二十五話 黒と赤(6)
よほど怖い想像をしたのか、美濃侍六名は翌日指定の場所に、正座して待機していた。
指定時間の半刻(一時間)前に。
そのまま逃げてもよかっただろうに。
見晴らしのいい川原なので、周囲の通行人の耳目を、いいように集めている。
彼らの前に出る直前に、可近は『寛容な挨拶』をするように、信長に念を押す。
「殿。もう十分にビビり上がっていますので、優しく接して上げてくださいね」
可近の指摘に、信長は嫌そうな顔をしたが、弁えた。
京都なので。
京都なので。
「で、饅頭で買収された小僧は?」
信長の興味は、そっちに向けられている。
「そういう覚え方は、しないでください!」
潜んでいた小川の草むらから、編笠を被った
畏まりつつ、編笠を伊東
「もうすぐ赤母衣衆になる予定の、猪子
後方でその大言を聞いた猪子
弟に比べて影が薄い少年だが、後に関ヶ原の戦いでは金森親子と一緒に敵陣に突っ込み、手柄を立てる程の『歴戦の武将』に成長する。
弟が人並み外れて我が強いだけであって、兄の方に落ち度は全くない。
「来るなら、すぐに来い。織田は来年、大戦だで」
信長は、悪い笑顔で少年を迎え入れた。
猫の手も借りたい時期なので、年齢制限とか、気にしない。
即断されてシビれている兵助を金森可近に預けて、信長は美濃侍六名と対面をする。
上下が赤黒の装束の上に、豪奢な赤マントを靡かせた織田信長が、平伏する美濃侍六名に頭を上げさせる。
「貴様らか、この藤原信長を暗殺する為に上洛した、身の程知らずどもは」
京都の聴衆を意識して、信長は迷惑なまでに大きな声で、説教を始める。
しかも、織田家の祖先ネームを持ち出して。
「貴様ら如きが、この藤原信長に挑むなど、蟷螂の斧(カマキリは馬車にも戦いを挑むという、力量を考えない行いを表す故事)である!」
血筋だけでなく故事も混ぜて、大音声で京都にアピールしまくる。
「今からでも、一向に構わん。かかって来るがいい」
京都の観衆が、ドン引きする。
かかっていける訳がない。
信長の側には、強過ぎる事で最近有名な、馬廻が何人も控えている。
美濃侍六名は、説教されに来ただけなので、鉄砲の用意もしていない。
恐縮しているうちに、金森可近から「もう逃げていいよ」のハンドサインが出る。
この状況で逃げ出すのは、途轍もなく恥ずかしい気もするが、美濃侍六名は信長の圧から逃げたくてお勧めに従う。
京都の聴衆の目には、信長の威圧感で美濃侍六名が逃げ出したパフォーマンスに映る。
かもしれない。
信長が芝居じみた真似に出たのは、将来有望な少年を勧誘する為だけではない。
メインの目的は…
その日の昼下がり。
二条御所(現・京都市上京区武衛陣町)で謁見した室町幕府十三代将軍・足利
「我を笑い殺す気か、信長? 暗殺者達の前に身を晒して説教をするなど、驍勇が過ぎる。次は、構わずに鏖殺せい」
若い征夷大将軍の物騒な煽りに、信長は余裕で返答する。
「数年のちに、この信長の配下になる者たちです。此度は見逃しまする」
「数年、か。来年の今川に勝つつもりとは。笑い処か?」
信長のパフォーマンスに対し、上機嫌で弄る将軍様は、笑いながらもシビアな現実路線からブレない。
「休戦調停は、成功の見込みが無い。多忙ゆえ、信長の頼みには応じぬ」
足利義輝は、上座から軽く頭を下げる。
「すまぬ、見捨てる」
信長は、想定済みの返答なので失望はせず、見栄を切る。
「構いませぬ。その代わり、今川を退けた後は、美濃の併合を、黙認してください」
弱体化したとはいえ、征夷大将軍を前にして、隣国の攻略宣言。
どうかしている。
