四十三話 清洲同盟バージョンアップ

 永禄六年(1563年)

 正月明けに木下藤吉郎の弟・小一郎こいちろうが正式に、武士に転職しに来る。

 長屋に増設された大きめの一軒家で、新婚さんは出来る弟を待ち侘びていた。

「待っていたぞ小一郎! まずは顔合わせ!」

 藤吉郎は弟を、新妻ねね&蜂須賀小六に引き合わせると、直ぐに旅支度を整える。

「行き先は言えないが、半月程、家を離れる」

 ねねから一張羅の入った風呂敷を受け取りながら、藤吉郎は小一郎に最初の命令を下す。

「わしのいない間、わしの集めた小隊の面倒を見ておいて。分からない事は、浅野家の人々に質問すればいいから」

「わしの小隊?」

「この長屋の足軽、全部」

 いきなり二十人の足軽の面倒を押し付ける兄に対し、小一郎は驚きつつも承知した。

「はい、承知しました」

「あと、隣の新しい長屋の蜂須賀小隊の面倒も、頼むだぎゃあ」

 蜂須賀小隊四十人追加。

 合計六十人の、足軽の世話。

 小一郎が、少し涙目になる。

「小六はわしに付いてくるから、残された蜂須賀小隊が、羽目を外さないようにしといてちょ。手に負えなくなったら、又左に頼んで畳んでもらえ」

 前田利家の家は、新築されても木下藤吉郎の隣に建てられた。

 美濃での調略に有利なので。

「じゃあ、行ってくるで」

「待って兄者! もっと細かい情報を!」

「細かい事は、ねねに聞くだぎゃあ!」

「金森様は?!」

「今は多忙だから、手が回らないだぎゃあ」

 それだけ言って、藤吉郎は小六と足早に出掛けてしまう。

 細かい情報を、ねねが白湯を出しながら一気に小一郎に叩き込む。

「旦那様は美濃の有力者を調略しに行ったから、これからは何度も家を留守にします。小一郎殿は、喧嘩の仲裁とか給金の前借りとか、手紙の代筆や預金、傷病者の見舞いや遺族への手当て、武具修理の斡旋とか、足軽が単独では出来そうもない事をサポートしてあげてね」

「そこは分かりました」

「出来る副官キャラ、大好き!」

「分からないのは、金森様が忙しいという事ですね。タイトル詐欺になるのでは?」

 ねねの両眼が、ギラリンと光る。

「本当は金森様も旦那様と同じ様に、美濃に調略に行く筈だったけど、別の重要な要件が入ったので出遅れているの。つまり、うちの旦那様が先行して手柄を積み上げるチャンスなのよ〜〜」

