十七話 尾張いんちきシビルウォー(5)

十七話 尾張いんちきシビルウォー(5)


 於多井川(今の庄内川)を渡河すると、織田信長の軍勢七百は、織田信行の軍勢千七百と対面した。

 その内、織田信行の重臣・柴田勝家の手勢一千が、前に出る。

 軍勢の先頭には、極太の金棒を持った柴田勝家が騎乗し、信長の軍勢に急接近する。

 鬼みたいな武装をした鬼みたいな顔の巨漢が近付くと、信長の軍勢は足軽を中心に逃げて行く。

 信長の周囲には、槍持ちの中間ちゅうげん(従者)も含めて四十名しか残らなかった。

「うちの兵の逃げ足は、素晴らしいよな。命令する四半刻(約三十分)前から、きれいに逃げた」

 森可成が、味方を無理に誉めて笑っている。

 四十対千七百の圧倒的な逆境で、度胸が良過ぎる。

 柴田勝家は味方の足を止めると、馬を降りて単身で信長の本陣に近寄る。

 丹羽長秀が抜刀し、勝家の足を止めさせる。

「一応、殿に挨拶してから退きたいのだが」

 丹羽長秀は返事をせずに、白刃と鋭い視線を、敵方の重臣に向ける。

五郎左ごろうざ(丹羽長秀の通称)、視線が怖い」

権六ごんろく(柴田勝家の通称)。これは林への感情だ。お主は約束を守るのだから、怯えなくていい」

 長い付き合いなので、勝家は丹羽長秀を刺激しないように、背を向ける。

「やり過ぎるなよ」

 勝家は、爆発しそうな男から離れて、兵を引かせようとする。

 勝家が金棒を振るって、自軍に離脱するように合図するが、動きが鈍い。

 いつも前進して攻撃ばかりしている軍団なので、柴田勝家が撤退を命じても、なかなか飲み込めない。

「撤退の練習を疎かにしたでしょ、柴田さんの所」

 佐久間信盛が、冷やかす。

 冷や汗をかきつつも、嫌味を欠かさない。

「あちこちで渋滞している。見苦しい。整然とした移動が、軍隊の基本だぞ。脳筋め」

「相手に聞こえるように言わないでください」

 金森可近は苦言を言いながら、林の軍勢から勝家の軍に、騎馬が走るのを観る。

 遠目にも、柴田に戻るように催促しているのが。知れた。

 義理堅い柴田勝家が「いんちきシビルウォー」の打ち合わせを違えるとは思わないが、敗北フラグは潰すに限る。

「殿、『言葉戦い』をしていいですか?」

 可近は信長に、敵陣に大声で話し掛けて動揺を誘う、『言葉戦い』の許可を求める。

「やれ」

 信長が許可したので、可近は馬を柴田勢の後ろに寄せると、大音声で吹聴する。

「みんな、早く逃げろ! 丹羽にわ長秀(通称・五郎左)が、あと五秒でキレるぞ!!!!」

 柴田勢が、本気で逃げ始めた。

 指揮官の勝家を置いて、本当に壊走する。

 勝家が振り返って、少し涙目で可近を睨んだが、予定通りに逃げた。

 出汁に使われた丹羽長秀は、どうしてくれようかと可近を睨みつつ、柴田と違って距離を詰めて来る林秀貞の軍勢への対応を優先させる。

「今日は、新五郎(林秀貞の通称)の首で満足します」

「新五郎殿は、不参戦です。殿と直接戦う気は、無いですよ」

 突撃しようとした丹羽長秀が、可近からの最新情報に、転ける。

「林勢の指揮官は、弟の林通具みちともです」


 織田家の重臣・林秀貞ひでさだの心境は、複雑である。

 織田信秀(信長の父)の代から織田家に仕え、織田家の筆頭家老にまで登り詰めた。

 織田信秀全盛期〜織田信長初期の筆頭家老なのだ。

 後世の知名度が低くても、この作品でさえ出番が皆無でも、この段階で織田家最重要人物なのだ。

 決して、作者が書き忘れていた訳では、ありますん。

 信長との縁も、深い。

 信長の元服では介添え役を務め、平手政秀と共に後見人を務めた。

 普通なら、大切にされるはずの人物だ。

 だが、信長の先見性は、薄情なまでに「次の時代の人材」に向けられている。

 極端な能力主義と人材登用は、四十代を越えた家老の存在感を、薄めていった。

 空気を読める、出来た男なので、尚更辛い。

 本拠地を那古野城から清洲城に移す際、信長は林秀貞を那古野城の居留守役にして、置いた。

 筆頭家老の看板はそのままだが、信頼の証というより、中央政権からのリストラに近い。

 有能な家老には、見えてしまった。

 将来、更に強大になった信長が、林秀貞を如何扱うかを。

 そういう展望を弟の林通具みちともに話すと、事態は悪い方に転がった。

 兄よりもお人好しではない通具みちともは、織田信行を押し立てての政権交代を進めてしまった。

 下剋上を狙う弟を止められず、主君である信長も止められずに、林秀貞は不参戦という半端な道を選んだ。


「そういう事なら」

 心身ともに態勢を整え直した丹羽長秀は、刀を握り直す。

「心置きなく、この場の林勢は、狩れます」

(注意! 現在の戦力差は、40対700です)