「何年先まで計画を建てた、信長? 明かせるか?」
混乱を極めた京都を、二十三歳で小康状態まで回復させた剣豪将軍は、信長のような『どうかしている男』を見慣れている。
「三好や松永や細川と計画が被ると、信長も多忙で死ぬぞ?」
義輝が、無造作に刀の柄に手を掛けたので、信長の後ろに控える部下たちが動揺する。
「気にするな、癖だ。刀術の師匠から、息をするように刀を扱う奥義を習うたら、刀と吐息の区別が付かなくなった」
なだめつつ笑いつつ、剣豪将軍・足利義輝は霊気の漂う輝く刃を剥き出しにして、信長の喉に突き付ける。
信長は、その名刀の刃紋の美しさに、心底から魅入る。
酒呑童子の首を斬り落とした伝説を持つ名刀を直に見る機会は、この時代ではまず巡って来ない。
「
「あ、唾を飛ばすな」
信長が慌てて、懐紙で口を塞ぐ。
義輝は刀を自らの裾で一拭きしてから、再び信長の喉の皮膚二センチ手前にホールドする。
「信長のような『有能な野心家』という輩は、いつの時代も『結構、余っている』
我は、彼奴等のとばっちりで、産まれる前から激務の日々である」
義輝は、そのまま信長の喉を貫きたがっているように見えたが、実行はせずに刀を鞘に納める。
「だが、咎めぬ。どのような曲者も、我の配下と思えば、情が湧く」
来年は十倍の兵力に成敗されるであろう『下剋上一族のリーダー』に対し。
足利義輝は、現在の将軍として、最大限出来る事をしてあげる。
「今川に負けたら、尾張を捨てて、我の客将になれ。信長は、我の良い刀になれる。もしも万が一にも、今川に勝利したら」
言葉だけの、気休めである。
「その時は、我の好敵手として、京都に来い。敵にするか味方にするかは、その時に決めよう」
「御意」
信長が、涼しい笑顔のまま、頭を下げる。
時代が平穏であれば、来年を待たずに、この場で信長を斬首して織田家を潰しても構わないのである。
それだけの所業は、積んでいる。
だが将軍は、この金回りの良い一族を、黙認する。
織田家の三代に渡る下剋上行為を責めず、今川家に肩入れしないというだけで、信長には充分な援護になる。
十倍の兵力と戦う事が決定した戦国大名にしては、清々しいまでに爽やかな笑顔で、信長は京都を去った。
僅かな自由時間で僅かな京土産しか買えなかった金森可近が、帰路は不機嫌に愚痴りまくる。
「本当だったら、京都で本格的に茶会を催したり参加したり、ついでに堺に寄って茶会を催したり参加したり、織田家の金で茶の湯三昧出来たのに〜〜」
あまり同情されない類の、愚痴だった。
あまりの失望に、二条御所での思い出までも、愚痴りだす。
「煽らないで欲しかったなあ、将軍様。アレではまるで、殿が自分を大物だと勘違いして、今川とマトモに戦ってしまうではないか」
不謹慎な愚痴を聞いてしまった同僚たちが、
「金森氏、休戦調停に期待していたのか」
「こりゃあ、マジで嫁さんの実家に逃げるか」
「いや、給金を優先すると見た」
「殿が働かせるに、三文かける」
「金森が働いた程度で、十倍の敵が凌げるのか?」
「主人公補正で、何とかなるだろ」
と、弄り倒して帰路の暇を潰す。
同僚が可近をネタにして適当に遊ぶ隙に、信長が可近の隣に馬を寄せる。
「五郎八(可近の通称)」
逃げる挙動を抑えながら、可近は信長の命令を、聞くだけは聞いておく。
「生き餌を決めろや。今川の御大が、足を止めて喰いつく、生贄じゃ」
言い方が剣呑過ぎて、聞く前に逃げればよかったと、可近は悔いた。
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