「それって、金森様を、追い越してしまうのでは?」

 小一郎の心配に、ねねはニッコリと答える。

「大丈夫よ、金森殿は、仕事を横取りされると、楽が出来たと喜ぶ性格だから」

 この夫婦は美濃攻略において、金森可近ありちかよりも出世するつもりであると理解し、小一郎は呆れた。



 応接間で畏まる石川与七郎数正かずまさの顔が、奇妙に歪む。

 金森可近ありちかの差し出した茶碗を、怪訝な顔で凝視する。

「あのう、これは昨年、我が殿(松平元康)に出した時よりも、高い茶碗のような気がしますが?」

 外交の為に東西の大名家を往復して茶を飲み続けた結果、三十歳を過ぎた石川数正は、違いの分かる男になっていた。

 分かられてしまった以上、金森可近は隠さずに話す。

「あれは竹ちゃん…松平様が緊張でガチガチだったので、握り潰されてもいいような安い茶碗を使っただけです。今、お出ししているのが、本当の客様茶碗です」

「聞かなくていいオチだった」

 石川数正は茶の湯で喉を潤すと、出された京菓子を摘んで、寛ごうと努力する。

 無理だろう。

 この応接間に来た信長が、石川数正の伝えた話を聞き終えた途端、席を外して戻って来ない。

 信長の非礼に家老の林がキレて後を追い、残った可近が、脂汗を全身から流している数正を接待している。

「五徳姫の顔を見ながら、考えをまとめていると思います。怒って席を立った訳ではないので、寛いでいてください」

 怒っていたら、既に石川数正は、死んでいる。

 だから落ち着けとも言えないが。

「もっとビッグな大名家に嫁がせる算段を、お邪魔したのではないでしょうか?」

「それを気にしていたら、何も出来なくなりますよ。気にしないで、話を進めればいい」


 去年。

 松平元康は、今川を見限って、織田信長との同盟に踏み切った。

 清洲城で同盟を結んだので、清洲同盟と呼ばれる。

 同盟といっても、不可侵条約を結んだだけで、互いに助け合う訳ではない。

 織田にとっては、それで充分だった。

 美濃との戦いに専念出来るのだから、それだけで、充分。

 松平も三河を統一して、落ち目の今川から領土の半分も削ればいいやとか、思っていた時期もありました。

 パワーバランスが移動すると、三河勢も数年先を考えるようになる。

 このまま三河が勢力を拡大すれば、今川は滅ぶ。

 そうすると、戦国時代最強・武田信玄の治める武田勢の相手を、三河が単独でするハメになる。

 その次は、織田の領地が、武田に狙われる。

 今川義元がいなくなった反動で、武田信玄がルンルンと東海道に進撃する展開である。

 このヤバさに気付くや、松平&織田は同盟関係を強固にするしかなくなった。

 まずは、政略結婚。

 松平元康には一男一女がいるので、織田信長の娘を息子の嫁に貰うか、娘を信長の息子に嫁がせる選択肢がある。

 この選択肢で、松平元康は「信長の娘を、長男の嫁に迎える」を選ぶ。

 今川との手切れの際、今川に預けた人質が、ほぼ処刑されている。

 交渉を重ねて、元康の妻子だけは、捕虜交換で取り戻したのである。せっかく取り戻した子供を、人質同然に嫁に行かせる気には、なれなかった。

 という訳で、信長の長女・五徳姫を、元康の長男・竹千代の嫁にどうだろうかな〜〜? という話を石川数正は持って来たのである。

 松平サイドの心象では、

「お、お願い、今は人質を出すという行為がトラウマで、姫を嫁に出すとか、ちょっと無理。勘弁してください。優しくして(うるうる)」

 なのである。

 とはいえ、織田サイドから見れば、

「あ?! 何で勢力盛んな尾張が、格下の三河に人質を出す真似をせにゃならんのよ? 力関係を考えて物を言えや、デコ助があああ」

 という気もする。

 断られたら、それまでの話な上に、やはり松平の方が姫を嫁に寄越せという話になるかもしれない。

 そういう繊細な交渉なのに、信長が無言で席を外してしまったのだ。

 誰だってストレスが強烈に溜まる。

 金森可近の持て成しで、石川数正は辛うじて吐血や脱毛を抑えている。


 可近の歓談で場を保たせているうちに、信長がドタドタと忙しなく応接間に戻って来る。

 腕には、三歳を越したばかりの五徳姫を抱えている。

 畏まる石川数正の前に、父に高速で運ばれて喜んでいる五徳姫を見せる。

「持ってけ」

 一国の姫君を差し出されて「持ってけ」と言われて持っていける勇者などいない。

 石川数正が、フリーズする。

 一言で済ませようとした信長の後頭部を、家老の林秀貞が軽く殴る。

「信長には、息子が三人、娘が二人おるで。少ない方に、分けてやる」

 気前が良いというより、我が子を完全にトレーディングカードゲームのレアカード扱いである。

 とは言え、三河には有利な清洲同盟バージョンアップ。

 石川数正は、平伏しながら返答をする。

「ご温情、ありがとうございます。ただし、三河は未だ不安定にござりますゆえ、実際の嫁入りは三四年先と心得まする。それまで五徳姫様は、お手元で、お育てください」

「よし」

 信長は五徳姫を帰蝶にパスすると、可近に矛先を向ける。

「行け(意訳・お前も美濃の調略に、出発しろ)」

 それだけ言って、席を立つ。

 可近は、石川数正の持て成しを林秀貞に振ると、手荷物を持って席を外す。

「織田家は、聞きしに勝る、忙しなさですな。あの金森殿が、途中で茶の湯を中断して、出掛けるとは」

 今度こそ寛いで茶を飲もうとする石川数正に、林秀貞はニヒルに返す。

「ここにいるより、調略に出かけている方が、楽かもしれんよ。五郎八ごろはち(可近の通称)にとっては、故郷に遊びに行くようなものだ」

 石川数正の脳裏に、竹千代(松平元康)が人質時代に一緒に過ごした金森可近の姿が、過ぎる。

 侍女の福を口説き続ける片手間に、教育や遊興を提供してくれた、稀有な男を。

 石川数正の外交官としての基礎は、金森可近に教わった部分が大きい。

「真似が出来ない、方ですな」

「真似をしては、いけない男だ」

 真面目な家老が、寛ぎ過ぎた隣国の次期家老に、忠告をしておく。



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