 丹羽長秀は、馬に乗ると、最大戦速で敵陣に突入していく。

 盾を並べて矢合わせしようとしていた林勢の最前線から、悲鳴と断末魔と血飛沫が上がる。

 丹羽長秀の太刀筋は、田んぼにコンバインを投入したかのように、弓兵を選別して刈り倒していく。

 まずは弓兵の一斉射撃で敵の数を減らすという、この時代の戦争の大前提が、初手で強引に破壊される。

 続いて、森可成と前田利家を先頭にした信長と馬廻全員が、林勢に突撃する。

 後に戦国無双というゲームが作られるのも無理はない勢いの攻撃が、林勢の兵数をサクサクと刈り取っていく。

 十倍以上の戦力差をガン無視した馬鹿野郎たちの武勇が、下剋上を起こせると信じた林軍を超ハイペースで擦り潰していく。


「早く逃げろ! 逃げれば斬らぬ!」

 返り血を浴びながら可近が叫んでも、林勢は崩れても逃げない。

 指揮官の林通具みちともは、劣勢でも戦況を冷静に見定めている。

 この非常識な勢いは、丹羽長秀や森可成の疲労が限界に達すれば、途切れる。

 兵の半数以上を失っても、林通具は信長を討つ覚悟だ。

 それは信長も分かっているので、僅かな戦力を全て、指揮官を仕留める為に費やしている。

 守勢に回って疲労を待つ林勢に対し、信長が大音声で怒鳴り付ける。

「退けや!!!! 殺すぞ!!!!」

 戦場全体に、織田信長の声が鳴り響く。

 長年聞き慣れた、頼もしい総指揮官の声を敵として聞かされて、林勢が硬直する。

 戦意が削がれたその隙に、信長たちは戦うよりも移動を優先させる。

 鬼のように強い彼らも、流石に疲れたので、効率を最優先する。


「はい、通して、通して。指揮官を殺りに行くだけだから」

 森可成は、通してもらえた。

 常日頃、森可成が最前線で無双して助けてくれるのである。

 喜んで、通す。


「通しなさい」

 丹羽長秀が言うと、林勢は真っ二つに割れて道を空けた。

「初めから、そうしなさい」

 そう言われても、「先に斬り込んで来たのは、丹羽さんの方ですよね?!」とか言い返さず、舌打ちを堪えて涙ぐむ林勢だった。


「早く通せよ、雑魚ども。ほら、左右に整列して、土下座していろ。土下寝でも許す」

 前田利家(十七歳)は、頑強な抵抗にあって、前に進めなくなった。

 たとえ知名度が低くても、作者が書き忘れる程に印象が薄くても、彼らも職業軍人。

 生意気でハンサムで長身で傾奇者な十七歳の少年に対し、ガチで抵抗した。

 そのうち、宮井勘兵衛恒忠という武将が放った矢が、前田利家の顔面に命中する。

 前田利家、戦死。

「宮井いいいいいいい!!!! てめええええええええ!!!!!」

 訂正、前田利家、存命(ちっ)

 矢は前田利家の右目下に命中していたが、面の皮が厚かったせいで、致命傷にはならなかった(ちっ)

 顔に矢が刺さったままなのに、槍を振り回して宮井勘兵衛恒忠を追い回して討ち取る前田利家に対し、ドン引きした林勢は渋々道を開ける(ちっ)


 結局、林勢はビビりまくって、指揮官の所まで攻め込まれた。

 林通具みちともは奮戦し、馬廻を一人は返り討ちにしたが、そこで力尽きた。

 信長自身が、息を乱した林通具みちともを槍で討ち取って、その日の戦いは決まった。

 名のある武将が多く討ち取られ、七百名中四百五十名以上戦死という損害を出して、織田信行は逃走した。

 林勢が負けるまで逃走しなかったので、まあ、「その気」は有り有りだったのだろう。



稲生いのうの戦い」と呼ばれたこの日の戰は、織田信長が揃えた馬廻のデタラメな強力さを、周辺諸国に知らしめた。

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