二十二話 黒と赤(3)

 茶室に移動した土田御前&能面を被った津田信澄のぶすみ(元・信行)は、可近の出した善哉ぜんざいを食しながら、リラックスする。

 完食する頃合いで、可近の淹れた茶が、土田御前に出される。

 その茶碗を覗き込もうとした信澄のぶすみを、土田御前が太腿を抓りあげて、制する。

「今の其方は、謀反の咎で処刑された罪人の子です。もっと控えて、距離を取りなさい」

 信澄のぶすみは、狭い茶室で可能な限り、元・母から離れる。

「はい、すみません、は…お祖母様」

「おばっ…いいのよ、孫二号ちゃん」

「タラちゃん言葉で話した方が、いいでちゅか?」

 平和に口喧嘩しながら寛ぐ元・母子を見て、ほんわかしかけた可近に、信澄のぶすみが矛先を向けた。

「ところで、信澄のぶすみという命名は、『浄化して澄み渡った信行』という意味合いで、兄上が名付けたのですか?」

 聞かれたくなかった質問に対し、言うかどうか二秒迷ってから、可近は返答する。

「初期案は『信行は用済み』だから信済でしたが、自分や林殿が殿を小一時間説教したので、信澄のぶすみに落ち着きました」

「…叔父貴の面倒、よろしくね、金森氏。僕は勝家さんの組下で、忙しくなるから」

 信長の弟という重荷を降ろして、済々している信澄のぶすみに、可近は羨ましそうに茶を出す。

「顔に出ていますよ、金森氏」

「顔に出すだけですよ、津田氏」

 一服、茶を二口で飲み干すと、信澄のぶすみは満足そうに息を吐く。

「美味しい」

「それは何より」

「二杯目、よろしいでしょうか?」

「実は…与四郎(河尻秀隆の通称)が罪悪感に負けて誅殺役を降りた場合、自分が茶の湯で毒殺する算段でしたが…飲みます?」

「断り方が、酷いよ!」

「信行の息子(仮)に茶を淹れるなんて、なんか勿体ない」

「酷い断り方を、バージョンアップするなんて」

「更にもっと酷い断り方を、自分は、あと二段階残しています(ふふふふふ)」

「ストレスが限界ですか、金森氏?」

「お茶、淹れてくれますか、津田氏?」

「いいですよ」

 座る場所を代わって茶道具を手に取ると、信澄は気付いた。

「…この茶筅、お祖父様の物では?」

「そうです」

「ください」

「だめ、だめ、殿の所有物だから、この茶道具」

「パクって帰っても、いい?」

「与四郎(河尻秀隆の通称)を呼んでも、いい?」

「幾らですか?」

 買収を持ちかけると、茶室の襖が空いて、盗み聞きをしていた信長が顔だけ出す。

「十貫(約百万円)」

「三貫(約三十万円)」

 兄と元・弟が、値切る為に熱視線を合わせる。

「誰に似たのかしら、この無粋なぶち壊し癖」

 土田御前が、亡夫が古市で買い叩いた安い茶筅に高値を付けようとする子供達に、呆れる。

 可近は、呆れるだけでは済まなかった。

 勢いよく襖を閉めて、信長の顔を挟み込む。

 ちょびっと痛くて、涙目で震える信長に、可近が言い渡す。

「何人たりとも、自分の茶室空間は、不可侵デス!」

 キレかける信長を、帰蝶が腕ひしぎ十字固めで抑え込み、小姓たちが夫婦を布団に乗せて他所へ移動させる。

「五郎八(可近の通称)〜! 茶の湯は最後まで、完遂しなよ」

「帰蝶様、あとで茶を淹れますね」

「お〜う」

 遠去かる夫婦に、というか信長に、可近は追い打ちをかける。

「殿には茶を淹れませんからね、ペナルティとして一ヶ月」

「他の者に頼むから、要らんわ、ボケ〜!」

 夫婦の声が聞こえなくなってから、可近は茶室の襖を締め直す。

「やはり茶室の戸口は、狭く改造しないと」

「狭く?」

「刀を差したままでは入れず、身を屈めないと入れない結界にします。これなら、殿のような無礼者が、怖くて入って来られない」

「そもそも武士なら、そんな非武装密室には、入りたがりませんよ」

「京や堺では、戸口を狭くする仕様が、流行り出しています。茶室を身分差のない空間にするフィルターとして、有効です」

 可近は語りながら、茶道具を片付けて一つの風呂敷に収納する。

「殿はこれから一ヶ月以上、この茶道具を使う予定がありません。津田氏に貸しておきます」

 そして締めに、二人の為に用意した茶菓子の残りを、三分割して互いの懐に入れる。

「金森氏は、武士が嫌いなのですか?」

 信澄には、可近が信長を恐れていないというより、武士という存在そのものを嫌っているように見えた。

「茶の湯の暇を尊重できない者は、武士に限らず、大嫌いです」

 茶の湯は、主人にも同僚にも嫁にも譲らない、金森可近の趣味である。

 如何に人を接待するかという繊細な空間に、割って入ろうとする無礼者に対し、可近は容赦する気になれなかった。

 たとえ相手が、魔王でも。

「父…お祖父様は、金森氏の、そういう所を買ったのかな?」

「一度買ったものを、捨てるのが勿体なかっただけですよ」

 信澄は答えと風呂敷を受け取ると、土田御前に軽く頭を下げてから、茶室を去った。


 

 以降、津田信澄は立場と名前をしばし変えながら、結局は信長の側近として頼りにされる人生を送る。

 リーダーとしては不適任だったが、副官ポジションだと有能さを発揮した。


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