二十四話 黒と赤(5)
丹羽兵蔵を含めた別班が京都に行く途中、川の渡しで、品のある武士六名が率いる三十人以上の集団と出会した。
丹羽兵蔵は足を止めて観察したが、小隊の他の連中は踵を返して別路に行ってしまった。
その方が正解だっただろう。
一見して味方ではない武士の一団とは、接触しないに限る。
特に、美濃の近くでは。
丹羽兵蔵が観察したように、相手側も観察し返している。
ここで逃げたら、背中から斬られるだけだろう。
渡しで舟の順番を待ちながら、丹羽兵蔵は相手の後ろに並ぶ。
「尾張の方ですか?」
相手の質問に、丹羽兵蔵は涼しい顔で返事をする。
「三河の者です。尾張を通って、京都へ行く途中です」
相手は、納得したように笑いながら、かまをかけてくる。
「あそこの
聞こえるように呟かれた言葉に、丹羽兵蔵は無関心を装う。
動揺は見せず、お互い静かに、舟で川を渡る。
適度な距離を置いて旅路を続け、同じ宿場町で足を止めた。
丹羽兵蔵は敢えて、彼らの隣の宿を取った。
ここで距離を取ったら、それはそれで危機感を煽る。
一行の下人のふりでもして聞き耳を立てようかと、袋ごと買った饅頭を食いながら内情を探る手段を考えていると、一行の中でも最年少の少年が宿を間違えて入って来た。
「あ、すみません、三河の人の宿でしたか」
丹羽兵蔵はホッとしたが、少年は室内を見渡しながら、一人である事を確認しているのだと気付いて肝を冷やす。
動揺を見せないように気を引き締める丹羽兵蔵は、世間話を振ってみる。
「君たちは、湯治にでも行くのかな?」
少年・
「違いますよ。美濃の殿様の命令で、上総介(信長)殿を討つ為に、上洛するのです」
丹羽兵蔵は、次の瞬間に、少年が自分の首か心臓に短刀を突き刺す幻影を見た。
まだ十数歳の少年の間合いに入ったと自覚しただけで、丹羽兵蔵は死を、死だけを予感する。
「この晴れがましい使命を帯びているのは、小池吉内、平美作、近松頼母、宮川八衛門、野木次左衛門…まあ例えばですが、同郷の金森可近や蜂屋頼隆なら、聞き及んでいる名ですよ」
丹羽兵蔵は、これは聞き耳を立てようとした尾張者への死に土産ではなく、信長への伝言だと理解する。
「勿論、将軍様のお膝元ですから、将軍様の許可を得てからの決行になります。将軍様の承認をもらい次第、宿にいる上総介を、鉄砲で仕留めます。
簡単ですよ。
宿の者を買収して、信長の居る部屋を確認すれば、鉄砲で宿の壁ごと撃ち抜くだけで済む」
「…それは、三河にとって、素晴らしい報せですな」
話を呑み込んだのを確認すると、
「我ながら未熟で困りますねえ、饅頭で買収されて口を滑らせるなんて」
言い訳を言い残して、猪子兵助は宿を去った。
金森可近と蜂屋頼隆がそこまで報告すると、信長は丹羽兵蔵を呼び出して直接問い糺す。
「彼奴等の泊まった宿は?」
「二条蛸薬師の宿に、全員入りました。宿の門柱を刀で二ヶ所削って、目印にしてあります」
信長の宿から、北に歩いて四分の、超至近距離である。
信長は
「五郎八(可近の通称)、挨拶に、行けや。そして、挨拶に来させろ」
「編笠清蔵を、お貸しください」
可近は、もしもの場合に備えて、赤母衣衆から一人選ぶ。
二条蛸薬師の宿に泊まっていた美濃侍たちは、裏手から金森可近と蜂屋頼隆が訪問して来たので、驚愕する。
「君たち、暗殺の件がバレバレだよ、織田の情報網を舐め過ぎ(笑)」
金森
「京都の土産、もう買いました? 自分はお茶にしようと思っていたけれど、自由時間が取れなくてね(君らの所為で)。この茶葉の値段とお店の場所、教えてくれます?」
会話の出出しを金森に任せて、蜂屋頼隆が茶の湯を淹れ始める。
美濃侍たちはペースを完全に握られて、金森と蜂屋が勝手に茶の湯を始めてしまっているのに、逆らえずに茶飲み話に迎合する。
金森「来年は今川が大攻勢を掛けてくるからねえ。こうして織田家の家臣として話を出来るのは、最後かも」
蜂屋「また美濃に再就職するかもしれないから、その時はよろしくね、みんな」
金森「自分は三河に再就職するから、気にしないで」
蜂屋「嫁さんの縁に縋るのか?」
金森「嫁さんに、もうちょっと優しくされたいので、三河が移籍先候補一位」
蜂屋「美濃にしとけよ、この場の空気を読んで」
金森「捨てた故郷に戻るのは、気まずいから、やだ」
金森の自虐ネタに釣られて、美濃侍たちも愚痴自慢を始める。
双方、腰を楽に落ち着けての談笑が進む中。
最年少の少年・
少年が普段、獲物の背後を容易く取るように、編笠の男は背後に立つ。
軽い着流しで、武装を一切していない。
そんな形でも、猪子兵助は、この人物との荒事を断念する。
そのような形でも、戦場で死神の様に振る舞える武将を相手に、少年は無茶をしない。
「…編笠清蔵さん、でしょうか?」
「そうだよ。サイン、いる?」
まだ三十歳前に見える男は、のんびりとした態度で、マウントを取り続ける。
「いいえ、すぐに貴方の同僚になりますので。不要です」
「赤母衣衆になれる程の、手柄(暗殺の密告)かな?」
編笠清蔵は言質を与えなかったが、信長はこの少年を気に入るだろうとは、予想した。
当人も、それを理解しており、既に相当に厚かましい。
「兄の猪子
「ん?」
編笠清蔵の異名を取る伊東
「次左衛門(猪子一時の通称)は、赤母衣衆ではないぞ?」
「・・・内定されたと、手紙で知らされましたが?」」
「候補には上がったが、茶の湯かぶれが過ぎるので、保留された」
兵助は全身を真っ赤にして、弟に大恥をかかせたバカ兄貴への殺意を堪えながら、近い将来の先輩に礼を尽くす。
「兄を殴りに行っても、いいでしょうか?」
「殿は兄弟喧嘩が、嫌いだ。控えろ」
「喧嘩ではありません。一方的に、顔の形を変えるだけです」
「やめろ」
伊東
兵助が深呼吸をしながら気持ちを制御していると、金森可近が談笑の区切りに、用件を持ち出す。
「あ、忘れるところだった。君たち六人は、明日、殿に挨拶しなさい。殿が、是非とも挨拶したいそうです。場所は、この宿の表にある、小川の手前でいいね」
慌てて腰を浮かす知人たちに、可近は有無を言わせない。
「京都だからねえ、穏便に済ませたい。面を見ながら、叱責するだけです。暗殺未遂の罰としては、軽いものでしょう。
断るな」
断った場合のペナルティについて、可近は語らずに想像させるに任せて、帰った。
京都での自由時間を大幅に削った連中への、嫌がらせだ。
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