身用、ですよね?」

「帯に隠し易くて、投擲にも具合が良く、斬れ味の素晴らしい短刀」

「使用用途を、ここで明言してください」

「敵の皆殺しに決まっていますわよ、おほほほほほ」

「おほほほほほほ」

 仲睦まじいラブコメ空間に、甲高い少年の声が、鋭く刺さる。


「退けや。我の邪魔だで」


 その声の『退けや』の段階で、可近ありちかは福の両肩を抑えて、その少年から三メートル以上、距離を取った。

 お福の視界に、身なりの奇妙な少年が、映る。

 先程まで福が品定めしていた場所で、場所を譲った可近ありちかに一言もなく、一礼もせずに。

 性急に短刀を検分する。

 派手な女物の着物を肩に羽織り、頭髪を適当に淫らに結いあげ、高そうな朱鞘の太刀を差した少年は、一言だけ発言する。


「斬れ味」


 それだけで、可近ありちかは試し斬りの為の端切れを献上する。

 可近ありちかの隙のない挙動と、悪名高い織田の貴公子の噂話が福の脳内で結びつき、少年の名に思い至って弁える。

 奇妙な少年は、礼は言わずに、短い文句を言った。


「甘やかすな」


 お福は、どういう文脈かと悩むが、奇妙な少年の側にいた小姓が「遅くて、申し訳ありません!」と頭を下げたので、ようやく腑に落ちた。

「この信長の小姓が用意して手渡すべき仕事だから、親父の側近である可近ありちかは、気を回すな。他人の小姓を、甘やかすな」

 という意味合いの、一言だった。

「一言主の、お告げじゃあるまいし」

 という感想を口に出すのを堪えて、可近ありちかに同情する。

 今仕えている織田信秀が死ぬ十年後か二十年後に、可近ありちかはこの面倒くさくて性急な男に仕える羽目になる。

 同情する必要はないかもしれないけれど、同情した。


 織田三郎信長(十四歳)

 奇矯な振る舞いで『大うつけ(大バカ、ど阿呆)』との悪評が流れている少年だが、この年に行われた初陣で、末恐ろしさの片鱗を見せている。

 尾張・三河の国境沿いに展開して威嚇行動をしてきた今川の軍勢二千人に対し、八百人の兵を率いて火攻めをして、敗走させている。

 那古野城から南東五十キロの場所まで一気に移動し、風の強い日時を選んでの火攻め。

 尋常ではない手際だった。

 倍以上の戦力差なのに、ほぼ無傷で完全勝利。

 近隣諸国は、初陣でこんな真似をして見せた少年に対し、警戒と興味を強めた。

 軍資金は豊富だけれど、戦争の采配は十人並みな織田信秀に欠けていた、『戦争の上手い指揮官』が加わる可能性が高いのだ。

 十年後二十年後を考えたら、怖い。


 そんな末恐ろしい貴公子が、清楚で飾り気のない短刀を選んで、斬れ味を試す。

「ふむ。これで」

 柄に付いた手油を神経質に拭いながら、信長は購入した短刀を小姓に風呂敷で受け取らせる。

 意外なセレクトだと思って、福が目を丸くしていると、信長が一瞥して甲高い声で吼える。

「新品の弟が出来たで」

 言い方は酷いが、今度は福も、省略された文言をノーヒントで再構築出来た。

「弟が産まれたので、守り刀を贈るだけだ、勘違いするなよ、普段は買わないからな、こんなシンプルで面白くない短刀」

 なかなか良いお兄さんなんだなあと感心する福に構わず、信長は可近ありちかに普通に話しかける。

「邪魔したな。もう行くで」

 声と顔が、なんだか甘い。

 イメージの激しいギャップを見せつけながら、織田三郎信長(十四歳)は数名の小姓を伴って、他の店に行く。

 知人のデートを邪魔した詫びを、口に出来る人だったのかと、失礼な感想を抱く福に対し。

 可近ありちかが、デートの路線を元に戻す。

「今の一言の意味は、『お二人とも、末長く幸せに。お似合いだよ、このこのこの、妬けちゃう』という意味です」

「本人が、まだ近くにいるから、確認してきていい?」

「元服して初陣を済ませた次期当主は、お忙しいからね。貴重なお忍びでの買い物を、邪魔しちゃダメだよ」

「すごいね。汗一つかかずに、御曹司を盾に使うなんて」

「そういうのは、お互い様だよ」

「嫌な家風ぅ」

「慣れると平気です」

「慣れるなよ、正気を保とうよ、金森。ブラックな職場に頭まで浸かっていると、自覚しようよ」

「ずっと正気ですよ、織田に五年間勤めても」

「こっちは保留だって、忘れるな、金森」

「忘れていないから、四捨五入して正気を主張したのに」

「話せば話すほど、何かが壊れるね、金森は」

「関係が進んでいる証拠です。状況は、刻一刻と、壊れて当然」

「金森、実は初めから、壊れ武士?」」

 馬鹿話をしながら、福は目に適う短刀を引き当てる。

 柄も鞘も黒く、刃が光らないように処理してある、夜間戦闘を想定した短刀。

 端切れで試し斬りをすると、福は購入を宣言する。

「これにします」

「で、使用目的は?」

 可近ありちかは、お福がバカな真似をしないように、牽制する。

「敵の皆殺しに決まっていますわよ、おほほほほほ」

「おほほほほほほ」

 油断も隙もない侍女だが、織田の御曹司を刺さなかったのだから大丈夫だろうと、可近ありちかは楽観的に保留した。



 酒井忠次(二十歳)に頼まれた旨い酒(瓢箪入り)を買って酒屋を出ようとすると、お福が意外そうな顔をする。

「てっきり、加藤屋敷(熱田羽城)の全員に振る舞える量を買うと思っていたのに」

「そんな事をしたら、酔わせた隙に逃げる気だと思われるじゃないですか。相手も受け取りませんよ」

 お福が頬を赤らめながら、潤んだ瞳で、唇を濡らしながら可近ありちかに顔を寄せて囁く。

「全員を、酔わせてくれても、いいのよ?」

 可近ありちかは萌え死にかけたが、明瞭過ぎる頭脳が、勝手に迎撃を決めた。

「じゃあ、今晩、二人きりで飲む分を買いましょうか?」

「全員分、全員分」

「二人分、二人分」

「みんなで幸せに、なろうよ〜〜」

「アホな真似をしないで、織田・今川の外交問題は、トップの交渉に任せてください」

「だって、片方のトップ(織田信秀)が、アレだし」

「大丈夫、大丈夫。竹千代人質ツアーの皆さんは、『金のなる木』扱いですから。大切にしてもらえます」

「ハニートラップで、そのいい加減な脳を溶かしてやるから、覚悟しなさい」

「もう溶けていますよ」

「蒸発しちゃえ!」

 デート中の力の入らないローキックや水平チョップは、ハニートラップには程遠いという指摘を、何故か口に出来ない可近ありちかだった。

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