七話 シン・竹千代の師匠(1)

七話 シン・竹千代の師匠(1)


 太原雪斎たいげん・せっさい自身は、僧侶として学問に熱中している青年だった。

 戦国時代の喧騒からは、距離を置いている、青年僧侶だった。

 九英承菊きゅうえいしょうぎくと自ら名乗っている、優秀でロックな僧侶だった。

 両親のパイプが、彼を放っておかなかった。

 父方は、駿河庵原いおはら(現・静岡県清水)を支配する一族で、今川の譜代(歴代の家臣)。

 母方の興津氏は、横山城(現・静岡県清水)を拠点に海運を担う水軍(海賊)で、これも今川の譜代。

 サバイバルの激しい戦国時代に、仏門で好きに生きている九英承菊きゅうえいしょうぎくに対し、両親は何度か今川に仕えて学識を活かすように説得するが、全て断っている。

 戦わなければ生き残れない業界とは、距離を置いていた。

 本当に、野心は無かった。

 その弟子と、遭遇するまでは。


 その弟子は、今川家当主の三男(四男説もあり)に産まれ落ち、四歳で仏門に入れられた。

 無用な跡目争いを避ける為の措置としては、珍しくはない。

 九英承菊きゅうえいしょうぎくが教育係を押し付けられると、その弟子は生意気にもマウントを取り始めた。

「お互い、好きに遊んで暮らせる身分ですね。何をして遊びますか?」

「勉強をサボって遊びたいクソガキを調教して、勉学が好きなクソガキに魔改造する」

「…いえ、あの、芳菊丸(義元の幼名)は、遊んで無為に過ごせる立場ですので、お手柔らかにしないと殺すぞ」

「断る。気が変わった。まずは礼儀作法を教え込む。覚えないと、殺す」

「国守の子息(四歳)を相手に、殺害予告?!」

「甘えるな。礼儀と学識が無ければ、貴人であろうと侮られて見向きもされぬ、遊びたければ、先ずは礼儀と学識の修得。

 君より四半世紀も先に生まれて、遊び続ける九英承菊きゅうえいしょうぎくが、完全無双の遊び人に育ててやる。

 という訳で、養育費を献上せよ」

「お師匠、付いていきます」

 この師弟、戦国業界でビッグになる野心は無かった。

 無い。

 完全に、無い。

 本当に、全然無い。

 遊んで一生を過ごす気で、結託した。

 親ガチャに成功した者同士のシンパシーが、この師弟を強固に結託させた。

 東海道から京都へと、寺院で学びつつ、エリート層と遊び続けた。

 茶会で、歌会で、能見物で、風流に自由に気ままに適当に、青春を浪費した。

 そうやって学ぶついでに遊び倒しているうちに交友関係が広がり、一周回って今川家当主(この段階では、兄の氏輝うじてる)の耳に、入った。

 各地を回りながら勉強するというスタイルを盾に、遊びまくっている事を。

 十七歳で栴岳承芳せんがくしょうほう(義元の法名)は、駿河に呼び戻された。

 どうするつもりだったのか、憶測の域を出ない。

 今川家に縁のある大寺院を任せる気だったのか、還俗させて主要領地を任せる気だったのか、不明だ。


 弟を呼び戻した途端、今川氏輝(二十六歳)は、死去した。

 同日、今川家の当主継承権を持つ今川彦五郎(義元の兄)も、死亡した。

 二人とも、跡継ぎがいないまま、死去した。

 結果、三男坊である栴岳承芳せんがくしょうほうに、今川家の当主継承権が回って来た。

 タイミング的に出来過ぎているので、陰謀説も根強いが、疫病が流行った故の非常事態だった。


 栴岳承芳せんがくしょうほうは還俗し、今川義元を名乗ると、速攻で師匠・太原雪斎たいげん・せっさいを呼び出して泣き付いた。

「相続争いで、殺されそうです。助けてください」

 血統では三番目の義元が正統だが、父の側室の息子がシン・三男坊という立場でライバルになった。

 これを担ぐ一派が、内乱を起こして実力で義元を排除して、今川家で美味しい汁を吸おうとする流れが発生している。

 寿桂尼(今川義元の母。先代の母。先先代の正室)が話し合いでの解決を試みたが、相手は拒否。

 戦争沙汰になりそうだが、今川家の重臣たちは義元にとって、見知らぬ他人ばかり。

 軍師に、師匠である太原雪斎たいげん・せっさいを選んだ。

「そんなに人が信用出来ないなら、売り飛ばしなさい。僧に戻って、京都に亡命しよう」

 一度も武将として戦を采配した事のない太原雪斎たいげん・せっさいを軍師として招こうとする弟子に、師匠は早期撤退を促す。

「お師匠には、軍師の才能がある。振るってください」

 十年以上、様々な勉強を共にした義元は、知っている。

 この師匠が、兵学書に精通し、故郷で必要とされた時に備えている事を。

「故郷が滅びそうな時に備えての、保険じゃ。当てにするな」

「その保険を、今、義元の為に使うてください」

 振るう機会は、すぐに来た。

 その日のうちに。


 寿桂尼との会談を拒否した次の日に、敵対勢力は駿河の今川館に押し寄せ、義元とその一派を排除しようと動く。

 太原雪斎たいげん・せっさいが、義元に呼び戻された日に。

「さあ、お師匠。出番です」

 嵌めた弟子を殴るのは後回しにして、太原雪斎たいげん・せっさいは今川館の武家に、指示を出し始める。

「今川家当主・今川義元の命である!! 門を固めよ! 弓兵は準備が出来次第、敵に射かけて構わん! 矢の残量は気にせず、射ちまくれ!」

 今川館を包囲しようとした敵は、向けられた矢の数に怯み、その日は撤退。

 今川館の戦力を過大に見誤り、大チャンスを逃した。

 義元の異母兄・玄広恵探げんこう・えたんを担ぐ福島氏は、本拠地で戦力を充実させる戦略を取る。

 その『戦力を充実させる』時間帯で、太原雪斎たいげん・せっさいは辣腕を発揮する。

 つーか、この段階から、主君には事後承諾で話を進める。

「福島氏は、武田との外交を担当しています。武田に援軍を乞い、合流してから攻めに転じる気でしょう」

「では、今川は北条に援軍を乞う」

「もう使者を出しました」

「お早い、流石です、お師匠」

「武田にも、信玄の娘を殿の正妻に迎えるので、福島氏に加担するなと、書状を送りました」

「お早過ぎるよ、お師匠! せめて相談を」

「うるさい。俺を軍師にした瞬間に、全て諦めろクソガキ」

 繰り返しいうが、雪斎に野心は無い。

 クソガキに主導権を握られるくらいなら、自分で采配を振るった方がマシという、生活の知恵だった。


 福島氏は味方を募ろうとしたが、総勢三千人しか

集められなかった。

 対して今川義元は、一万二千人。

 北条が迅速に支援を決め、武田が不介入という状況を知らされ、今川領内の武家は勝ち馬を今川義元&太原雪斎と見定めた。

 そこからは、ワンサイドゲーム。

 太原雪斎たいげん・せっさいは、二週間で福島氏の本拠地を四倍の兵力で攻略し、義元の家督相続を確定させた。

 尚、福島氏に対しては、首謀者のみを罰するという温情措置で、禍根を残さずに済ませた。

 要領の良過ぎる軍師デビューを果たした太原雪斎たいげん・せっさいは、そのまま今川義元の右腕として、認知された。



「右腕というより、今川の本体では?」

 金森可近ありちかが、本人を前にして、尋ねてみる。

 雪斎は苦笑しつつ、否定しなかった。


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